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もぐもぐわんこ(終)

 また耳をはむはむされています。  この間も来た影虎くんの部屋の真ん中には、畳が四角く敷いてあって、座卓の後ろに座布団と脇息が置いてある。  座布団に片膝を立てて片膝を折った影虎くんが、オレを足の上に座らせて耳をはむはむしている。  ぐるるるって唸らないように気をつけながら、考えを纏めようとした。でも、やっぱり耳をはむはむされてると、ぐるるるって唸らないようにするだけで精一杯で、何も考えられない。  がちゃってドアが開いて、お盆を持った赤虎くんが中に入ってくる。  ものすごくいい匂いがして、お腹がぐうって音を立てた。  座卓にお盆を乗せると、向かい側に赤虎くんが正座する。  四角いお盆にはごましおのかかったお赤飯と、大きなお椀の中に肉だんごの入った汁ものと、ざるに入った枝豆と、小さなお皿に入った黒豆が乗っている。  わあ、お豆いっぱい。オレ、かりかりしか食べたことないから、どんな味かしらないけど、見てるだけでおいしそうだよね。 「急いでいたでしょうから、大したものは出来ませんでしたけれど」 「ご苦労だった」  赤虎くんが頷いて立ちあがる。 「中虎が押されていたので、拾って来ます」 「柴陽か」 「柴田までは倒したようでしたが、少々疲れが溜まっているようですしね」 「頼むぞ」  どうでも良さげに影虎くんが頷いて、オレを抱いたままで盆を引き寄せる。 「柴陽先輩は僕と立ち合ってくれるでしょうか?」  立ち上がった赤虎くんがゆらりと振り返って、肩にかかった髪の下から首をつかんで微笑む。真っ黒な目が細くなって、薄い唇の口角があがった。 「柴陽は賢いから……どうだろうな」 「ただの回収役では、割に合わないと思うのですが」 「俺が後ほど立ち合おう」  くすりと笑った影虎くんの息が耳に当たってびくりとする。  宥めるように耳の後ろに触られて、ますますびくびくしてしまった。 「ありがとうございます」  赤虎くんが優雅に尻尾を振ると部屋を出て行く。 「赤虎は中虎以上に戦闘好きなのだが、強い相手との一騎討ちを望む。柴陽と前から戦いたがっていたのだが、出来ぬとなれば俺が相手をするしかないだろうな」 「け、けんかするんですか」 「喧嘩か、まあ、喧嘩と言えるのか……甲斐犬が本気で戦えば殺し合いになるからな」 「し、柴犬の皆はこっころさ……」  みんな、死んじゃったの? 「さて?」  影虎くんがオレの顔を無表情に覗きこんだ。  ぱしぱし瞬きをすると涙がじわじわ浮いてくる。  ふうと影虎くんが息を吐いて、オレの頭を撫でる。 「中虎はあれでいて優しいところのある奴だ、向かって来る者には相応の礼を持って戦うだろうが、命までは奪わんだろう」 「ほ、ほ、ほんとうに?」 「赤虎が出ればあるいはな……あれは同族以外には手厳しいから、中虎は料理を押しつけて自分が出たのだ。中虎はここの生活が気にいっている。退学にはなりたくないだろうから、そうそう無体は働くまいよ」 「よかった」  ほっとして息を吐くと、影虎くんがオレを持ち上げて体をぐるりと回して横に座らせると、匙を持ち上げた。 「飯だ」  その言葉にぴんと背筋が伸びる。正座して緊張しているオレに、影虎くんが椀を持ち上げて匙で汁をすくうとふうふうと息を吐いて差し出す。  ごくって喉が鳴って、唇が震えた。膝の上の手がぎりぎりと音をたてる。 「口を開けろ」  影虎くんに言われて、口を開けようとするんだけど、どうしても口が開かない。ふわふわ立ちのぼる湯気が鼻をくすぐる。  これ、こんぶだ。カリカリの中にも入ってるから、匂い知ってる。  だけど、どうしても食べたくない。食べられないんだ。  唇をつつきそうな匙に、びくっとして後ろに頭を引く。 「京?」  影虎くんがオレの顔をじっと見ている。見透かすみたいな、ほとんど黒く見える濃紺の瞳に耐えられなくなって後ずさって、両手を床につくと頭を床にこすりつけた。 「も、申し訳ありません。食べられません」 「お前にとって、柴犬であることは、豆柴になることは、そんなにも重要なことなのか?」  かたんと椀を置く音、続く匙を置く音に背中がびくんと震える。 「犬は成長するものだ。にんげんに決められた姿形、血統を保ちたいと努力しても、ふり幅というものは存在する。  食を制限し、食を絶ったとしても……」  静かな言葉に体がぶるぶると震える。  もしかして、知っているのかな。もう、噂になってる? 「オレが、オレが、……って、知っているんですか? 誰かから聞いたんですか? う、噂になってるんですか?」  土下座していた手を温かい手が握りこむ。温かいと気がついて、自分の手がひどく震えて、冷たくなっていると気がついた。  目の前が見えないくらい涙が零れる。 「し、しって?」  ひくって喉が震えて、泣き声が漏れた。  影虎くんがぎゅって握り締めたままのオレの手を開いて、爪が食い込んだ手のひらを労わるように舐めた。舌の感触にびくっとして手を開くと、影虎くんの手がぴったりと重なる。  オレは影虎くんより小さいから、重ねた指先は少し余った。  けど、それは、そんなに違わなかった。  オレ、豆柴なのに……。 「大きい」  呟かれた言葉に、だあだあと涙が零れる。 「俺達の成長はまだ止っていない。この手の大きさからするに、お前はもう少し大きくなるだろう。今、京は豆柴としてはぎりぎりの大きさだ。これ以上大きくなれば、豆柴としての規定から外れることになる。  察するに……お前は、豆柴にはなれないのだろうよ。なることが出来たとしても、優良な繁殖の対象とはなりえない。  誰に聞かなくても、観察していればわかることだ」 「オレ……もしかしたら、って……でも、ずっと食餌制限頑張ってたし……だけど、し、柴田くんが……」  あの日、柴田くんが言った言葉。 『そんなに大きくなったら、もう神子としては失格なのに……』 『食餌制限すらろくに守れず、こんな風にだらだらと……恥かしいとは思わないのですか』 『僕も君も血統としては失敗作だというのに……君ばかり』 「そうか」  冷静な声が耳を撫でる。 「言わないでください。だれにも、だれにも言わないで」  また床に頭をつけて土下座する。しょうがない、しょうがないってわかってるけど。だけど、だけど、知られたくない。  オレが豆柴になれないなんて、誰にも。  ああ、みんな知ってるのかな。  だけど、 「もう一度聞く、お前にとって、柴犬であることは、豆柴になることは、そんなにも重要なことなのか? そうなれなければ、死を選びたくなるほどに、大切なことなのか」 「しぬ、とか、そんな……」  床の上にぽたぽたと落ちる涙を見ながら、おろおろと答える。  ベッドの下の沢山のカリカリ。ギリギリの食餌制限をしているオレにとって、あれは、命そのものだ。食べなければオレは……それでも食べたくなかった。食べることが出来なかった。  手足を縮めて、小さくなって嗚咽を堪える。  わかってる。そんなことしても、無駄だって。 「京」  はっとして、目をあげると、ものすごく近くに影虎くんの顔があった。 「お前は俺のものになれ」 「ど、どうじょう、してる、ですか」  厳しい目元がゆるりと緩んだ。ほんの少しあがった口角が、苦笑いのようなものを浮かべる。 「同情などであるものか」 「じゃ、なんで、」 「惚れているのだ」 「ほ、れ?」 「好きだ」  す、き。  影虎くんが、オレのこと?  でも、いつも怖い顔してて……耳ははむはむするし。  飴はくれたけど、一緒に来いって言ったけど。  背が高くて、かっこいいし、頭も良くて。運動も出来て。  無表情で、無口で、 「わ、わけが、わからないよ」 「そうか」  ちゅって唇が触れた。  え、キスした?今。 「き、きす。お、おれ、女の子としたことない」  影虎くんがむっとした顔になる。 「男とはあるということか」 「あるわけないよ! 初めてだよ!」 「そうか、俺もだ」 「あ、そうなの? 男とも?」 「そうだ」 「な、なら、しょうがない、?」 「善い事だ」  ふーんって頷くと、また唇が触れる。 「お、オレ、豆柴になれない、んだけど」 「そうか、だが、豆のようにかわいいところはそのままだろう?」 「豆って言った!」 「かわいい、豆だぞ」  か、可愛い豆だって言った。影虎くんいい人! 「ひよこ豆みたいな?」 「パンダ豆のような趣があると思うがな」 「豆に詳しい!」 「お前の為に覚えたぞ」  影虎くん、優しすぎるよ……いい人すぎる。  きゅーんって喉の奥が鳴って、ぼろぼろ涙が出る。 「かっかげとらくんは、オレじゃダメでしょ」 「何故」 「影虎くんは、甲斐犬で、次の頭領なんでしょ。そ、そしたら、世継ぎとか……」 「俺は、限界血統だ。世継ぎは作れんよ」  ひゅって喉が鳴る。  限界血統。  血統を持つ犬達の最悪の病。より優秀な血統を残そうとして交配した結果、遺伝子に異常が出て、次の世代には重篤な病気が出てしまうと診断される病。個体数の少ない種族の犬が特にかかりやすくて、遺伝子検査が義務づけられてる。  限界血統を持つ者は、それ故に、その血統の中で美しく、優秀な者が多いんだって、聞いた事がある。 「子を作れぬ俺は、死ぬべきか? そんな俺が誰かを得ようとするのは間違っているか?」 「そんな、そんなこと、ない」  影虎くんの手を握って頭を振る。 「そんなこと、ないよ」 「頭領の座は降りようと思っていたのだ。甲斐の家からも出るつもりだった。だが、中虎と赤虎に懇願された。俺達は幼馴染で、一緒に育ち、俺が頭であることが当然で、俺が頭にならぬなら、どちらかが頭になることも、他の頭に仕えることもしないと言われて……  俺が群れを出るなら自分達もついて出ると。いずれも頭領としての力のあるものが三人も群れを離れるとなれば、甲斐の群れは打撃を食らう。  だから俺は次期の頭領として群れに残ることになった」  そんなことがあったなんて。きっと辛かったよね。  こんなにかっこよくて、頭も良くて強いのに。  ゆっくりと影虎くんが微笑む。 「悪いことばかりではないぞ。  本来、里から出ることのない我々がこうしてこの学園に来る事ができた。そして、俺はお前をみつけたのだから」  影虎くんが汁の椀をつかんでオレの口元に寄せた。  椀の中に指先をつっこんで、中の肉団子をつまみあげる。  ふうふうと冷ます息、差し出された指先が赤くなってて、熱いんだって気がついた。 「あ、あついでしょ」 「そう思うのならば、口を開けろ。にんげんは食欲のない犬にこうして食餌を与えたのだと聞いたことがある」  肉団子に混ざって、影虎くんの指先からふわりと匂いがした。  大きなあめから漂ったあの香り。  震える唇を開いた。  指先で崩した肉団子が口の中にはいっての肉汁が広がる。  うわ、おいしい。本物のお肉の味。  だけど、だけど……  閉じた口を手でおさえて、影虎くんの顔を見る。  どうしても口が動かない。飲みこめない。 「ダメか、」  影虎くんの綺麗な瞳が揺れて、眉を潜める。  赤くなった指先と、赤くなっていない指先があわさって、おれの前に差し出された。 「出せ」  手に、  嘘、そんな。汚いでしょ、そんなの。 「いいから、出せ」  出来ないよ、そんなの。ぷるぷると頭をふると、心配そうに影虎くんの顔が歪む。  喉がひくひく動いて、奥へと肉を動かした。  ごくんとひき肉が喉を通って行く。  オレはそのまま前のめりに頭を床につけようとした。  その下に影虎くんの膝が入りこむ。 「大丈夫か?」  指先が背中を撫でた。 「はく、はくから、どいて」 「いいぞ」  吐き気がするのを待つ。だけどそうはならなくて。  息を吸うたびに、影虎くんの匂いがする。  あの大きなあめだまから感じた匂いが。  また涙が出てきた。  そんなに泣いたことなかったのに。ずっと辛くても我慢出来ていたんだ。だって、しょうがないって。  オレが豆柴の家に生まれて、ずっと美味しいものを我慢しなくちゃいけないのも、大きくなっちゃって豆柴になれないことも。  我慢出来てたんだよ。  だけど、だけど。  こうやって、影虎くんの膝の上に頭を乗せてると、我慢ができないんだ。だって、だって、影虎くんがオレが好きで、オレは…… 「辛いなら、吐け」  指先がまた優しく背中を撫でた。  その優しさに、涙が止らない。  ううってオレは唸った。 「大丈夫か?」  オレは涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔をあげた。  影虎くんが俺の顔をじっと見ていう。 「俺はお前の笑顔に惚れたのだが……泣いているお前も、この腕で慰めることが出来るならば、愛しいと感じるものなのだな」  ぶわっと膨らんだ涙に、影虎くんが目を見開く。 「そ、そんなご、ごどいっだら、か、かげどらぐんの、ごと、しゅ、しゅきになっぢゃう」  オレ、何言ってるんだろ、めちゃくちゃじゃん。  影虎くんの表情が綻んだ。 「いいぞ。本望だ」  うわーんと俺は声を出して泣いてしまった。涙と鼻水がだだ漏れになる。温かい腕が俺を抱きこんで、よしよしと頭を撫でる。  泣き止むまで、影虎くんは俺を抱きしめていてくれた。  それから、すっかり冷めたご飯を食べさせられた。  匙で食べるとオレはやっぱりうまく食べれなくて、影虎くんの手からごはんを食べる。  影虎くんの手からお赤飯をはぐはぐ食べてる時に、その指先をくんくん嗅いだ。 「影虎くんの手って、いい匂いがする」  えへへって笑うと、影虎くんの目がギンって光って、怖い顔になった。 「おこ、おこった?」  くうんと喉を鳴らすと、影虎くんの眉がよる。 「可愛らしいと思って見ていたのだが、怖いか」 「あ、そういう顔なの?」 「どういう顔だ」 「こういう?かんじ?」  眉の端をくいくいって持ち上げて、精一杯怖い顔をする。 「食堂でも、同じ顔してたから、嫌われてるのかと思ってた」 「獲物を狙う犬の顔だろう」 「えもの?」 「欲しくてたまらんもの、か」  欲しい、ほしいって。ぶわわって顔が赤くなる。 「影虎くん、えっち?」 「人並みにはだと思うが、京が相手だと桁が違う」 「あわわわわ」 「発情するなら、お前とがいい」 「す、すると思う? オレ達雄同士だし」 「さて、わからんが、京はとてもいい匂いがするぞ」  影虎くんの指先が動いて、オレの鼻の下を掠める。ふわっとその指先から香る匂いに鼻がひつくつ。 「影虎くん、も」  ふ、っと笑った影虎くんが、黒豆をつまみあげてオレの口に押し込んだ。 「ならば、俺達はきっとうまくいくだろうよ」  甘い豆と、影虎くんの指先を口の中で味わいながら、オレはこくりと頷いた。 <王様わんこと小さな犬> 終

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