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2.永石の日

2.永石の日 やってしまった。 加瀬君が帰った後、僕は真っ青になってうつむいた。 自分の血の気が引いているのが良く解る。 今までの火照った体が嘘みたい内臓まで冷め切ってしまったみたいだ。 きっと加瀬君は、自分を責めている。 嫌がることをしてしまったと。 僕はちっとも嫌じゃなかったのに! でも、確かに僕は言った「止めて」と。 思わず自分の高まりを抑えたくて、それを加瀬君に要求してしまった。 これ以上は、家にいる間にお酒も控えて保っていた理性が無くなってしまう。 そうなったら……、そう思ったらそう言ってしまっていた。 そして、僕は加瀬君を酷く傷付けたのだろう。 追いかけて、説明しないと。 説明? 「僕は、ホモです」とでも言えばいいのか? 失恋していて気が動転していただけかもしれない。 そこに、僕がそれを言ったらどう思う? 拒絶される? 今まで友人として側に居れた事すら無くなってしまうかもしれない。 僕は友人関係でも良かった。 そこに隠している恋心を伝えなくても、構わない。 でも、触れ合えた。友人を超えた触れ合い。 嬉しいのか悲しいのか、二度とこういう事は無いのではないか、 冷えた身に染みる様な感情で体が重い。 涙が溢れてくる。僕の意志とは関係なく、 僕の心をありのまま写すようにぽろぽろと涙がこぼれては止まらない。 明日僕は大学の授業が無い。明日、学校で加瀬君に会う事はない。 一度気持ちを整理してそれから加瀬君に会おう。 何を話すか、どう振る舞うか。 良い歳の男が、最善が何か浮かばない。 ただただ、やってしまった事に後悔している。 翌日の休日は、何をするでもなく加瀬君の事を考えては 叫びたくなるような感情に襲われて、ベッドに思いっきりダイブしては発散しごろごろして、 少し落ち着いたら、スマートフォンのメールを開いては閉じてを無駄に繰り返していた。 彼に何かを伝えたい。でも、伝えた事により今までが崩壊したら……。 それを避けたくてこうして考えているのに。 そう、くり返すだけ。 そうしていたら、もう夕方だ。 生きた心地のしないまま、今日を終えようとしている。 明日は加瀬君に会うかもしれない。 会ったらどうする?どう振る舞う? タイムリミットの針が脳内で小刻みに打ち鳴らしている。 僕は今、失恋したのだろうか? 自分の気持ちを見ないようにしてきたから、この気持ちがそういう物なのか合致しない。 そういう物かもしれないし、そうでないかもしれないし。 そういう時に思い出すのは、加瀬君だった。 加瀬君は昔はよく失恋したって言っていた。 フラれてしまう事ばっかりで、自分からふったことが無いと笑いながら、 「俺は一途なんだ」と加瀬君は強がってた。 ああ見えて気が小さいところがあるから影では凄く落ち込んでたんだと思う。 お調子者だし思いっきりが良いから、置いてかれちゃう子も居ると思うけど、 加瀬君は本当にいい子で。 僕も最初は彼の元気の良さについていくのが精いっぱいだったけど、 それで、彼を好きになった。 彼と居ると元気をもらえる、明日も頑張ろうと。 何がきっかけじゃない、一緒に過ごしていく内に芽生えた秘めたる思い。 僕は胸を張って加瀬君を好きになったと言える。 彼が彼女と長く付き合えてることを本当に喜んでいて、 僕はそこに嫉妬という気持ちが無いと言えば嘘になるけど、 幸せそうな彼を見て、それで満足出来ていた。 満足していると思い込めていた。 正直言うと彼が別れたと言った時、嬉しいという感情が全身に駆け巡った。 それを理性で消して、彼の気持ちを聞き入った。 僕は彼に思いを伝えるつもりはないし、この関係で良いと思っている。 そう念仏の様に唱えては、精神を落ち着かせていた。 彼が泥酔した辺りから、もう彼への思いは封印出来て、友人として過ごせていた。 僕はいつもこうして、彼と友人でいた。 特に違和感はない。こうすることが最善だと僕は理解していたから。 でも、加瀬君は僕にキスをした。 初めて相手に僕の気持ちが伝わった。そんな気がした。 僕はそれを喜んで受け入れるつもりだった。 もう、今しかない。今気持ちを。そう思った。 でも、僕はこうして一人で悩んでいる。 あの一言さえ言わなければ。 うつぶせになって枕に頭を思いっきり突っ込んで、心の中で絶叫した。 リリリ、リリリとスマートフォンが電話の着信を告げた。 それに吃驚して、画面も見ずにすぐに応答した。 何もかも自分は今正常ではない、焦った気持ちがそのまま出てしまった。 「永石です!」 誰からとも解らない電話に、勢いだけで答えた。 「あ……永石さん……おれっす。加瀬っす」 加瀬君?口がぽっかりと空いたまま何も声に出せず、気まずい沈黙が三秒ほど続いた。 「あの、呑み会、これから友達二人と呑むんですよ。来ません?」 沈黙三秒で音を上げたのは、加瀬君らしいなと思った。 加瀬君は、話が絶えず続かないと不安になるタイプだからだ。 それにしても、呑み会に誘う彼の真意が解らない。昨日の事ではなく。呑み会。 加瀬君は加瀬君らしく、思考を巡らせて僕に電話をかけたのだろう。 僕に電話をしたって事は、僕に何かしら伝えたいためだ。 それが、呑み会か。加瀬君らしいと思わずくすりと笑って、 「いいよ、場所は何処だい?」 そう言って僕はメモを取り出した。 「待ってるよ」 と加瀬君はほっとしたような声を出していた。 「かんぱーーい」 加瀬君の友達と加瀬君が元気よく、ジョッキとジョッキをぶつけ、ビールの泡が波立ってこぼれた。 わっとと、とジョッキに口を付け、口の周りを泡だらけにした顔を見合わせて三人は笑った。 加瀬君の友達は、藤村君と沢田君で加瀬君の同じ学科同級生だと二人が楽しそうに教えてくれた。 とても陽気な二人で、その二人の掛け合いが漫才の様で愉快だった。 「永石さんって、前は務めてたんだってな」 「何の仕事してたの?」 藤村君と沢田君か重なる様に聞いてきた。 二人は、阿吽の呼吸で質問をするので、なんだか一人に聞かれている様な錯覚になる。 「営業だよ」 二人は同時にほーなるほどと深くうなずいた後、 「向いてそうだ」 と同時に言った。それがまた可笑しい。 「しかも成績良かったらしいよーー」 と加瀬君が悪乗りしてきた。 マジかーーと二人は、内部を見透かしてやろうと言わんばかりに まじまじと僕を見た。たまらず恥ずかしくなった。 「永石さん自慢してましたから!そーとーっすよ~~」 加瀬君はにやにやと笑いながら、二人を煽った。 もーーと僕は思わず膨れた顔を見せて笑った。 昨日の事はなかったかのように過ごせている。 僕が今日一日悩んだことは、無駄だった。 加瀬君とまた友人で居られる。 加瀬君もそれを伝えたくて僕をこの呑み会に誘ってくれたんだと確信した。 僕たちはもとの友人に戻れた。 嬉しくて嬉しくて、お酒も食べ物も何もかもとびっきり美味しく感じられた。 「じゃー、気を付けてなー」 店の前で藤村君と沢田君と別れた。 彼らはだいぶ出来上がっていて、二人でもたれかかるように僕らとは反対方向に歩いていった。 「大丈夫かな、あの二人」 「いつも、ああだから大丈夫」 加瀬君は慣れたように返した。 この居酒屋は藤村君と沢田君と呑む時は絶対ここらしい。 美味しい安いのは勿論なのだが、ちょうど路線の違う二駅の間に在って 僕と加瀬君の路線と藤村君と沢田君の路線の間だからだそうだ。 「帰ろうか」 僕はそう言って、この商店街の奥にある駅の方へ足を進めた。 横に並んで少し歩き始めた頃、 「なんで、上手くいってた仕事辞めたの」 加瀬君が思いついた事を話すように聞いてきた。 「プライベートに口出しされない為かな」 僕もさらっと返した。 そうプライベート、趣味。違う。性別的な。男色。 僕が加瀬君に抱いている事に関連していたから、深く伝えないように誤魔化して答えた。 僕が会社を辞める原因だ。一人にそれを勘づかれてしまったのだ。 気配りが出来て面倒見の良い、とても良い人だった。 人の細部に気が付き、そしてそれをよく動かそうと努めてくれる、人として優れた人。 僕も頼りにしていたし、周りも支柱として捉えていた。 その人が言いふらすような事はない。絶対にありえない。 多分それを知って何か僕にしてあげたかったんだと思う。 そういう人だったけれど、僕は怖くなって辞めた。 今思えば、辞めるまでの決断はしてなくてよかったのではないかとか思わなくもない。 その後大学に入ったのは、はっきり言って気が動転していた。 自分の居た世界から離れたいと思った、それが学生だっただけで。 勘づかれてから正しい判断とは一線を外れた選択ばかりしていたように思う。 でも、おかげで学ぶことは好きだし楽しい生活が出来ていた。好きな人も出来た。 この選択は失敗はしてはいない。 それだけは、自信をもって確信している。 ふと、振り向くと加瀬君が立ち止まっていた。 そして、じっと僕を見ていた。 今まで呑んでいた雰囲気とは違って真面目な顔をしていた。 加瀬君が真面目な顔をするのは、僕もと殆ど見た事が無い。 シャッターの閉まった商店街にぽつんと二人が立ち止まった。 やな予感はする。 「どうしたの?」 意を決して、聞いてみた。 「いや、あのさ。……昨日の」 悪い予感は大当たりだ。こんな時に当たってほしくない。 僕は正直触れてほしくなかった。 このまま友人で居られると感じられた後に昨日の話をしてほしくなかった。 僕は加瀬君から目線をそらしたまま、黙った。 お願いこれ以上は、言わないで。そう念じて、言葉は何も出なかった。 「ビックリさせたよね……でも、俺」 加瀬君が言葉を詰まらせながら一生懸命何かを伝えようとしてくれている。 言葉が詰まる度に、彼に悶える様な不安感が襲っているのが解る。 伝えなきゃ。僕が気にしていない事。これまで通りに過ごしたい事、全部全部。 「僕は気にしてないよ」 言葉を尽くさず、今思いつく最善の答えを発した。 だが、これでは気にする。もっと柔らかく、この場を和ませなくては。 いつもは回さないような気を回して、僕は思考を巡らせた。 加瀬君となんの後腐れも無く今まで通り過ごせるようにする為に、最適な言葉を探した。 何秒経ったかも解らない。もしかしたら数分。 沈黙を無くさなきゃ、加瀬君が不安になる。 「キミもそういう趣味かと思ったよ」 いつもより自分が笑っていると実感できるくらいの笑顔で僕は言った。 渾身の冗談だ。 「も?」 加瀬君がきょとんとした目で僕を見ていた。 ん?面白くなかったか?そういうジョークあるよね? 自分の冗談のセンスが無いのはよく知っていたが、ここまできょとんとされるのも なんだが、恥ずかしい。 「永石さん、ホモなの?」 え?え?え? そう脳内で三回唱えた後、自分がしでかしたことを理解した。 そして、真っ青になっている。顔の筋肉がこわばってる、表情が何も作れない。 これでは、そうだと言っている顔になっている。 とりつくろわなきゃと焦る姿をすればするほど、加瀬君はそうだと確信していくのが解った。 ひとしきり焦った後、ただうなだれて僕は立ち尽くした。 やってしまった。 ただただ長い沈黙が続く。 加瀬君が沈黙が苦手なのが良く解る。どうしたらいいか解らなくなる。 そして僕の目はに涙が徐々にあがってきて、どうしたらいいのか神様に祈りたくなった。 「俺、良いと思いますよ。そういう永石さんだから好きだと思ったんだもん」 加瀬君はそう言って、僕の手を握った。 そして、優しく身を寄せて抱きしめた。 今まで抱え込んでいた、抱え込んでいるとも思わずにしてきた思いが溢れてきて、 真っ暗な空に向かってわんわんと泣いた。 加瀬君の身体が暖かい。そして自分を感じていてくれている。 加瀬君の中に僕が居る様な感覚。 目が開かないほどの涙が頬を伝い顎を伝って、加瀬君の服に零れて染みこんでいく。 僕の思いが染み込んでいく。 自分が泣く声が静かになった商店街に響いているのが解っても止まることなく溢れてくる。 加瀬君が僕をどう思っているのかは解らない、でもそのままの僕を見てくれているのは感じていた。 そう思うと、止めたいはず涙もどんどん出てきて声もどんどん大きくなって、泣きたいだけ泣いていた。 自分の感情を出したい分、今まで隠していた分、全部出して泣いた。 僕は今、思いを全て出し切った。 言葉では無いから、伝わっていないかもしれない。 でも、溜まっていた物全部、加瀬君にぶつけた。 そんな涙だった。 「俺の事好きだったんですか?」 僕に顔を近づけて、無邪気そうに笑った。 目が真っ赤に晴れて、視界もぼんやりとしているが、 彼がおちょくっている顔をしているのは良く解った。 こうなったら言ってやると 「好きです。ずっと好きです」 腹の底を抉り出すように言葉にした。 言ってやったぞと僕は加瀬君の目をじっと見た。 それを見て、へへっと笑って僕の頭を撫でて、 「それは失礼」 と満足気に加瀬君は僕に笑いかけた。 そして僕は、いつもの通り、笑い返した。 終わり

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