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第1話

はじめて捨てられたのは、僕が生まれて間もない頃。 臍の緒がついたまま病院の前に置かれていたそうだ。 雪がチラつく寒い朝。 タオルで包まれただけの僕が発見された時、体冷え切って心臓はいつ止まってもおかしくなかった。 生死を彷徨った僕は、結局死ななかった。 僕は施設に預けられ、3歳までそこで暮らした。 そして、僕に新しい両親が出来た。 30代の夫婦で、不妊治療が上手くいかず子供を諦めて養子を取ろうと来たこの施設で僕を一眼で気に入り引き取ってくれた。 とても優しい両親だった。 7歳を迎えるまでは。 そして、捨てられた。 両親に子供が生まれたからだ。 仕方がない。 施設に戻った僕は、11歳まで暮らした。 そして、また新しい両親が出来た。 40代の夫婦で、最近12歳になる息子を亡くして、その寂しさを埋めるため養子を得るために来たこの施設で僕を一眼で気に入り引き取ってくれた。 とても優しく……はない両親だった。 引き取られてすぐ引っ越しをした。 そして1ヶ月後。 僕は義父に犯された。 義母は僕の両手を頭の上で押さえ、口をタオルを咥えて、犯される僕の姿をうすら笑いを浮べて見ていた。 義父は僕の後ろが裂けて血が出ようが構わず、お腹の奥まで捻り込んだ。 裂けた傷が塞がる頃にまた犯される、そんな日々を過ごすうちに、僕のそこは義父のものを容易く受け入れるようになった。 そんな生活が半年過ぎた頃、義父は知らないおじさんを連れてきた。 ゴム1枚五千円で僕はおじさんに犯された。 毎日毎日、義父が連れてくる知らないおじさんにゴム1枚五千円で犯された。 時々、ゴムなしで一万円で犯された。 学校から帰るといつも義父が待っていて、すぐ受け入れられるようにと僕の後ろを慣らし広げた。 その生活にも慣れた頃。 義父は締め付けて早く終わらせろと僕に言った。 僕はその通りにした。 早く終わったけど、その分、回数が増えた。 更に義父は、奉仕の仕方を僕に叩き込んだ。 僕は一回二千円で奉仕をするようになり、前と後ろを使って一度に2人を相手にするようになった。 中学に上がる頃。 義父からローションとバイブを渡され、自分で準備しろと言われた。 僕はその通りにした。 気付けば、義母が家を出て行った。 13歳を迎える頃。 僕はまた捨てられた。

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