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第3話

 そのあと男はどうしたか。  日が昇ると彼は森を抜けてひそかに自国へ戻った。国を乗っ取った現王に反発する領主たちを辛抱強く説得し、やがて挙兵した。  最初のころ、ほとんどの人々は、彼が国を取り戻せるほどの勢力をもつとは信じなかった。しかし男が兵を進めるときは、いつも不思議な異形の生き物を駆る軍隊が伴っていた。軍隊は銀髪の若者に率いられ、およそ無敵の戦いぶりだった。彼らのことを男は「竜の民」と呼んだ。  男に力があると人々が信じるにつれて味方は増えていった。そしてついに宰相の一族は追われ、男は王位についたのである。  王国内外の情勢がおちつくと「竜の民」はいつのまにかいなくなった。王となった男にも気づかせないように、まるで空中に消えうせたように消えたのである。人々も彼らのことを忘れた。王国がかつての豊かさを取り戻すには、戦いに費やした以上の時間と努力が必要だった。日々の暮らしの苦難と平凡さの中に異形のものが存在する余地はなかったのである。  王となった男は周囲の勧めもあって、妻をめとり、子をなした。王国はやがてかつての繫栄をとりもどし、子供たちは大きくなった。男は齢をとった。  ある日妻が亡くなった。まだ引退するには早いと周囲は懇願したが、男は長子に王位を譲った。  そして旅に出た。  森はあいかわらず大きく、深く、恐ろしい噂で満ちていた。  かつて男を救った郷はまだこの森の中にあるのだろうか、と男は思った。かつて自分が「竜の民」と呼んだ軍隊のことを森の外の人間たちは誰ひとり覚えていない。長い年月がたって、男の記憶もおぼろげになっていた。この森で経験したことは、すべて不思議な夢の出来事のようにも思えた。  男はひとり森をさまよい、やがて道に迷った。年老いた体にとって森は親切とはいえなかった。太い木の根に足をとられ、何度か転んだ。足をくじいたか、骨が折れたのかもしれない。男は痛みで立ち上がれなくなった。  俺はここで死ぬのだろうか。  動けないまま、飢えて渇き、あるいは獣に襲われて。  男にはそれも悪くないように思えた。俺はもうじゅうぶん生きた。  そのまま夜になった。  真っ暗な森の底にひとすじの月光が差した。  銀色の髪が男の目の前に浮かび上がる。  王子は男の記憶より齢をとっていたが、男よりもずっと若々しかった。 「いったいここで何をしているのです」  その声は男の記憶にあるままだった。懐かしさと愛情と思いがけない喜びが男の胸のうちにわきあがった。これほど激しく心を動かされたのは何年ぶりだろう。 「道に迷ったんだ」と男はこたえた。 「きみを探しにきた。約束を果たすために」  月光のしたで王子は花のような微笑みをうかべた。いつかの夜にみたような寂しげなものではなく、深い確信にみちた微笑だった。王子は男に向かって手をさしのべ、男はその手を握りしめた。すると男の足から痛みが消え、ふたたび立ち上がることができた。  ふたりは森の中を歩いていき、みえなくなった。 (おわり)

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