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 パタパタとスリッパが立てる軽快な音のあと、母さんがひょっこり顔を出す。 「あんた、あんな傘持ってたっけ」 「あー、うん。壱人に借りた」 「あら。壱人くんの?」 「正確には壱人の彼女の」  母さんは俺の返事に納得したようで、話題は傘から俺と壱人のことに飛び火した。 「そう言えば壱人くんはいつも可愛い娘を連れてるわね」  続けてあんたも頑張りなさいよと人ごとのように言われたけど、何を頑張っていいのか今の俺にはわからなかった。 (母さん……。あんたはなんでそんなに空気が読めないんですか)  母さんが悪いわけじゃないのに、思わずそう心の中でを独りごちる。家に帰って来て姉ちゃんの顔を見て、壱人と彼女、彼女の赤い傘のことも忘れられたのに。  思い出すのは彼女を懐に抱き入れた壱人の姿。彼女は俺に貸してくれた赤い傘より、俺にとっては何倍も羨ましい傘を持っている。  彼女の身長は俺と同じくらいで、一瞬、壱人に後ろから抱かれているところを想像して胸が跳ねた。彼女に差し掛けられた壱人のワイシャツとたくましい腕で作られた特別な傘は、他のどんな傘にも敵わない。  そうして、その傘が俺に差し延べられることはない。わかっているのに、そう考えるとまた胸が痛む。 「壱人くん。また彼女できたんだ」 「……うん。そうみたい」 「これで何人目?」 「さあ……」  いちいち数えていられるか、そう言おうとしたけど、それは声にはならなかった。姉ちゃんは知っている。俺が壱人を好きなこと。  初めて壱人に彼女ができた日。その瞬間に偶然、俺と姉ちゃんは立ち会った。電撃的なショックを受けて固まったままの俺を見て、姉ちゃんはきっと俺の気持ちに気付いたはずだ。  その夜、姉ちゃんが俺の部屋にやってきて、一冊の漫画本を貸してくれた。それは同人誌と呼ばれるもので、ページをめくった瞬間、目に飛び込んできた場面に面食らう。男同士でキスをしていた。その漫画はボーイズラブというジャンルだと教えてくれた。  今でこそおおっぴらになったジャンルだけど当時はあまり知られてなくて、いわゆる腐女子である姉ちゃんは、面食らっている俺に少し笑って話し始めた。

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