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箱入りわんこ

「穢れてしまった身を清めよ」  柴陽先輩にそう言われて、柴犬寮の反省室に入れられて三日。  お水だけで生活しています。もともとカリカリご飯での生活でお腹空くのには慣れているから、そんなには辛くないんだけど。  影虎くん、怪我とかしてないかなあ。 「出ろ」  禊の時間かあ。  白い肌着の襟を正すと布団から立ち上がる。  ご飯食べてないからふらふらするオレに、柴陽先輩の側仕えの柴田源貴くんが舌打ちする。柴田くんは柴犬では珍しい、白い髪の毛をしている。黒くて丸い目が軽蔑するようにオレを見た。 「ふらふらするな、しっかり歩け」  源貴くん、すごく綺麗な顔してるのに、オレのせいでそんな顔させちゃってごめんね。って謝りたかったけど、私語も禁止されているから、頷いてよろけないように気をつけて歩く。  柴犬の寮は日本風に出来ていて、ぐるりと回った回廊の真ん中に広い庭がある。その片隅には柴犬を祭るお社があって、そこの脇には水ごり用の井戸がある。  オレはお社にお参りすると、井戸の前に座った。  着物の間から腕を抜いて上半身をはだけると、頭から思い切り水を掛けられる。  もう、秋だよなあ。  真っ赤に染まったもみじを眺めながら、ぽたぽたと頭から垂れる水に耐える。  それだけは口に出すことを許されている祝詞を唱えると、また水を叩きつけるように浴びせられた。  ご飯食べないで三日もこんなことしてると、さすがに寒さが身にしみるよねえ。  それからお馴染みになった視線を感じる。  きょろきょろすると柴田くんに叱られるから、視線は動かさないんだけど、やっぱり誰かに見られている気がする。  なんとなく、その熱さを知っている気がするんだけど……そんなはずはない、よね。食堂で影虎くんが目の前に座るたび感じていた、あの視線を感じるような気がするなんて、おかしいよね。  ばしゃんばしゃんとまるで倒れればいいというような勢いで水を浴びせられる。オレはそれに耐えながら祝詞を唱えた。  禊が済むと、のろのろと着物に腕を通して来た道を戻る。  反省室に入ると外側から鍵のかかる音がした。  部屋の入り口のそばにある、たらいの中に立って、白装束を脱いだ。重くなった着物がたらいに落ちてべしゃって音を立てる。  本当はこれを絞って部屋にかけておかないといけないんだけど、なんか立っているのも辛い。着替えを手にする余裕もなく、裸のまま、敷いてある布団に向かった。 ──カツ。  軽く壁に何かが当たる音がして、床に何かが転がる。  水色に白い縞模様。そこに混ざった青い筋。  周りをざらざらした砂糖で包まれた──大きなあめ玉。  よろよろと近づいて、ぺたりと床に座り込む。おそるおそる鼻を近づけて、その匂いをくんくんと嗅いだ。  オレはカリカリ以外のものを食べたことが殆どないから、あめを見た事はあっても、色とりどりのあめがどんな味なのかを知らない。  もう一度、鼻を動かして、もう消えそうなその香りを嗅いだ。  強いあめの香りに隠れるように微かに香るその匂い。その香りは昨日も嗅いだ同じ匂いだった。  最初の日には赤いあめ、次の日には緑色のあめが投げ込まれた。  何にも包まれず投げ込まれたあめ。  こんなもので、飢えがしのげるはずはない。そうなんだけど。  おそるおそる、水色のあめを持ち上げて、遥か高い位置、わずかに開いた窓の明かりにかざす。表面のざらざらした砂糖がきらりと太陽の光に反射した。  これを、オレは柴田くんに渡すべきだ。  穢れを払う儀式をしているオレにこれは不必要なもの。  だけど。  こうやって、裸で投げ込まれたあめは、オレが証拠を残さず食べることの出来る食べ物で、それは、誰かの好意で。  誰かがオレを心配してくれているってことだった。  口を開いて、あめを押しこむ。  それは赤いあめとも、緑のあめとも違う味がした。赤い味、緑の味、水色の味、食べたことのないオレにはそれが何の味なのかはわからないんだけど。これをくれた誰かはオレがそれを楽しめるように違う味にしてくれたのかなって。  もしそうなら、その気持ちがすごく嬉しいって思った。  三つのあめからした同じ匂い。  同じ人がくれたこの贈り物。  仰いだ視界が水に沈んだみたいにゆらゆらと揺れた。 「おいしー」  ざらざらと砂糖が舌の上を転がる。  這って布団に近づくと、ふとんに頭からもぐりこむ。匂いが漏れないように布団の中で息を殺してあめを味わう。  見つからないように、早く。  いつまでも残るように、ゆっくり。  どうしたいのかわからないまま、口の中で溶ける甘いものに舌を絡ませた。

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