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後編

「あ、でも銀50匁は流石にないな。20匁なら、この間写した蘭学の本で稼いだのが何とか……」 「先生あほぅやね。兄さんにからかわれたんよ。銀50匁なんて頂くのは、歌舞伎座の太夫くらいしかあらへんえ。舞台に立つ陰間は舞台子言うて、そらお値段しますけど、舞台に立たないただの陰間は、そこまで高うないよ」 「そうなのか……」  ホッとしたが、千吉の口から生々しい陰間の事情を聞いて何やらモヤモヤしてしまう。千吉は贔屓目ではなく、美しい。  こうやって歩いているだけでも、道行く老若男女がうっとりと千吉を見ている。 (千吉はもしかしたら、普通だったら私なんて声が掛けられないほど、人気の陰間なのかもしれない)  草次郎が気鬱な思いに囚われていると、千吉が赤い瓦の小洒落た茶屋の前で足を止めた。   上を向けば『吉野屋』という看板が掲げられているのが見える。 「先生は、ここで待っとって」  そう言うと、千吉は一人、店の暖簾をくぐって中に入ってしまった。  暫く待つと、涼しい顔で戻って来る。 「二階行こう」  言われるがまま手を引かれ、玄関を通り過ぎ狭い階段を上った。  途中玄関先で待っていた店の主人らしき人が少し困り顔でこちらを見ていた。  慌てて挨拶をしようとしたが、千吉が「こっちこっち」と有無を言わさず腕を引っ張るので、ろくな挨拶も出来ずに通り過ぎる。 「千吉、主人にご挨拶しなくては」 「ええんよ。今日は本当は休みやし。揚げ代さえもろたら、かまへんって言うとった」  そんなやり取りをしながら階段を上ると、2階の小座敷に着いた。  衝立の向こうから厳つく赤黒い、背の大きな男がニョッと姿を見せる。 「布団、引いといたぞ」 「おおきに、喜助」  喜助と呼ばれた大男は、すれ違いざまギョロッと草次郎を睨むと、そのまま階下へ降りていった。 「今のは……」 「喜助?『まわし』言うて分かる?向こう(京)では金剛、言うみたいやけど。陰間の身の回りの世話は、なんでも『まわし』がやるんよ。知らへんかった?」 「いや、その……随分、親しげなのだな」  思わず口に出してしまってから後悔した。  案の上、千吉はきゃらきゃらと笑いながら言った。 「『まわし』と陰間は兄弟みたいなもんやから。まあ、仲良いと言えば良いかもしれんね。色々助けてもろうてるし」  口調の端々から、喜助に心を許しているのが分かった。  何となく、千吉が自分以外に頼る人がいたのに衝撃を受けた。  それどころか、この六年間、草次郎は千吉を助けにも来ないで京でぼんやり過ごしていたのに、喜助は影でずっと支えていたのだ。  急に自分の行いが、身勝手で恥ずべきものだと思えた。ここにいること自体がおかしな事なのかもしれない。今すぐ京に逃げ帰りたい気持ちになる。  所在なさげに草次郎が居心地悪くしていると、千吉がくすりと笑って腰を落とした。 「なんや、先生、嫉妬してくれたん?」  振り袖が布団に投げ出され、衣擦れの音が妙に響く。  草次郎は、目の前に布団が引かれている事に今更ながら驚いた。 「あ……」  草次郎の視線に気付いたのか、千吉の瞳に悪戯そうな色が浮かぶ。 「先生、私を水揚げしてくれたんやないの?」 「いや、ただ、君とゆっくり話したかったんだ……なんだったら、君も少し休めるかなぁと思ったんだが、逆に休みを邪魔して申し訳ないとしか言いようがない……」  そう言うと、千吉が少しむっとしたように唇を尖らせる。まるで口吸い(キス)を強請るような唇の形にドキリと息を呑んだ。 「先生、いけずやなぁ。……なぁ、そんなら一緒に布団の中で休も?」 「え、いや、それは……」  千吉が後ろを向いて、振り袖を脱ぐ。その所作と背中の美しさに暫し呆けるように見つめてしまった。  肌着になった千吉は布団の中に潜り込むと菩薩のような微笑みで草次郎を呼ぶ。 「ほら、先生、こっち」 「あ……だが……」 「先生」  呼びかけは優しく、だが有無を言わさぬ響きがあった。  草次郎はのそのそと千吉の隣に潜り込む。正直に言えば、草次郎は女性ともこのような事態になった経験がなかった。  千吉はただの教え子だと分かっていても、そこかしこに色事を感じさせる陰間茶屋という場所に、この美貌だ。  意識するなという方が無理だった。 「先生、あったかいなぁ」  千吉がするりと足を絡めてきた。すね毛などない、つるつるとした柔肌の感触に思わず「ひっ」と悲鳴を上げる。 「なんや、先生、生息子(童貞)みたいな声だして……」  千吉が呆れたように言ってくるが、草次郎は最早声もでない。ひたすら顔を赤くする草次郎に見て、紅をひいた唇が妖しく微笑んだ。 「んふふ、先生、もしかして生息子のままなんか。可愛らしいなぁ……」  千吉の美貌がゆっくりと近づいてきたかと思ったらいつの間にか口を塞がれていた。  柔らかな唇が、嬲るように草次郎の下唇を食む。次いで上唇。そして、小さな舌が歯の裏、頬の裏と形を確かめるように、順番に舐め上げた。 「……っん!なにを!!……っ!ふぅ……ん、ん、はふ……」  ピチャピチャと音を立てて、千吉の舌が草次郎の口の中を味わうように口吸いする。  草次郎は何がなんだか分からず、息も出来ずにひたすら喘いだ。 「っ、く、くるひ……んっ……」 「……んっふ、先生ェ、息は鼻でするんよ。ほら、鼻ですうって、吸ってみぃ」 「ん……」  言われるがまま、すぅっと、大きく鼻から息を吸った。 「お上手」  千吉は囁くようにそう言うと、その息さえも全て奪い去ってしまうかと思う程激しく、齧りつくように草次郎の唇を貪る。 「……っ!んんっ!……っんあ!っ……はっ!」  あまりの息苦しさに思わず千吉の肩を押しやると、千吉も肩で息をつきながら、やっと離れてくれた。 「んふっ、せんせぇ、口吸いも初めてなんやね。ねぇ……今度は、こっち、吸うてあげよか?」  そう言うと、千吉は桜貝のような爪の裏で草次郎の膨らんだ竿を褌の上からツッと撫ぜた。 「……っ!だ、駄目だ!」 「なんで?私、魅力、あらへん?」  潤んだ真っ黒な瞳で見つめられれば、こちらから同衾をお願いしたいと頼み込みそうになる。だが、千吉はあくまで草次郎の教え子だった。  ここで同衾してしまえば、草次郎は千吉の数ある客の一人になってしまう。  それだけは、どうしても嫌だった。 「千吉、お前は……私の教え子だ」 「でも……私はもう寺子屋へは行けんよ」 「それでも……、お前は私の可愛い教え子なんだよ」  千吉に言い聞かせているうちに、だんだんと草次郎自身も落ち着いてきた。  ゆっくりと息をはき、千吉の美しい顔を見つめ返す。 「恥を忍んで会いに来たが、分かったのは、お前の役に立てないという事だけだ。情けない師で申し訳ない。せめてまた、金を貯めたら、お前を水揚げしていいかい?そして、その時こそ、ゆっくりと身体を休めておくれ。お前の師として……いさせておくれ」  これは草次郎の意地でしかないのかもしれない。肉欲目当てと思われたくない、千吉を心から心配しているのだと、分かって欲しかった。  千吉は瞬きもせず草次郎の言葉を聞いていた。  暫しの沈黙の後、やがて、聞いたこともないような低い声でなにか言った。 「……ろ」 「え?」  よく聞こえずに顔を乗り出すと、矢でも射るような瞳で草次郎をまっすぐ見ながら、はっきりと言った。 「御託はいいから、さっさと尻(けつ)を掘らせろ」 「……え?え?」  何かの聞き間違いではなかろうかと思ったが、千吉の目は明らかに物騒な光をはらんでいた。 「手始めに筆おろししてやろうと、それらしく大人しくしてれば。相変わらずお堅いのう、先生。まあ、そこが可愛いんじゃが。まだるっこしいのは、やめだ、やめだ。俺の本願、さっさと叶えさせてもらうぜ、先生」     ※※※ 「……っ!っあ、ああ、あん、や、もうっ!」 「やっぱりな、寺子屋時代から先生の後ろ姿見る度に、いい尻してんなぁって思ってたんだ。こりゃ上品(じょうぼん)だ。柔らかくて襞が吸い付いてきやがる」 ーーどうしてこんな事になっているのか?  草次郎は必死に考えるが答えは一向に分からない。  気がつけば千吉に尻を突き出すポーズを強要され、千吉がなにやら糊のようなものを尻の穴に塗りこめられたかと思うと、尻の穴を指で弄り倒されている。 「陰間に成り立ての頃はゆっくり何日もかけて、尻の穴をこうやって解していくんだ。でも、先生はもう大人だし、大丈夫だろ?それに、もうココで感じてるたァ、大した才能だぜ」 「ーーっあぁ!」  増やした指で陰嚢の裏を擦られ、草次郎は堪らず声を上げた。  そう、恐ろしい事に、確かに尻を指で擦られる事の強烈な違和感は最早無くなっていた。  それどころか、糊のようなものを尻の中に塗られてから、何だかソコが熱くて痒くてたまらない。そこを、指で擦られると、堪らなく気持ちいいのだ。  今にも「もっと」と強請ってしまいそうになるのを、草次郎は必死で抑えていた。 「ほら、先生ぇ、見てご覧よ。あんたの中に、もうこんなに入るんだ」  そう言うと、千吉は草次郎の顔の前に自分の三本の指を見せてきた。  指の間は糸を引き、何の液か分からないものでぐっしょりと濡れている。  細く長いその指で、普段は三味線を引いているのかと思うと、頭が沸騰しそうになった。 「なんでえ、恥ずかしいのかい?これから、もっと恥ずかしい事するんだが。俺がまだ陰間(こども)で良かったな、先生ェ。これだけ、慣らせば簡単に入ると思うぜ」  そう言って千吉は裾を捲り、自身の竿を取り出して見せる。  姫のように着飾った千吉の裾を割って出て来たソレは、身体とは不似合いな立派なモノで草次郎は恐怖に震えた。 「う、嘘……お、っき、過ぎる……」 「おや、そんな褒めねえでおくれ。照れちまう。まあ、これのお陰で俺はこの歳で女客も相手したことあるんだ。慣れてるから、痛くはしねぇよ」 「な、なん……で」 「何故って?寺子屋にいた時から、さんざ俺が色目使っても気付きゃしねえ。あんた、その顔だ、自分がモテまくってんのも気付いてねえだろ。あんたの親父さんが、お前に近寄る女も男も撃退してたうちは良かったけどよ。親父さんが死んで、あんたが寺小屋継いでからは俺が全員おっぱらってたんだぜ」  何もかも寝耳に水過ぎて、意味が理解出来ない。草次郎の父は儒学者だった。色事に非常に厳しく、自慰も強く禁止されていた。なので、草次郎は女人に触れる事さえせず、この年まで来てしまったのだ。そもそも金もない自分に嫁に来ようなどという奇特な女性などいるはずもない。 「俺がこっち売られて来ちまったから、後家さんにでもとっくに喰われちまったかと思ってたが、嬉しい誤算だぜ。俺の年期が終わったら、あんたに嫁がいようがいなかろうが、ぶち込みに行こうと思ってたが、こんなに早くあんたの初めてが貰えるとはな……、なぁ、先生こんなめでたい日に、偶然あんな所で会えるなんて、俺達、前世からの縁があるとしか、思えないなぁ?」 「……っ!」  千吉の熱いモノが、草次郎の尻の狭間に宛がわれる。ドクドクと脈打っているのが、粘膜ごしに感じられ、そこだけ火が灯ったように熱い。 「なあ、先生……俺の事、気にしていてくれたから、俺に声をかけてくれたんだろ……?俺はこの地獄の中で、先生といつか会える日を夢見て生きてきた……。先生とまた再会出来るって思ってたから、頑張ってこれたんえ……」  後ろから覆い被さられながら、また口吸いされる。千吉のモノと同じくらい熱い眼差しで見つめられ、草次郎は思わず本音を漏らした。 「私だって……ずっとお前が心配だったんだ……思わず、年越しの忙しい時期に、江戸に向かって旅だってしまうくらいは……お前の事を考えていたよ……」 「あぁっ、せんせぇ!!」  千吉は感極まったように、熱く高ぶった竿を、草次郎の割れ目に押し込んでくる。 「ーーっ!ん、ぎぃぃっ!」  痛みというよりも、強烈な圧迫感が草次郎を襲う。  身体の中に火かき棒を押し込まれているのではないかと思うほど熱かった。  灼熱に燃やされ、下半身が痺れてくる。 「あ、あぁーーっ!あぁーーーっ」  身も世もなく叫ぶ、草次郎に千吉の申し訳なさそうな声が重なる。 「っ、すまねぇ、先生。くそっ、俺とした事が我慢出来ねぇっ、ここ、擦るとっ、ほら、楽になるだろっ?」  千吉が火かき棒で中を擦ってくる。そうされると、確かに堪らない心地になり、自然と声に甘みを含む。 「んぁっ、ひぁっ、あ、ああん、そ、ーーぁあっ!」  まるで女子おなごのような声が自分の口から出ることが信じられない。  衆道がどういった事をするかは理解しているつもりだったが、まさか自分自身がこんな事になるなんて思いも寄らなかった。  自身の尻の中に、こんな快楽を感じる場所があるのが信じられなかった。 「そう、せんせぇ、ここ、こう、擦ると、お漏らししたなるやろ?ええんよ、我慢せんといて」  浅いところを擦らせて、そうかと思うと奥深くまで穿たれた。  自分の中を、千吉が余すとこなくかき回す。恐ろしい事にその全てが、堪らない快感だった。 「っあ、ぁあっ!き、きちゃうぅ、ん、ひっぁいっ!!」 「はぁ、はぁ、ええよ、せんせぇ、……っ、はぁ、くそ、たまんねぇなっ、せんせぇ、可愛い……先生……っ!」 「ーーーーっ!!!」  奥深くを穿たれ中が一際熱くなったのを感じ、千吉は震えながら気をやった。白濁が襦袢を濡らす。 「はぁ、はぁ、せんせぇ、好きだ……せんせぇ」  千吉は中に入ったまま、草次郎の顎をつかみ、感極まったように口吸いを繰り返す。  必死な顔の千吉を遠くなっていく意識の中で見つめながら、「私も」と、返せたかは、分からなかったーー。    ※※※ 「可哀相に、先生はお前が可哀相な陰間だと思って抱かれたんじゃないのか?」  どこか、遠くで音が聞こえる。 (この声は、さっき会った『まわし』の喜助?)  どうやら、あの後意識を失い、草次郎は千吉の膝の上で寝かされているらしい。  柔らかな白檀の香が仄かに薫って気持ちいい。ひとまわり下の少年に、こんなはしたないことーーと、思うが、瞼が重く目が開かない。  まだ頭は覚醒せずに、微睡の中、音だけが耳に入ってくるーー。  「それで、抱かれてくれるなら、重畳さね。先生がまだ江戸に来たばかりの時に会えて助かったぜ」 「ここの主人が困ってたぜ。とっくに紀ノ国屋に引き抜きされて、今や舞台役者の憧れの的、天下の女方、沢村吉屋と言われているお前が、今更、しかも正月に、揚げ代は自分が払うからと男連れ込んで……お前、ここの陰間連中と羽子板してただろ。あいつら面目まる潰れでカンカンだぞ」 「ここにいる時の先輩だったんだよ。正月の挨拶しに来ただけで、喧嘩売ってきたからよ、そりゃ買うってなもんだろ。あいつらの顔、墨だらけにしてやろうとしたら、先生に会えたから、寧ろこっちは感謝してるぜ」 「……これが、舞台ではおしとやかな美女になっちまうんだもんなぁ」 「当たり前でぇ、俺は役者だぜ。見てろよ、喜助。俺は千里の遠い田舎まで名が知れるような役者になるぜ。そんで、金ガッポリ稼いで、先生と商売始めんだ。あ、でも、先生の顔を店先に晒すのは心配だな。裏で金勘定だけしてもらって……お前は店子で雇ってやってもいい。ただし、先生に手出したら殺す。目を見ても殺す」  「んな、無茶な……」  喜助と千吉はまだ何やら言い合っているが、  草次郎は既に再び夢の中にいた。  千吉が背の高い立派な青年になり、色鮮やかな袴を纏って、美しい呉服を売っている。  その店の奥で、草次郎はそろばんを弾いていた。そしてたまに、千吉と目が合うと、こっそりと笑いあうのだ。  なぜか、その夢には会ったばかりの喜助もいて、その様子を店先で呆れたように見ている。  なんだか、不思議で幸せな夢ーー。 「おい、あんたの先生、なんか笑ってねぇか?」 「ん?起きたか。いや、寝てるな。いい夢でも見てんだろ」 「よかったじゃねぇか、悪夢みたいな出来事の後に、いい夢見れて」 「おい、そりゃ、どういう意味でぇ。まあ……可愛い寝顔に免じて許してやらぁ、全く、どんな夢見てんだか」 ーー正月に見る夢は、正夢になると言う。

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