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第4話

夏休み最後の水やり当番の為、久しぶりに学校へ来ていた。 裏庭の花々は相変わらず綺麗なままで、先輩と初めて逢った日のことを思い出す。 こんな想いに気付かなければ、ただの後輩として隣で笑っていられたのかもしれない。 僅かに得た幸福な時間を壊してまで、手に入らないものを求めることに何の意味があるのだろう。 「綴くん?どうした?」 「はっ、はぁ..光希、先輩..」 「大丈夫?体調悪い?」 「っ..ぁ..さむ、い..」 思いを巡らせてしまったせいか、病が進行し始め急激に体温が低下していく。 酷い痛みと震えが頭を朦朧とさせ、立っていられなりその場に蹲るようにして丸まる。 此処で死ねるなら悪くないかな、と瞼を下ろし掛けたその時、同じように水やりへ来たのであろう先輩が心配そうに顔を覗き込んできた。 平気だと言いたいのに口から出たのは寒いの一言で、困らせてしまったのが分かる。 「立てる?とりあえず保健室行こうか。」 「..は、い..っう..」 「っあぶな..!」 言われた通り立ち上がろうとした瞬間、ぐにゃりと視界が歪んで先輩の胸に倒れ込み、そのまま意識が途絶えた。 目を覚ますと、毛布に包まれた状態でベッドに横になっていた。 寒さが消えているから、きっと先輩が保健室まで運んでくれたのだろう。 そんなことを考えながら天井をぼんやり眺めていると、不意に聞き慣れた声が降ってきた。 「落ち着いた?」 「すみませんでした..」 「..風邪、じゃないよね。真夏にあんなに寒がるなんて変だし、手足の包帯だって怪我じゃないでしょう?何でかは分からないけど、違和感があるというか..」 「え..」 いつもと変わらない柔らかな表情をしたまま、核心を突いてついてくる先輩が怖かった。 ここまで勘付かれて誤魔化せるほど、僕は口達者ではない。 恋の病だということだけ気付かれないように話せば、可哀想な奴だと思われるくらいで事が丸く収まるのだろうか。 もうどうにでもなれ、そんな気持ちで重い口を開いた。 「..身体が少しずつ氷に覆われていく病気なんです。包帯はこれを隠す為に巻いてました。」 「こおりって..あの氷、だよね..?」 「そうです。だから、悪化すると体温が下がってしまうんです。」 「..そ、なんだ..」 身体を起こし不器用に包帯を解いていくと、窓から差し込む陽射しに当たって腕がキラキラと光る。 こんなものをわざわざ見せたのは、気持ち悪いと言って逃げ出して欲しかったからだ。 それなのに先輩は逃げ出すどころか、困惑しながらも真剣に話を聞いてくれている。 助けて欲しくなってしまうから、これ以上どうか優しくしないで。 「治るんだよね..?」 「1つだけ完治する方法があります。だけど、僕には無理なので..」 「俺に何か出来ることはない..?」 「..っない、です。心配しないでください。」 自分のことのように瞳に涙を滲ませる先輩は、後輩としての僕を心配してくれているだけで、愛してくれているからではない。 分かっているから、笑って突き放すことしか出来なかった。 互いに俯いたまま黙り込み、次の言葉を探す。 沈みきった空気が重苦しくて、息が詰まりそうになる。 「..帰ろうか。送ってくね。」 「悪い、です..そんな..」 「こんな時くらい甘えてよ。」 「じゃあ..お願いします..」 永遠に続くと思われた沈黙を破ったのは、穏やかな先輩の声だった。 俯いたまま首を振って断りそちらに目を向けると、否定を許さないような笑みを浮かべている。 普段しないような顔に驚いたけれど、気遣ってくれているのだと知っていたから、素直に頷いて送ってもらうことにした。 あんなに嬉しかった優しさが、今は辛く苦しいだけ。 支えられながらベッドから降り、思うように動かない脚を引きずって口数少なに二人で保健室を出た。 「一人暮らし、だっけ。親御さん心配してるんじゃない..?」 「..してないと思いますよ。父は幼い頃に亡くなってますし、母は僕を家から追い出して再婚しましたから。」 「ごめん..余計なことを..」 「気にしないで下さい。送ってくれてありがとうございました。」 暫くしてアパートの目の前に着くと、先輩は急に思い出したように問い掛けてきた。 高校入学と共に家を追い出されてから、母親とは一度も逢っていない。 きっと今頃、新しい家族と幸せに過ごしているのだと思う。 勢いに任せて言ってしまったけれど、苦しげな表情をしている先輩を見て後悔し、少し笑って礼を告げると、逃げるようにしてその場を後にした。

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