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姉ちゃんの話の内容がどんなだったか、実ははっきりとは覚えていない。自分の邪 な気持ちに気付いたその日に見せられる物にしては、その漫画は少々刺激が強すぎた。ただ一つだけ覚えているのは、
「ねえ、泉。恋するのにはね。男も女も関係ないんだよ」
そう言って笑った姉ちゃんの優しい声だけだ。続けて、
「恋することはやめられないからやめちゃだめだよ」
そんなよくわからないことを言われたっけ。
当時の俺は壱人に対する気持ちもまだ半信半疑で、姉ちゃんの言ったことはよくわからなかった。ただ、時間が経つに連れて自分の想いを自覚した。そのたびにその言葉の重さに縛られる。
絶対に叶わない恋なのに、恋することに何かの意義があるんだろうか。どんなに壱人を想っても、この想いは壱人には届かない。ぼんやりしている俺のことを心配してか姉ちゃんが、
「大丈夫?」
そう聞いてきた。
「え。何が?」
なんて笑ってごまかしたけど、どうしようもなく切なくて泣きそうだった。
「泉、あんた。借り物ならちゃんと乾かして綺麗にしときなさいよ」
母さんに促されて玄関へと向かう。玄関先に傘を広げてあらためて見たら、彼女の傘は普通の傘より少し小さな傘だった。鮮やかな赤い色といい、少し小さめの手頃なサイズといい、この傘は女性用なんだろう。
ふと、それでも自分にちょうどのサイズだったことを思い出して少し笑った。自分はこの傘のお陰で少しも濡れることはなかったが、土砂降りの中を壱人と彼女が相合い傘で帰ったとして、そしたら壱人の半身は雨でびしょ濡れになっていただろう。
そんなことを勝手に想像して勝手に自己嫌悪。勝手にまた落ち込んで、目の前の赤い色をじっと見つめる。
(……返さなきゃ、いけないよな)
でも今は、壱人の顔も壱人の彼女の顔も見たくない。それでも明日になるとまた、嫌でも顔を合わせることになるんだけれど。気付けばやけに静かだが、もう雨はやんでいるんだろうか。耳を澄ませばきんと張り詰めた空気の音まで聞こえてきそうだ。
「泉?」
その時、背後から姉ちゃんの声がして、俺は振り向いてまた笑ってみせた。
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