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王様わんこ
はむはむ耳を齧られています。
オレは知らない匂いのする部屋で正座をして、はむはむされてる耳にぐるるるって言わないように必死で耐えている。いいわんこは耳に触られても怒らないものだからなんだけど、正直顔見知り程度に触られるのは辛い。嫌なんだ。でも、耐えてる、ぐるるるる。
長い足がオレの身体の両側に伸びてて、はむはむされる度に黒と茶色の混ざったさらさらの髪が頬に触れる。背中には温かい身体があって、ぴったりとオレを抱きこんでいた。
あ、ちょっと、そこ、気持ちいいかも。
はむって噛まれた耳に背中がぶるってする。
ふって笑う息にびくんって身体が跳ねた。そのまま立ち上がって逃げようとしたんだけど、回ってる腕がそれを止めた。
「大人しくしていろ」
低い宥めるような声にぞくぞくってした。
いつの間に抜いたんだか、制服のシャツの下から手が素肌に滑りこんでくる。さっきの反応で、感じる部分だって知られてしまったんだろう。また気持ちいい場所を舐められて、声を殺す。
「おい」
腹を撫でていた指先が上に這いあがる。
食餌制限してるから、贅肉とかはないはずだけど、同時に筋肉とかもないのですごく恥かしい。
人差し指がくりっとそこに触れる。
「ひゃん!」
「気持ち悪い声出してるんじゃねえ!」
怒鳴り声にびくんとして目をあげると、目の前に黒の混じった金髪が見える。こげ茶色の目がすがめられて、中虎くんが滅茶苦茶怖い顔してる!
「ぎゃあ!」
わたわたと立ち上がろうとして、力強い腕に引き止められる。
「こわ、こわ、」
尚もばたばたしていると、くるんと身体を回された。反射的に目の前の身体に抱きつくと、その胸に顔を押し付ける。うわ、うわ、びっくりしたびっくりした。どきどきしていると、背中に腕が回って、頭のてっぺんに唇を感じた。ふって息がかかったのは笑ったのかな。
「脅かすな、中虎」
「盛ってんじゃねえ!」
「婚約者とだ、問題ないだろう」
「婚約者がなんでこの豆なんだよ」
「えっ!豆って言われた」
豆。豆はいいよね!小さくてかわいいよね。
小さい時から豆柴になりたかったオレは豆が大好きです。
「俺の婚約者に失礼なことを言うな」
そういう影虎くんに不安になる。
「え?豆じゃない?オレ、豆柴に見えない?」
くーんって鼻を鳴らしながら、腕をのばして自分の身体を見る。最近大きくなってる気がするんだよなあ。
食餌制限とか頑張ってるんだけど成長期は待ってくれないし。
不安になって影虎くんの顔を見ると、影虎くんが真剣な顔でオレの顔を見て頷いた。
「豆だな」
わあ、嬉しい! 思わずにやけると、影虎くんがまぶしそうに目を細める。
「ほ、ほんと? オレちょっと豆柴にしては育ちすぎてない?」
「抱きついてみろ」
ぎゅうって影虎くんに抱きつくと、影虎くんがオレを抱きしめる。首筋に影虎くんの唇を感じてびくびくっとした。
「本当に小さい豆だ」
「嬉しい!」
尻尾がぱたぱたと揺れて、影虎くんがくすって笑う。
「何やってんだお前ら、てっか、さらっと受け入れてるんじゃねえ! この柴野郎が!」
ぐいって肩を捕まれた瞬間にふわって身体が浮いて、床に背中がついた。服がめくれて腹が出る。影虎くんのぬくもりが腕の中から消えた。
人の動く気配とかすかに呻く声。
振り向くと床に中虎くんがうつぶせに倒れてる。
その上には影虎くんが乗っていて、腕が捕まれてて、顔がぎゅって床に押しつけられていた。
「俺のものに触るな」
低いうなるみたいな声、持ち上げられた腕に中虎くんが呻く。
「いい加減にしなさい!」
どんって足を踏み鳴らす音にびくっとする。
「柴崎京くん!」
赤に茶色の混じった髪。赤虎くんだ。二重の茶色の瞳に見下ろされて、もう一度びくっとした。
「お腹が出ていますよ!起きてそこに座りなさい」
あわわわ、本当だ。お腹ってっか胸まではだけてて、あ、さっき触られたとこ……ん、んん?これなんだ、くりってしてる。指先で触るとなんか、腫れてるみたいな……
「そこはいいから、早く!」
あ、はいはい。シャツを下ろして、赤虎くんの前に正座した。
ふいっと目をあげると、影虎くんがくわって目を見開いてこっち見てた。はて……首を傾げると、赤虎くんが振り返って影虎くんと中虎くんを睨みつける。
「あなたたちも大概にしなさい!」
びっと指さされて、影虎くんが中虎くんの腕を離した。
「他人の婚約者に触るやつが悪い」
「おまえな……」
「いいから、あなた達もそこに座りなさい!」
ふんと鼻を鳴らすと、立ち上がった影虎くんがオレの横であぐらをかいて座る。寄り添うほど近い距離に、なんだか緊張するんだけど。こてんって感じで、影虎くんの黒に茶色の混じった髪がオレの肩に乗る。
影虎くんをはさんだ向こう側に中虎くんがどさっと座った。
「わかっているんですか?」
赤虎くんが影虎くんを指差して言う。
「この人は、甲斐犬の時期の頭領なんですよ?」
「えっ、そうなんですか?じゃあ、柴陽先輩と同じですね」
同じ学校に時期頭領が二人もいるなんてすごいなあ。
「その、婚約者になったってことですよ?あなたは」
「構わないだろう。俺は……」
赤虎くんの目がぎっときつくなる。
「だまらっしゃい! 今は、この柴犬に話しているんです!」
「豆柴だ」
憮然とした声で影虎くんが言う。あ、豆柴って呼んでくれた。
「豆柴っぽい?オレ」
嬉しくてうるうるしながら、影虎くんを見る。すりっと肩に頭をすりつけながら、冷静な瞳がオレを見てふっと微笑む。
「どこをどう見ても豆だろう」
「う、うれしい」
「かわいい豆だ」
わあ、かわいい豆って言われた。
「レンズ豆くらいが本当はいいんだけど、オレ、ひよこ豆くらいで……」
「レンズ豆だな、どう見ても」
れ、レンズ豆だってぇえええ。
「ああ、でも、赤い毛といい、つやつやした毛並みといい、小豆に似ているんじゃないか」
あ、ず、き。
あの、綺麗な、小豆に見えるですと!レンズ豆は小さいけど、茶色くて艶はないんだよね。見てて綺麗ってわけじゃない。
でも、小豆はすごく綺麗だよね。すっごく綺麗……
ぱあああって気持ちが明るくなる。
「影虎くん、すごくいい人……」
「当然だ、お前の婚約者だぞ」
切れ長の濃い藍色の瞳がオレをじっと見て、優しげに緩む。
あ、オレ、この人好きかも。もう、婚約者だけど。つか、オレがプロポーズしたみたいだけど。
「そこ!いい雰囲気になってる場合じゃないですよ!」
「あ、はい」
「甲斐犬は吠えぬものだぞ、赤虎」
「吠えたくもなりますよ!そもそも、この柴犬は」
「豆柴だ」
豆って言った。やっぱり、影虎くんいい人だ。
がるるるって喉を鳴らす影虎くんに赤虎くんが目を剥く。赤虎くんがあきれたって顔で天を仰いで、ふうとため息をついた。がるるるってもういちど影虎くんが喉を鳴らした。
「わかりました。柴崎くんと呼べばいいですよね?」
赤虎くんに、ぎっと睨まれてこくこくと頷く。
「つまり、柴崎くんは豆柴だということです。豆柴になろうとしているという方が正確ですが。僕達はまだ成人していませんからね。まだ成長する可能性がある。
豆柴はかつてにんげんが作ろうとして、作る事が出来なかった血族です。柴犬の原種を愛するにんげんと、より小さい血族を作ろうとするにんげんのあいだで争いが起きた後に、排斥された存在です」
「でも、豆柴はにんげんに愛されていて……」
そう、豆柴はにんげんに愛されていた。にんげんはすごく柴犬が好きで、だから、たくさん柴犬がいたんだ。その中でも小さい豆柴は人気があって、血族はできていなかったけど、だけど……
「そう、愛されていた。にんげんが消えた後、柴犬たちはにんげんを懐かしんで、自分達を保持する他に、特に小さいもの同士が結婚して、より小さい豆柴を生み出そうとしている。
豆柴は柴犬の中でも特殊な存在だ。修験者というのかな、にんげんに帰依し、自らの肉体を小さくする為に食べるものまで厳格に決められて、小さい身体を維持している。
巫女……いや、柴崎くんの場合は雄だから神子か。
そういう存在なんですよ!その彼に決められた食事以外のものを与えたってわかっているんですか?」
「承知の上だ。言った通り、柴犬どもは文句があるならば、この俺と力で勝負すればいい。俺は、甲斐の犬のしきたりに従い、求婚を受け、了解しただけのこと。
もう既に俺はこの柴崎京のものであり、柴崎京は俺のものだ。
この俺の庇護下にある以上、誰にも手出しはさせない」
冷静に言う影虎くんに、赤虎くんが顔を歪めた。
赤虎くんがオレに向き直って言う。
「柴崎くんはそれでいいんですか?あなたの血族と違って、甲斐の犬は一夫一婦制で、生涯相手以外の犬と番うことはありません。
血筋がいいからと言って、相手を変えたりはしないんです。つまり、あなたは、他の柴犬と子供を作ることは出来ない。
君のいままでのその小さな身体を維持するための努力は、すべて水の泡になるってことなんですよ!」
え、子供作っちゃいけないの?嘘だろって赤虎くんの顔を見るけど、赤虎くんが嘘をついているようには見えなかった。オレは豆柴になって、子供を作るのが当たり前って……それで、ずっとカリカリで我慢してたのに。
「オレ、豆柴になって、それで……子孫を残すのが、って」
赤虎くんがほっとした顔になる。
「そうですよね」
「俺を捨てるのか?」
ぐいっと腕を引っ張られて、影虎くんの腕の中に転がりこむ。
暗い光を浮かべた夜の空みたいな藍色の瞳。
痛そう。
なんで、そう思ったのかわからないけど。
痛みを堪えてるみたいな表情に心臓が変な風に動く。黒と茶色の混ざった髪がさらっと肩から滑り落ちるのを、ぼんやりと見る。
「わ、わかんな……」
ばんって扉が開く音がした。
「中虎!影虎を押えなさい」
その後に何が起きたのか、オレにはよくわからなかった。
影虎くんがオレを守るように抱きこんだのに、気がつくと引き離されてた。
「京!」
叫ぶ声。ばたばたと響く足音。
「返してもらうぞ、甲斐」
それは柴彰先輩の声で。
なんかすごく変な匂いのする布を鼻に当てられた。
意識が遠くなって、身体が持ち上がる。
「こんな出来そこないでも、お前にくれてやるわけにはいかない」
わあんって響く声がそう言って、オレの意識は途切れた。
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