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ちいさなわんこ

 昔むかし。この世界にはにんげんがいた。にんげんと犬は仲良しく暮らしていた。いい仲間だった。とても好きだった。いっぱい撫でてくれた。いっぱい抱きしめて貰った。ご飯をくれて、いつでも一緒だった。  いつだろう、にんげんがいなくなったのは。  犬おれ達はさびしくてさびしくて。何日も泣いた。  探して、探して。  それでもにんげんは見つからなかった。  おれ達は考えた。  もし、いつの日かにんげんが帰って来てくれたなら、その時には、おれ達がわかるように。にんげんがくれたこの形を守らなきゃいけないって。  人間がおれ達にくれたこの姿──血統。  おれ達は今でも、それを守っている。 ** ** ** 「いっただきまぁす」  ぱんって手を合わせて、にこにこしながら目の前の皿を見る。ああああ、いい匂いだなあ。くんくんって鼻を近づけて匂いをかぐ。そこにあるのは山盛りの茶色くて丸いカリカリ。  そう、これがオレのごはんです。  えへへ……って笑いながらカリカリを一粒取って口に運ぼうとして、ぴたっと動きが止る。  今日も、なん、だ、ね。  きっと、ざらざらと皿にカリカリを入れている時にやって来たんだろう。目の前の席にはいつもの三人組。  真ん中にいる目つきがきつくて態度が大きくて黒のまだら毛なのが甲斐影虎くん。右にいる怖い顔で不良っぽくて金のまだら髪なのが甲斐中虎くん。左にいる無表情で賢そうで赤のまだら髪なのが甲斐赤虎くん。  三人は甲斐犬で、すごく珍しいんだよね。  すごく頭が良くて、運動神経も抜群で、スタイルもよくて。  同族意識が強いから、三人いつも一緒で、他の犬種とは馴れ合わないっていうか……だから、なんでオレの前に座ってじっとこっちを見ているのか全然わかんないんだけど。  カリカリ、欲しいのかなぁ?  だけど三人の目の前には食堂のAランチの一〇〇パーセント牛肉ハンバーグがあって、黒い鉄板の上でじゅわじゅわ音を立てている。  オレは柴犬で普通の赤毛なんだけど、子供の頃から豆柴になれって言われていて、それで、食事は小さい頃からカリカリなんだよね。本物のお肉おいしそうだなって思うんだけど、それで大きくなっちゃったら、豆柴になれないしね。がまん、がまん。  そんなおいしそうなものを食べてる甲斐くん達が、なんでオレの前に座るのかよくわからないんだけど、最近、食堂でカリカリを食べてると三人はオレの前に座ってじっとカリカリを食べるのを見ている。  食堂のごはん買わないのに、席を取ってるのが気になるのかなあ。  視線を、そろおっと泳がせると、生徒会の人達が親衛隊の作ったお弁当を広げている。食堂のごはんは高いからって、購買でパンを買って来て食べてる人もいる。うーん。やっぱオレだけじゃないよなあ。  困ったなあって思いながら、カリカリを口に入れる。  あ、おいしい。  えへって、つい顔が笑ってしまう。  やっぱりご飯はいいものだよね。量が少ないから、よく噛んで食べないとね。もぐもぐと一粒を大事に食べる。  くわって、甲斐くんたちの視線が怖くなった。  びっくりして、ごっきゅんとカリカリを飲みこんでしまった。  変なところにカリカリが詰まって、けほけほと咳がでる。  すーって、目の前に水の入ったコップが差し出された。 「あ、ありがと」  ごくんと飲んで、それが目の前から差し出されたってことに気がついて、さあっと顔から血が引く。おそるおそる目をあげると、黒髪の影虎くんの前からコップが消えている。  うわ、影虎くんの水、飲んじゃったよ。 「あっ、あっ、ごめん、ごめんね。今、新しいの……」  立ち上がった拍子にカリカリの入った皿がひっくり返る。  テーブルの上にころころカリカリが転がった。 「わあ、」  何やってるんだ、オレ。ばらばらと広がったカリカリを集める。ああ、何個かテーブルから落ちちゃったよ。オレの貴重なご飯が。  慌てて皿に広がったカリカリを集める。 「ごめんね、ごめんね」  すうって手が伸びてきて、ころんころんと皿にカリカリを置いてくれる。ああって思って目をあげると、影虎くんが立ってカリカリを拾っては皿に入れててた。なんかすごく早い。ころころまだ転がって動いているのを、ひょいひょいつまみあげてる。 「あ、ありがと」  頷くと影虎くんが元の席に座った。  早く水を持ってこな……ふと見た影虎くんのAランチ、つまり一〇〇%牛肉ハンバーグの上にあるのは、あれは……オレの、カリカリ?  お肉の上のカリカリ、つまり、お肉風味のカリカリ。いや、カリカリだって元はお肉から出来ているんだから、あ、でも、このカリカリチキン風味だった。あれはビーフ風味。ビーフ、つまり、牛肉(ほんもののおにく)味だってことだよね。ぐるぐるしながらじゅわじゅわいってるハンバーグの上のカリカリを見る。ああ、それ、おいしそう。おいしそうだよ。つばをごくんと飲みこむと、視線を感じて目をあげる。  じいっと影虎くんがオレの顔を見てる。  は、水取りに行って来ないと……って思ってたら、赤虎くんがことんと影虎くんの前にコップを置いた。 「あ、あ、ごめんね。赤虎くん!」  赤虎くんはちらってオレを見ると、無表情のまま頷いた。  ああ、オレ、最低……。でも、どうしよう、あのカリカリ。  オレの視線に気づいたのか、影虎くんが自分のハンバーグを見てる。その上に乗ってるカリカリに気づいたのか、オレの方をじいっと見た。 「あっ、あの……もしかして、食べる?」  ギンって影虎くんの目が見開かれた。こわいこわい、影虎くん怖いよ。  そうだよね、本物のお肉食べれるんだもん、チキン味の穀物たっぷりのダイエット用のカリカリとかいらないよね。 「あっ、いらない……」  よね。って言おうとした瞬間に、影虎くんがフォークでカリカリをすくうと、ぱくっと食べた。  スローモーションで吸い込まれていくそれを眺めて、ぐうっと盛り上がる涙をまばたきで断ち切った。 「あう」  囁いたオレの目の前で、ごくんと音がして、影虎くんの喉が動いた。  ああ、さようなら、オレのビーフ汁(ほんもののおにくあじ)つきチキン味穀物たっぷりダイエット用カリカリ。  おいしいよね、それ、おいしかったよね。  すうっと影虎くんの切れ長の目がますます細くなって、口元が歪んだ。頭ががくんと落ちる。手ででその額を押さえて机にひじをついた。  なんか背中が微かに震えている。  あ、感動してる?やっぱ本物のビーフの味のついてるカリカリおいしいよね。それ、オレのだからね。オレのご飯なんだからね。  影虎くんの手が動いて、ぷるぷると震えながらオレのカリカリの皿を指差した。  え?って思った瞬間にオレの目の前から皿が消えた。  オレの隣に立った金髪不良っぽい中虎くんが、何故かオレのカリカリの皿を持ってる。ものっそい怖い顔の中虎くんに、びびんって背中が硬直した。 「え?」  どうするんですか、それ。  思った瞬間に、中虎くんがざらざらって一気にオレのカリカリを口の中に流し込んだ。  うわぁあああああ。オレの、オレのごはんがあああああ。  がりがりってものすごい音が中虎くんの口からする。  オレ、そんなにいっぱいカリカリ口の中に入れたことないんだけど、ねえそれ、どんな天国なの。お口いっぱいのカリカリってすごくすごくおいしそうなんだけど。 「はわわ、オレの昼ごはん!」  カランってお皿が机の上に落ちた。学食の皆と違って、オレの皿は自前でメラミンで出来てるから、割れなくて良かった。いや、そんなのどうでもいいんだけど、とにかく、大切なのはオレのカリカリだよ。  オレのお昼ごはんがっ!なくなったってことだよ! 「わああああ」  叫びながら立ち上がったオレの前でがっくんって中虎くんが膝をつく。え、どうしたの、そんなに、おいしかったの。真っ青な顔にものすごく怖い顔を貼りつけて中虎くんがオレを睨んだ。  そうか、そんなにおいしかったんだね。そうだよな、カリカリはわんこの正義だよな。例えそれが穀物たっぷりのダイエット用カリカリだったとしても。  ああ、でも、どうしよう。オレの昼飯が……ぐうってお腹が鳴った。  視界の隅に茶色いものが映る。ああっ、カリカリ!中虎くんがこぼしたんだろう、カリカリは赤虎くんの前に転がっていく。赤虎くんが、ひょいとカリカリを取り上げた。  赤虎くんは、無表情のまま口の中に入れた。 「えっ」 「まずっ」  入れた瞬間に赤虎くんがぼそっと言った。 「えっ!」 「マジでくそまずい」  中虎くんがよろよろと立ち上がりながら言った。 「えっ!」 「こんなもの食って、お前はマゾか」  中虎くんが殺気のこもった目でオレを見る。 「えっ!えっ!だって、カリカリは元気で楽しいわんこの生活を支えるおいしいバランス栄養食だよ!正義なんだよ!」 「おいしくないというか……とてもまずい」  ふむと顎に手を当てた赤虎くんが、冷静に二度カリカリを罵倒した。 「えっ、でも、オレ毎日食べてるよ」 「「毎日!」?」  二人がびっくりした顔でオレの顔を見る。いや、おいしいよ。ごはんだもん。ごはんはおいしいよ。お腹いっぱいになったら幸せでしょ。  ああ、そうだ、今日のごはんはもうないんだ。ぐうぐうとお腹が鳴る。Aランチ牛肉一〇〇%ハンバーグの匂いがすきっ腹を刺激して、なんだか泣きそう。  いや、泣いている場合じゃないよね。  もうここにいてもしょうがないから、教室に戻ろう。  立ち上がりかけた瞬間だった。  前にテレビで見たんだけど、寝ている人の目の前にその人の好物をぶらさげて起こして、何秒で食べるかってやつ。何分もかけて状況を判断してから食べる人、何の疑問も持たずに即食べてしまう人。それぞれパターンはあったんだけど。  こんな場所で自分がどっちかって知る事になるとは思わなかったなあ。  しかも、それが自分の運命決めちゃうとか、全然思わなかった。  目の前には湯気の立つ、あつあつのハンバーグがあったんだ。  オレはすごくお腹が空いていて、カリカリにその肉汁がついているというイメージトレーニングは出来ていた。お腹はぐうぐう鳴っていて、食堂はすごくおいしそうな匂いで溢れている。  オレはカリカリを三人の甲斐くんに食べられて、しかも、おいしくないと断言されて、動揺してたんだ。  そんな中、ぶあつくておいしそうなハンバーグが差し出され、その断面から、たらたら透明な肉汁が垂れた。  あっ、こぼれる。  思った瞬間、舌を差し出していた。  舌が肉汁の味を感じるのと、開いた口にぎゅってハンバーグが押し込まれるのと、どっちが早かったんだろう。  この世と思えないおいしい味が口に広がった。あまりのおいしさにふらっとめまいがしたよね。 「おいしぃ……」  ほっぺをおさえて、夢中でもぐもぐ噛むと、どんどんお肉が口の中で溶けてなくなっていく。ああ、行かないでお肉。細かいその肉のかけらが喉を通って行くのが本当に切ないよ。  わあ、わあ、本物のお肉ってこんな味がするんだ。ハンバーグってこんなに柔らかいんだ。うわあ。  昔、カリカリばっかりで可哀相って思った同級生にビーフジャーキー恵んでもらった以来のお肉の味に、思わず涙が零れる。 「本当においしぃ……」 「……っ、なにやってんだ!」 「影虎?」 「婚約成立」 「マジか!」 「信じられない」  オレはもう、初めてのお肉に感動していて、ただ涙を流すしかなく、周りで起きていた騒動に気がつかなかった。  次のハンバーグが口元に押しつけられて、はくって口を開く。  けれど、ハンバーグは口の中には入らなかった。 「やめなさい、影虎!」  赤虎くんが影虎くんの腕をつかんでいた。 「吐き出せ!」  中虎くんに床に倒されて背中を強く押される。  えっ、えっ、何が起きているの? 「一度口にしたら、吐き出そうが腹を切り裂こうが、婚約は成立している」  あれ、なんでオレ床に転がってるのとか、押された背中が痛いんだけどとか思った瞬間に、オレを押す手と身体の重みが消えた。  凄い音がして、顔を上げると、中虎くんが食堂の壁にぶつかっていた。赤虎くんが腕を押えて床に座りこんでいる。 「彼は柴犬で、オスで、しかも豆柴ですよ?」 「構わない」 「戦争する気かよ!」 「求婚を受けただけのことだ」  制服の背中をつかまれてぶらんとぶら下がった。  きゅーこん?チューリップが咲く、あの?  黒と茶色の混ざるまだらの髪。真っ黒に少しだけ青をかぶせたような瞳が嬉しそうに微笑む。 「よろしく、婚約者殿」 「こんやくしゃ?」  こんにゃくじゃなくて? 「好きな相手に餌を渡すのは求婚だ。俺はそれを食って了承し、お前に餌を与えた。それを食ったら婚約は成立だ」  はい?餌、餌なんて。 『あっ、あの……もしかして、食べる?』  あ、牛の汁(ほんもののにくじる)味穀物たっぷりダイエット用カリカリ。影虎くんのハンバーグの上にのっかった、あれ?  あれあげちゃったから? 「え、えええええ!」  ぱっとぶら下げてた手が離れてオレを抱きこんだ。 「どうやって求婚しようかと考えていたが、お前からしてくれるとは幸運だった」 「「影虎!」」  中虎くんと赤虎くんが叫ぶ。 「文句があるやつは力で来い」  ぐるりと影虎くんが辺りを見回して、どこかを見て微笑む。 「お前達もだ。柴犬ども」  えっ。柴犬。  おそるおそる目を向けた先には 黒白のツートンの髪に濡れたような漆黒の瞳。柴陽正照(しばあきらまさてる)先輩の姿があった。  柴陽先輩は、柴犬の時期当主様です。

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