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第1話

「フラれた……!」 「そのうちまた良い人に会えるんじゃないですかね」  あらかじめ醤油に漬けていたマグロの刺身を炊き立てのご飯の上に盛りながら返す。  幼馴染の夏樹(なつき)は、眉を八の字に下げて、見るからにしょげている様子だった。  彼が「可愛い彼女ができたんだ! すっげえ乳がデカくってさぁ!」と、嬉しそうに話していたのは、はてさて何カ月前だったか……。  彼女にフラれただとか妹と喧嘩しただとか、なんやかんやで、夏樹は私の家に上がり込んでいることが多い。まあ、遊びに来てくれるのはいっこうにかまわないんだが、しょげられっぱなしも困る。  熱々のほうじ茶を丼に注げば、マグロが少し白く変わり、湯気と共に、醤油の芳ばしい香りが部屋中に広がる。これだけだとさみしいので、きざみのりと花あられも入れておくか。  私がマグロの茶漬けを作っている間に、夏樹は缶チューハイを三本空けていた。  酒に強くない彼は既に顔が赤くなっていてわかりやすい。 「これ、食べますか?」 「おっ! 茶漬けか! やったー!」  夏樹は丼を受け取り、人懐こい笑顔を見せる。さっきまでしょげていたのが、まるっきり嘘のようだ。  次々に口に入れ、にこにこしている。なんだか嬉しそうだ。作ったものを美味そうに食べてくれるのは、こちらとしても嬉しい。 「美味しかったー! ありがとな!」 「どういたしまして」  肴になるようなものでも作るか、とも思ったが、彼は茶漬けを食べたし、もう飲まないはずだ。それに、夏樹が買ってきた缶チューハイも、私が一口飲んだ飲みかけの分しか残っていない。  放置されたままの缶チューハイに手を伸ばす。室温で少しぬるくなったが、悪くない。甘さが更に強く感じられるくらいだ。これくらいの度数だと炭酸飲料と変わらないな……。  夏樹はすっかり酔っているようで、口をゆるゆる動かしていた。 「小焼(こやけ)。相変わらず綺麗だよなぁ」 「急に何言ってるんですか」 「料理もできっし、芯がしゃんとしててブレねぇし、顔が超綺麗だし、おっぱいもデカいし、こりゃあ、『好き』としか言えねぇな!」 「はいはい、わかりましたよ」  完全に出来上がってしまっている。よくここまで酔えるものだと感心するし、少し羨ましくなった。 ここまで出来上がっていたら急に寝落ちる奴だから、適当に相手しておくか。 夏樹の優しげに垂れた大きな目が潤んで光って見えた。なんだか犬のように見えてきたので、彼の頭を撫でてみる。彼はへにゃっと破顔した。 「へへっ、頭撫でてくれんのか」 「ご機嫌ですね」 「おう! 小焼に撫でられて嬉しい! もっと触ってくれ!」  無いはずの尻尾が見えた。くるんと巻いた尻尾をぶんぶん振っているような気がする。何かに似ている……ああ、芝犬だ。頭の片隅で思い出した。  もっと触ってくれって、どういう意味なんだか……。不意に、夏樹の手が伸びてきた。耳を撫でられて少しくすぐったい。 「おれがあげたピアス、つけてくれてんだな」 「楽なんですよ、これ」 「嬉しい!」 「そりゃどうも」 「なあ、小焼……。あのさ……」  でれでれと破顔していた夏樹だったが、急に真面目な顔になった。  何かを言いたそうにしているので、黙って彼の次の言葉を待つ。 「おれ、小焼のことが……好きだ」 「前から言ってるのにまだ言うんですか」  夏樹は昔からけっこうな頻度で、私に「好き」と言ってくる。悪い気もしないし、嫌われているよりは良いと思っていた。だが、今日はいつもと様子が違う。考えている間に、耳を撫でていた夏樹の手が私の頬に添えられる。唇にやわらかい感触。微かに移る熱。キスされたことに気付くのに数秒かかった。 「おれ、小焼とセックスしたい」  突然何を言い出したんだ? 聞き間違いか? 「今、何と言いました?」 「だ、だから、おれ、小焼と……セックスしたいんだってば! 何回も言わせんなよ恥ずかしい!」 「セックスしたいって……男同士ですよ?」 「う、うん。男同士でも、できっから……だめ、か?」  くっついてきて、見つめられる。本当に人懐こい犬のようだ。頭を撫でてみる。尻尾があればぶんぶん振ってるんだろうな。 「なあ小焼、したい」 「そう言われてすぐできるものじゃないでしょうに。あと、セフレなんて絶対に嫌です」 「じゃ、じゃあさ……、おれと付き合ってくれ!」 「はあ?」 「恋人なら、そういうことしても良いんだろ? おれ、小焼のこと、ずっと、ずっと、前から好きなんだ」 「ゲイなんですか?」 「小焼だから好きなんだ。おれは巨乳の女が好きだぞ! 小焼も巨乳だよな! えへへっ」 「胸ばかり見てるからフラれるんですよ」  夏樹に彼女ができてもフラれる原因のひとつはそれだと思う。つい、胸ばかり見てしまうらしい。  無意識に「おっぱい……」と言ってる時があったな。あれはレポートの締め切り前だったか。 「小焼ぇ、好きぃ……」 「急に酔い潰れるな!」  まだ話の途中なのに、夏樹はむにゃむにゃ言いながら倒れてしまった。  私に言ったことを明日の朝覚えていたら、付き合うかどうか考えよう。セックスしたいっていうのは、いまいちわからないが、夏樹のことは嫌いではないし、気心の知れた間柄だ。  彼をベッドに寝かせて布団をかけてやる。 「小焼の匂いがするぅ……」 「そりゃ良かったですね」 「ん。大好きな匂いだ」  なんと言い返してやれば良いかわからないので、頭を撫でておこう。規則正しい寝息が聞こえてきたところで離れる。すっかり常温になってしまった缶チューハイをあおってから、私も彼の隣で横になった。

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