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第6話

幻覚か、それとも夢なのか、病室ではなく丘の上に居るようだった。 辺り一面に向日葵が咲き誇っている。 その中心には、見覚えのある華奢な後ろ姿がひとつ。 あれが朔だということは、一目で分かった。 ーーーまた逢えるなんて。 すぅっと大きく息を吸い込み名前を呼んでみると、朔は振り返って僅かに顔を引き攣らせた。 「..ごめんね。」 「何で謝るの..?」 「僕のせいで、辛い思いしてるのを見てたから..」 「ッ違う..!朔のせいじゃない!俺が弱いから..っ」 ゆっくりと此方へ近付いてきた朔は、消え入りそうな声を漏らした。 手を伸ばせば触れられる距離に居るのに、身体はピクリとも動いてはくれない。 まるで金縛りにあっているみたいだ。 俺が嘆き哀しむ度、朔は自分を追い詰めていたのだと思う。 どんなに否定しても首を振るばかりで、納得してはくれなかった。 「..好きな気持ちも、楽しかった思い出も、初めから全部なかったことにしようって、本当は最期の日が来たら突き放そうと思ってた。」 「っな、んで..」 「引きずって欲しくなかったから、僕のこと。」 突然放たれた台詞に愕然とし、喉の奥がひくりと震える。 言葉の真意が理解できず、唇から零れ落ちたのはたった一言の問いだけ。 それ以外に浮かばなくて目を伏せると、返ってきた答えは彼らしいもので、ホッと胸を撫で下ろした。 残される俺のことまで考えてくれていたなんて知らなかった。 きっと朔のことだから、気付かれないようにしていたのだろうと思う。 だけどそれなら、実際に言わなかった理由が何かしらあったはずで。 どうしてなのか気になるものの、責めているように捉えられそうで、口にするのは躊躇われた。 「..何で言わなかったんだろう、って思うよね。」 「..っぁ、いや..」 「..いざ死ぬ間際になってみたら、急に悠馬に嫌われるのが怖くなったんだ。狡いでしょう..?」 疑問を吐き出せないまま黙り込んでいると、分かってるよと言わんばかりに核心を突いてきた。 返答に困り声を詰まらせる俺に苦笑いを向け、朔はどこか自嘲的な物言いで話し続ける。 嫌われるのが怖いなんて当たり前で、それならいっそ縋って欲しかった。 最後まで聞き終えたところで、わざと大げさな溜め息をついた。 「バカだなぁ。狡くなんかないよ。」 「え..?」 「もし突き放されていても、俺は絶対に朔を嫌ったりしなかったよ。だからもう、後悔するのはやめて?」 拒絶されても、全てなかったことには出来ない。 積み上げてきた想い出や、芽生えた愛しさを、簡単に消し去ってしまえるわけがないのだから。 張り詰めた空気を溶かすように、ふっと口元を綻ばせる。 すると朔は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、それからすぐに泣き崩れた。 「ねえ、朔。」 赤ん坊をあやすみたいに何度も丁寧に髪を撫でながら、ぽたりぽたりと地面を濡らす雫を眺めていた。 いつまでこうして居られるのだろう。 そんなことを考えていたら、ふと自分の身体が僅かに透け始めているのに気が付き哀しくなった。 永遠に二人きり、このまま此処で過ごせれば良いのに。 叶わないと知りながらも、ついそんなことを口走ってしまいそうになる。 離れ離れになる運命は、今更どうしたって変えられなくて。 彼のいない世界を、俺は生きていかなきゃいけないのだ。 俯く朔に声を掛けると、涙をそのままに顔を上げて、問うように首を傾げた。 「本当はこのままずっと傍に居たいけど、それは無理みたいだからさ。いつか俺が死ぬ時がきたら、迎えに来てよ。」 「..その頃には僕のことなんて、きっと覚えてないよ。ちゃんと女の子を好きになって、結婚して、もしかしたら子供だっているかもしれない。そうでしょう..?」 今は別れなければならなくても、また逢えると信じていた。 けれどそう思っているのは俺だけのようで、朔は更に表情を曇らせていく。 他の誰かを好きになるとは考えられないし、考えたくもない。 どれだけの月日が経とうとも、朔のこと以上に想える存在が現れるなんて、有り得るはずがなかった。 「これから先も、俺は朔のことが好きだよ。ずっと変わらない。」 「ほんとに..?絶対だよ..?」 「大丈夫、裏切ったりしないから。」 「..わかった。約束だからね。」 涙で濡れた朔の頬に手を伸ばし、拭うようにして触れる。 思いの丈をぶつけても、不安げに瞳を揺らすばかり。 それでも本気だということが伝わるよう必死に訴えかけると、漸く強張っていた頬を緩ませてくれた。 釣られて目元を綻ばせれば、いつかの俺がしたみたいに、朔が小指を此方へと差し出してくる。 それに自分の小指をしっかりと絡め、大きく頷いてみせた。 「..そろそろ、時間切れみたい。」 「僕の分まで楽しい人生を送ってね。待ってるから。」 ほとんど腰から下は透けてしまって、タイムリミットが迫っていることを告げていた。 どうやって朔の居ない世界を楽しめば良いのか、今の俺にはまだ分からない。 だけど次に逢う時までに胸を張れるような、立派な大人になっていなければならないとだけは思う。 こんなにも愛のある言葉で送り出してくれているのだから、数十年後の自分にガッカリさせるわけにはいかない。 「..ありがとう、朔。じゃあ、行ってくる。」 「うん、行ってらっしゃい。またね、悠馬。」 寂しさを押し殺し笑ってみせれば、朔は僅かに名残惜しそうな顔をしたものの、同じように笑って抱き締めてくれた。 ほんの少しの間は姿が見えなくなるけれど、いつだって心は傍に居て繋がり続けているんだ。 背中に腕を回し返して温もりを感じると、俺は安堵して瞼を下ろしたのだった。

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