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第1話

    Ⅰ     男たちの下卑た不愉快な高笑いが耳に届いた。 「――――っ!」  気がついて、瞑っていた目を開けると、恐い顔をした外国人の男たちに取り囲まれ襲われている。  助けて、と声を上げようとしたが、恐怖のあまり声が出ない。身体を震わせ、奥歯をカタカタと鳴らしながら、それでもどうにか逃げ道を探そうとあたりを見回した。 (え……)  目を見開いて、そのまま瞬きもできずにいた。というのも、目に飛び込んできたのは一面の緑。そこは見渡す限り、地平線の果てまで続く大草原だった。そしてそのど真ん中で凶悪な面相の男たちに身体を拘束され、身動きが取れないでいる。男は三人。どの男も鋭い刃のナイフを手にしたり、鞭を持ったりしていた。身じろぎをしようにも、少し身体を動かしただけで頬を張られ、身体をギリギリと締め上げられる。  痛い、痛い。  ぼろぼろと涙をこぼすが、そんなものを流したところで、彼らが自分の身体の傍から去っていかないこともなんとなくわかる。 (どうして……)  高鳥(たかとり)詩倫(しりん)には自分がなぜこんな状況に陥っているのか、まったくわからなかった。  なぜなら、自分が覚えているのは――。  確か……突然車に撥ねられたことだけ。  詩倫の仕事はベーカリーのパン職人で、その日は朝から風邪気味だった。本当は無理をせず休めばよかったのだろうけれど、期間限定の地元のマルシェに出店するためにいつもより多くパンを焼かなければならず、熱はなかったから朝から晩まで必死になって働いた。  その帰り道、たぶんそのときには熱があったのかもしれない。  風邪と疲労でふらふらしていたのは否定しないが、信号が変わって横断歩道を歩いていたところ、暴走したトラックがやってきて――避けきれなかった。 (覚えているのは……周りの悲鳴と……ものすごい衝撃と……ああ、そうだ。空を飛んだのかなって思ったんだっけ)  トラックに身体ごと吹っ飛ばされて……それから後の記憶はない。あれだけ派手に吹っ飛ばされたら確実に死んだんじゃないかな、とそう思ったのに。  そして今、なぜか目覚めたのだが、死んでいないことよりも、いかにも悪人面した外国人に囲まれて、身体を拘束され、髪を引っ掴まれていることに驚いている。  おまけに意識は夜の駅前の交差点で途切れたはずなのに、今自分がいるのは太陽が頭のてっぺんにある大草原のど真ん中。  夢なのかと思ったが、身体がこれほど痛いのなら夢ではないのだろう。あまりにリアルすぎる感覚だ。  よくわからないけれど、いずれにしても死ぬ運命にあるのは間違いないらしい。  だってどう考えても、この状況はごろつきに襲われて命を落とすパターン。詩倫には持っているものはなにもないのだから、あとは身体しか残っていない。  それにしてもなぜ外国人に囲まれているのか、そして語学は苦手なのに、彼らの喋っていることがしっかりと理解できているのも不思議だった。 「おい、見ろよ。こいつは高値で売れる。珍しいもんを拾った」  顔を上げられ、じろじろと不躾に見つめてくる。顔を逸らそうとすると髪をぐい、と引かれ、正面を向かされた。 「目の色を確認してよかった。オッド・アイってことは《神の子》ってことだ。いい拾いものをした。なあ、兄弟」 「ああ。まさか《神の子》がこんなところに倒れてるとはな。まあ、神の子じゃなくてもこれだけ器量がよけりゃ、どっかの好きもんのところに持ち込めるが、やっぱり値段が違うからな。神の子なら十倍、いや、もっとふっかけられるか」  ニヤニヤと笑う男たちの会話に詩倫は身の毛がよだった。 (神の子ってなんだよ……。意味わかんない……)  唇を噛みながら、どうにか気持ちを奮い立たせる。怖いけれど、まずは冷静にならなくちゃ、と自分に言い聞かせた。聞いている限り、この分ならすぐに命を奪われることはないはずだ。現在の状況はさっぱり理解できないが、今ここで殺されるということはなさそう……そう思うといくらかホッとする。  よくわからないが、自分が彼らの言う《神の子》とやららしい。 (けど、オッド・アイなんて)  正真正銘の日本人だし、オッド・アイになった覚えはない。でも、と詩倫は自分の着ているものへ視線を移した。  身に着けているものは、車に撥ねられる前に着ていたシャツとジーンズではなく、刺繍がたくさん施されたゆったりした上着とゆったりしたズボンだ。コスプレでもあるまいし、このような服を買った覚えもないし、これを着て歩き回るなどということをしたことはない。  しかも、男たちの服装を見てもそれらは異国のもので、ヨーロッパとも東南アジアとも違う……どこかの民族衣装のようなものだった。 「それにしても、緑と菫色のオッド・アイってのははじめて見た。珍しいな。たいていは茶とねずみ色みたいな色だろ。これならそれなりのところに持っていける。これだけの上物なかなかお目にかかれねえぞ」 「神の子って、男でも子どもが産めるっていうけど、本当なのか? 今ひとつ信じられねえんだけどよ」 「ああ、それは本当だ。俺も一度しかお目にかかったことはねえけどな、神の子ってのは男でも女でも関係なく子どもを産める上に、能力者を孕みやすいのさ。しかも美形ときたもんだ。だから神の子って言われてるわけよ」  よくわからないが、話の流れから神の子というのは特別な存在らしい。男が子どもを産めるという言葉を素直に理解できず、詩倫は混乱する。  オッド・アイだの、神の子だの、果ては男でも子どもを産めるなんて、とても信じられない。やはり夢なのだろうか、と思ってみるけれども夢にしてはあまりにも感覚がリアルすぎる。  それに――と、詩倫は横目であたりの景色や男たちの服装を観察する。  この景色や彼らの顔つきや服装は、詩倫が幼い頃から目にしてきた写真や本や映像の中にあったものによく似ている。 (……中央アジアっぽい。父さんや母さんのアルバムの中の写真にあった風景みたいだ。ってことは、ここはそのあたりなのか……?)  詩倫の両親は中央アジア文化圏の研究者で、そのため家の中にはその地域の資料が山とあった。小さな頃から写真や映像を目にしていた、その景色に近い気がする。目の前の男たちの服装や、今、自分が着ている服に施されている刺繍もなんとなくそれっぽい。  乾いた空気はおよそ日本とは思えなかったし、体臭なのか男たちから漂ってくる匂いも異国のもののように思える。  ふと頭の中に思い浮かんだのは、職場のバイトの子が休憩中に読んでいたライトノベル。そのタイトルに『異世界』とあった。訊くと、ライトノベルではその異世界ものの話が流行っているらしい。 (トラックに撥ねられて、自分の知らない世界にいる、っていうの、その異世界ものっぽくないかな?)  そういったライトノベルでは生まれ変わって異世界に転生、というのが定番のようだが、もしかしたら自分がそんな目に遭っているのだとしたら。  それなら男たちの言葉が自分にも理解できることや、突然襲いかかられていることにも納得がいく。 (え……じゃあ、いきなりここに飛ばされたのかも……とか……?)  だがそれもにわかには信じがたい。こんなふうにあまりに現実味のない想像をしてしまうのは、自分の身に降りかかっている危険から逃避したいためかもしれない。  今すぐに命がどうこうということはなさそうだとはいえ、いずれにしてもこのままではどこかに売られてしまう。そこでどんな扱いをされるのか。例えば――。  奴隷とか……? いかがわしいところとか……? 高く売れるということは、要するに《そういう》場所だろうか……考えたくない。やはり身の危険を感じた。  とはいえ、ここで詩倫がどうなろうと、もうこの世に自分の心配をしてくれるような家族はいない。なぜなら、詩倫は天涯孤独の身である。

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