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1.加瀬の日

1.加瀬の日 人生最悪の日だ。 俺は、「こいつと結婚する」と思っていた彼女にフラれた。 子供は何人、家はどことか空想の将来設計を考えても居た。 それがあっさり別れ話。「こんな人だと思ってなかった」の一言まで投げられて。 今までどんな気持ちで俺と付き合ってたんだよ! 叫びたくなるが、愛してた彼女からの言葉で改め「やり直そう」という事も考えたり、 頭の中がぐちゃぐちゃで今までの失恋とは違った悲しみだった。 色んな女の子と付き合ったが今回は長く続いて丸二年。 今回こそは良い恋愛が出来ている自信があっただけに俺の自尊心はズタズタだった。 こんな清々しく空は高く晴れた今日は、運命の人との別れの日になった。 こんな日に木々が揺れたなら小鳥がさえずったら、気持ちが軽やかになる。 そんな日が、俺の最悪の日になった。 しかし、恋多き俺を心配してくれる友達は居らず、 今日の授業をなんとか終え、大学を後にしようとしていた。 どいつもこいつも薄情だ。 俺がこんなに傷付いているのに、「いつもの事だろ」とからかいもせず、すっぱりとスルー。 俺はスルーされるのが嫌いだって言うのに! わざと俺をいじめて、楽しんでるんじゃないか?! 悲しみも怒りも全部織り交ぜた、何とも言えない感情に苛立ちを募らせていた。 「加瀬くん」 俺を呼ぶ声がして振り向くと、永石さんが手を振って向かってきていた。 永石さんは先輩で、先輩と言っても、もう38歳のおっさんで長年勤めた会社を辞めて 一念発起してこの大学に入った人で、先輩と呼ぶのに人生の先輩という要素もある。 それに凄いのは俺の学科とは比べちゃいけない、 この大学で頭が良い人しか入れない法学部の先輩だ。 異色の大学生(おっさん)といった感じ。 そんな永石さんと俺は仲良くさせてもらっている。 周りはちゃらんぽらんな俺と真面目で堅実な永石さんが不釣り合いだと言う。 時々、「永石さんがかわいそう」とも言われるが、まあ、俺もそう思う。 学科も違うから、出会うはずも無ければ、仲良くなるとかあり得ないそんな相手だ。 ご縁あってそんな俺と仲良くしてもらっている永石さんだが、性格も異色だ。 「なんっすか」 不機嫌な態度をあからさまに取ると、 「え、あ、ゴメン。見かけたら元気なかったみたいで、それで……」 この人はいつもこうだ。 もぞもぞと、言ってしまったことを後悔するように、言葉に詰まってしまう。 ずいぶんと年上、18歳年上のおっさんがこんな若造にこの返しだ。 俺もそれが解っているから、あえてこんな返しをして困らせるのを楽しんでしまっている。 「怒ってないっすよ。心配してくれたんでしょ」 そう、俺が笑顔で返すと永石さんは笑って嬉しそうにする。 初めて会った時もそうだ、色んな学科の合同呑み会で紹介された時も、 堂々としている様な年齢で、誰よりも謙虚に話してくれた。 そして、笑顔を見せると心の底から嬉しそうに笑い返してくれる。 「なにか、あったのかい?相談乗るよ」 人の事なのに自分の事の様に心配そうに焦った顔をしてる。 この人は人の悩みと自分の悩みの差なんか解ってないんだろうな。俺とは大違いだ。 こんなに優しい人そうそう居ない。交友関係が広い俺ですら思う。 きっと、周りもそう思っている。 だから、この人の周りには人が集まって皆笑っている。 でも、どこか遠慮している様な立ち位置で掴みどころを自ら遮るような感じもある。 中心に居たのが、気が付いたら中心を交代して周りに交じっている。 自分の主張をあまりしない人だ。 だから、彼女が出来ないんだろうなと、側で見ていた。 「家行っていいっすか?だらだら呑みたいっす」 数回遊びに行かせてもらっているが、永石さんの家は大学に近くて奇麗なマンションだ。 大学から離れたボロアパートの俺とは違う。 親しくしていると年齢の差などあやふやになってしまうが、 そういう面に焦点を当てると、務めた事のある大人の男性なのだと再認識する。 酔いつぶれたら泊ればいい、そして明日の遅刻の可能性も低く呑めるだけ呑める。 そんなノリで手で缶ビールを呑む手ぶりをすると 「家呑みだね!いいよ」 やっぱり、男同士が良いわ。 気兼ね無く呑めて、潰れりゃそのまま雑魚寝。 彼女と別れる度に行きつく、終着点。 男友達は最高。 寂しいだろ?笑ってくれ。 俺はカラ元気で、永石さんの肩を組んで、飛び跳ねた。 「っでーーーあの女、俺になんて言ったと思います~~~?? あんたのそーーゆーーーとこがさぁって、って!」 最初はやり直したいとか涙で語ってた失恋話が、 段々自分の意図せぬ愚痴に変わっていったのは解っていた。 泥酔してるからだ。 ビール缶何本呑んだか、もう数える事は困難だ。 何故なら、永石さんは呑み終わると、台所へ持っていき、洗って分別をしてしまう。 そして、冷蔵庫から冷えたビールを出して、俺の所に置く。 つまみの皿もこまめに取り換えてくれる。 なにより驚いたのは、コンビニで買ってきたつまみをトレーから皿に盛り直すのだ。 俺の一人暮らしからは考えられない。 その為、男同士の家呑みにしてはテーブルがやたらときれいだ。 実はそれに気が付いたのは呑み始めてずいぶん経ってからだった。 永石先輩は、俺の話をしっかり聞いて、受け答えをしていたので 全くそんなことしていると気が付く余地が無かった。 単に俺がそういう概念が無いからか。 それに、永石さんはほとんど呑んでいない。 量を飲むタイプではないが、大学の友達と一緒に飲む時はたしなむ程度には呑んでいた。 だが、今日はほとんど呑んでいないと思う。 試しに、永石さんのビール缶を持ち上げたが、しっかりと重く中身は結構残ったままだった。 俺の話を聞く為に気を使って呑んでいないのか、それを感じさせない辺りが さすが、永石さんといった感じ。 何をするにも嫌味が無く、本当に俺と永石さんは不釣り合いだ。 俺と永石さんが仲いいのは、永石さんが俺に合わせてくれているからかもしれない。 じゃなかったら、この関係は続いてないかもしれない。 それが解った瞬間、失恋とは別にへこんだ。 いや、失恋と同じつまづきか。 酔いで朦朧とする意識の中、永石さんのベッドに寝転んでただただ彼女が恋しくて 布団をかき混ぜるようにじゃれていた。 何もかも嫌になってしまうような、そういう感覚。 この柔らかい布団が今唯一の癒しの様な、失恋で腹部にぽっかりと空いた空洞に この布団を詰めこんで埋めてしまいたくなる。 「大丈夫?」 永石さんが覗き込むように、俺に目をやった時 ふといじわるしてやろうと永石さんを押し倒した。 どういう反応をするのか、シンプルに見たかった。 優しくて、大らかな永石さんがどう反応するのか。 それは、やってから考えた後付けだ。 酔った勢いでそこにちゃんとした論理も無く。 ただ、恋しかったのかもしれない。 やけを起こしたのかもしれない。 後からは色々付けられた。 覆いかぶさった状態で永石さんを見ると顔を真っ赤にして目をそらしていた。 抵抗も無ければ嫌がる声も無くただ、顔を真っ赤にしてじっとしていた。 息も浅く小さく吸って、ドキドキとしているのが良く解った。 その時、可愛いなと思った。 男とかおっさんとかそういうの無しに、シンプルに可愛いなと。 顔を細部まで見ると、目は少し潤んでいて、唇はぷっくりと赤らんでいるように見えた。 下手な女の子より、可愛いかもしれない。 段々良からぬ方向に気持ちが行っているのは感じていたが、 それを制御するとかは思いつきもせず、顔に押し付けるかのようにキスをした。 どうしてだか解らない。 ただ、そうしたいと思ったから。 永石さんは何も抵抗せず、そのまま長い接吻をした。 受け入れてもらっていると思った。 考えてみれば、押し倒した時に抵抗しててもおかしくない。 思った以上に唇は柔らかく、唾液は熱を帯びて、その生暖かさが更に邪な気持ちを掻き立てる。 口元を全部舐め取る様に、口の中さえも。長い接触にしたいだけを満たした。 俺の淫らな気持ちがどんどん高まってくる。 触れている唇が熱を帯びているのを感じている。 そこに意識を置くと、血の流れも感じそうなくらいでくらくらする。 俺の体温も、永石さんの体温も、お互いの熱が伝わって更に熱を増してくような。 熱くとろけるようなどろどろとした気持ちが、溢れて止まらない。 ぞくっとする。 こんな興奮、初めてだ。 そのまま永石さんのシャツに手を入れ徐々にめくりあげるように胸の辺りまでなぞった。 ビクビクと体をよじらせて体が逃げていく。 俺は動かない様にわき腹を押さえつけ、指の腹でわき腹を撫でた。 撫でる度に反応する体に、俺は更にのめりこんだ。 体重のほとんどを預けて、近づける限り体を密着させた。 触れる箇所が多くなる程、永石さんの体の反りを強く感じた。 俺が思っている以上に永石さんの体が反応している。 永石さんが絡ませるように手で俺の腕を撫でて、 足はもぞもぞとベッドシーツを擦っているのを感じた。 顔は淫らで、俺は気持ちよさそうにしているそう思った。 息継ぎなのか喘ぎ声なのか、息を吐くように声を漏らし、そして呑み込む様に息を吸っている。 その漏れる様な声が、それ以外感じられないほど耳の奥まで響いて心地いい。 無我夢中でズボンの隙間に手を伸ばし行為を更に進めていこうとした。 「駄目、やめて」 急に永石さんが両手を俺の胸に当て、思いっきり押し出した。 その時俺は我に返った。 「ごめん」 それしか、言葉は出てこなかった。 そこには心底謝っている感情は無く、咄嗟に出た音だけの言葉だった。 何がしたかったのかも、なんでこんなことをしたのかも解らず頭が真っ白だった。 心臓はばくばくして、してしまった事の後悔する程頭も回ってなくて、 次の行動は荷物を持って、外へ飛び出すだった。 何もかも始末の悪い最期を選んだ。 謝らないととか永石さんが傷付いてないかとかを考えたのは、 部屋を飛び出してだいぶ経ってからだった。 走っている間でも何をやってしまったのか鮮明に思い出せる。 でも、俺は戻って謝るという判断をしなかった。 俺が彼女にフラれた原因が解った。 「そういう所がさ」彼女は良く言っていた。 自分の都合が悪くなると、逃げてしまう。 そういう所だろ! ああもう!自分が嫌になる! これ以上考えたらおかしくなる! そう自分の保身を考えている自分が更に嫌になって、 酔った勢いなら、記憶も消えてればよかったのに! 自分のやってしまった事、始末の悪さを棚に上げ、夢だ夢だと連呼した。 人生最悪の日だ!! このまま頭のぐらぐらした酔いから覚めなければいいのに! 現実逃避を頭に巡らせ叫んではそれ以上考える事を止めようと言い聞かせた。 人生最悪の日だ! 友人まで失った!! なにからなにまで、自分に絶望する日だ!

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