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第3話

あの翌日から体調を崩していたけれど、上手く彼の目を欺きながら変わらぬ日々を過ごしていた。 いつも通り仕事へ行き、帰宅すれば家事もこなす。 大丈夫、ただの風邪、悪い予感に胸をザワつかせながらも、そう自分に言い聞かせて。 「..っんぅ..」 「雅也..?!」 「..ちょっ、と..貧血..」 「無理しなくて良いから..」 夕飯の支度をしている最中、急に視界が大きく揺れ、その場にへたり込んでしまった。 食器を並べてくれていた彼がそれに気付き驚いた声を上げると、焦った様子で駆け寄ってくる。 心配を掛けないように立ち上がろうとするも、目眩が酷くて全く脚に力が入らない。 おまけに呼吸も乱れてきて、息が苦しくなってくる。 ぐらりと後ろに倒れそうになるのを、彼の華奢な身体が抱き止めてくれた。 「..ごめ、っぐ..げほ、ごほ..!」 突然の吐き気に口元を覆い咳き込むと、指の隙間からポタポタと血が滴り落ちた。 ーーーあ、この感じ知ってる。 朦朧とする頭でも、病が再発しているのが分かった。 完治していると思っていたのに、どうして今更。 ずっと一緒だって、言ったばかりだったんだけどな。 「..ぁ、ぁ..」 「..だい、じょ..ぶ..だよ..」 息も絶え絶えに言葉を紡ぎ、そこで意識は途絶えた。 啜り泣く声に目を開ければ、懐かしくなりつつあった病院のベッドの上に居た。 此処に来てから、どのくらいの時間が経つのか。 パイプ椅子に座って俯く彼の姿を横目でとらえると、可哀想になる程に瞼をパンパンに腫らしていた。 あんなものを見せられて、怖かったに違いない。 「..せ、な..」 「..!良かった..」 酸素マスクを外して微かに名前を呼ぶと、彼は勢いよく顔を上げホッと胸をなでおろした。 よく見ると包帯に血が滲んでいて、腕を強く握り締めていたのだと分かる。 不安な気持ちを必死に抑えながら、目覚めるのを待ってくれていたのだろう。 「..先生が再発って..ねえ、どういうこと..?」 叶うならば、これ以上に彼の心を乱すようなことは言いたくなかった。 けれどもう、誤魔化しようがないのも知っていて。 どうするべきかなんて答えは一つしかないのに、なかなか話す決心がつかない。 真剣な眼差しが、痛い程に突き刺さる。 「..高校に上がるまで、病気で入院してたんだ。もう平気だと思ってたから黙ってた。ごめん..」 「治るんだよね..?」 「..多分、厳しい。再発したら、今度はどうなるか分からないって言われてたから..」 「そん、な..嫌..やだよ..っ」 長く重たい沈黙に堪えられなくなり、震える唇をゆっくりと開く。 悲痛な面持ちを浮かべている彼に、一瞬だけ嘘を吐いてしまおうかとも考えた。 だけどそうしなかったのは、バレた時にもっと傷付けることになると思ったから。 こんな顔をさせる為に、今まで傍に居たわけじゃないのに。 泣きじゃくる彼から、僕は目を逸らすことしか出来なかった。 「僕らの家に帰ろう..?」 「..でも..」 「お願い..」 「..わかった。」 すっかり彼の涙も枯れた頃、ひどく怠い身体を無理やり起こし声を掛ける。 どうせ治療しても治らないのなら、こんなところ早く出てしまいたかった。 二人きりで生活してきた、あのアパートに戻りたい。 困ったように眉を八の字にして躊躇う姿に、頭を下げて懇願する。 すると彼は小さく頷き、何かを考え込んでいる様子で立ち上がった。 「..置いて逝くなんて許さないよ。」 「..っ..」 「だからさ、一緒に死のう。」 こっそりと病院を抜け出し、会話もなくただ家路を辿る。 暫くして少し後ろを歩いていた彼が急に隣に来ると、真っ直ぐ前を見つめたまま、細い指をしっかりと絡めるようにして僕の手を握った。 そして感情の読み取れない声で、ポツリと小さく呟く。 どう返したら良いのか分からず何も言えずにいると、突然に衝撃的な言葉が放たれて。 立ち止まり顔を覗き込めば、その目に一点の曇りもなく、本気なのだと悟った。 狂っていると罵った方が、彼の為になるのかもしれない。 けれど僕はそう言ってくれたことを、嬉しく思ってしまったのだ。 「清奈がそれで良いのなら。」 「きっと雅也が居なくなったら、俺もすぐに後を追うと思うから。」 「..そっか、分かった。」 ゆっくりと前を向き直し、茜色に染まる夕陽を見上げて答える。 こんなにも想われていたなんて、想像もしていなかった。 生かせるのも、殺せるのも、いつしか僕だけになっていたらしい。 望んでいた明るい未来とは程遠い結末になってしまったけれど、こういうのも悪くはないか。 絡まる指の感触を確かめように手を握り返すと、彼の方を見て小さく頷き、静かにまた歩き始めた。 「..本当に後悔はない?」 「ふふ、ないよ。」 帰宅するとキッチンから包丁を一本ずつ取り出し、向かい合ってソファーの上に座ると互いの胸にあてがった。 情けない顔をしているだろう僕の問いに、彼は今までにないくらい幸せそうに微笑む。 不安も迷いもそんな顔を見せられたら消えてしまい、これで良いのだと思い直して同じように笑い返す。 そしてどちらからともなく最初で最後のキスを交わすと、そのまま抱き締め合うようにして目一杯の力を込めた。 「「愛してるよ。」」 胸にじんわりと咲いた花は、何よりも美しかった。

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