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第2話

小学五年生の、雨降る六月のこと。 学校から家路に就く途中、事故に遭った。 居眠り運転のトラックが、ブレーキを掛けることもなくガードレールに突っ込み、歩道を歩く俺を轢いたのだ。 凄まじい音を聞き付けて様子を見に来た近隣住民の通報により、すぐに病院へ搬送されたものの、目を覚ました時には既に膝から下が失くなっていた。 タイヤに巻き込まれ原形をなくしていた両の脚は、切断せざるを得ない状態だったらしい。 急にそんなことを言われたって簡単に受け入れられるはずもなく、明日になれば元通りになっていると思おうとした。 だけど両親の啜り泣く声が、これは現実だと主張していたのだった。 「..や、やだ..嫌あああ..っ」 突き付けられた厳しい現実に俺はひたすら泣きわめき、気を失うように眠りに就いた。 集中治療室での日々は、地獄のようだった。 傷口から感染症を引き起こし、全身の激痛に耐えながら高熱に魘され朦朧としている状況が続く。 今まで入院をしなくてはならないような病気や怪我をしたことがなかった俺にとって、沢山の医療器具に囲まれたあの部屋は未知の世界で、死んでしまうのではないかと恐怖心を煽るばかりだった。 そして漸く症状が落ち着き、一般病棟に移されたのは一ヶ月後のこと。 病室が変わっても気分は晴れず、ベッドに横になったまま一日中ぼんやりと天井を眺め続けていた。 ひどく塞ぎ込んでいる姿を見兼ねてか、いきなり両親が画用紙や絵の具などの画材を抱えて見舞いにやってきたのだった。 それはもう、大量に。 父は美術大学で油絵学科の教授をやっており、母は近くのアトリエで絵画教室を開いている。 そのおかげか、幼い頃から絵を描くことが好きだった。 だからきっと自分を元気付けようと、わざわざ重たい思いをしてまで持ってきてくれたのだろう。 ありがとう、そう言って少し笑うと、二人は嬉しそうに微笑んだ。 「こんにちは。」 あれから一週間が経った頃、ベッドの上で絵を描いていると、不意に頭上から声が降ってきた。 驚いて顔を上げてみれば、同い年くらいの男の子が立っていたのだ。 陶器のような白い肌に、触れたら壊れてしまいそうな程に華奢な身体。 窓から吹き込む風にさらりと髪を揺らす姿は、まさに美少年という風貌を纏っていた。 「冴木 悠馬くん、だよね?」 「..えっと..君は、誰?」 「あ、ごめんね!隣の病室に入院してる水城 朔です。」 あまりの美しさに呆気に取られていると、彼は不思議そうに首を傾げ、確認するように俺の名前を呼んだ。 その声にハッと我に返り、恐る恐る問いを投げ掛けてみる。 すると彼は慌てて謝り自分の名前を名乗ると、ペコリと行儀よく頭を下げた。 どうやら彼も、此処に入院している患者らしい。 言われてみれば、自分と同じようにパジャマ姿をしていた。 怪我をしているようには見えないから、大きな病気だったりするのだろうか。 上手く返答が出来なくて、曖昧に相槌を打った。 「実はね、ひどく泣いてる姿を見掛けたことがあるんだ。この病棟に移されたばかりの頃だったかな。」 「..え。」 どうして俺のことを知っていたのだろう。 ふと浮かんだ疑問は、口にするよりも先に解決された。 思いも寄らない言葉に狼狽え、間の抜けた声を漏らす。 今まで普通にしていた事が出来ないもどかしさを爆発させ泣き喚いたことが、集中治療室を出てから一度だけあった。 まさか目撃されていたなんて。 「初めて見る顔だったし、心配で看護師さんに聞いてみたら、名前と..その、脚のこと..教えてくれて。早く笑えるようになれば良いな、って思ってた。」 勝手に気まずくなって、視線を彷徨わせた。 脚のことを聞いていたのなら、気持ち悪がっても可笑しくはない。 現に、事故に遭ってから学校の友達は、誰一人として逢いに来ないのだから。 それなのに、俺を傷付けないように気遣ってくれているのが伝わってくる。 よく知りもしない人間をこんなにも想える彼は、少し優しすぎるような気がした。 「だから今日、楽しそうに絵を描いてるところ見れたのが嬉しくて、つい声を掛けちゃったんだ。」 「..ふふ、変なの。」 真剣な面持ちから一変して、彼の表情がパッと明るくなる。 それに釣られるようにして、思わず笑みが溢れた。 微かに抱いていた警戒心もすっかり解け、不思議と彼のことを知りたくなっていく。 好きなもの、嫌いなもの、色んな話を聞いてみたい。 「あ、呼んでるみたい。戻らなきゃ。」 「..また、来てくれる?」 「っ、もちろん!じゃあ、またね!」 入り口の方から彼を呼ぶ声がしてそちらに目を向けると、看護師が顔を覗かせていた。 ごめんね、と去って行こうとする後ろ姿を見たら、急にもう逢えないような気がして。 咄嗟に漏らした台詞に彼は一瞬意外そうな顔をしたけれど、すぐに大きく頷いて微笑んだ。 そしてビードロのように澄んだ瞳を輝かせながら、ひらひらと手を振ってその後にした。 何故か鼓動が高鳴って、顔が熱い。 この気持ちは、一体なんだろう。

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