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第7話
目を開けて最初に映ったのは、哀しげに歪められた両親の顔。
手を伸ばそうとしたけれど、腕には点滴針が刺さっていて動かせなかった。
おまけに喉はカラカラで、思うように声も出ない。
それでも必死に呼び掛ければ、二人は心底ホッとしたように微笑んだ。
「..心配、掛け..て..ごめ、ん..なさ、い..」
あの夜から、一週間ほど眠り続けていたらしい。
憔悴しきった身体が限界を迎え、危険な状態だったのだと聞かされた。
もしかすると俺が死なないように、朔は追い返しに来てくれていたのかもしれない。
きっと逢えていなければ、生きていくことを選ばずにいただろう。
心の中で感謝しながら、目覚めるのを不安な気持ちで待っていた両親にまずは謝らなくちゃ、そう思った。
翌日から少しずつ食事が取れるようになっていき、二ヶ月もすれば元の体型に戻った。
体温調節機能の不調による震えが治まり、精神面も安定して徐々に幻肢痛を起こす回数が減っていった。
そうして絵を描く余裕も生れた頃、リハビリテーション病棟へ移動になった。
義足を作ってもらえることが決まったからだ。
上手くいけば車椅子がなくても、また自由に歩けるようになるらしかった。
本当にそんなことが可能なのか、名前は聞いたことがある、程度の知識しかない俺には、義肢が来て採寸や採型をしてもイマイチ想像がつかなくて。
だから、実際に仮義足を装着した時には、喜びよりも驚きの方が強かった。
機械だと分かる風貌をしていても、脚が戻ってきたように思えたから。
いきなりの歩行は無理な為、まずはリハビリをしなくてはならない。
毎日クタクタになって大変ではあるけれど、それでも立って歩く姿を朔に見せられるのだと思えば、不思議と辛くはなかった。
「っ、歩いてる..」
それから半年程の歩行訓練を経て、まだ不安定ではあるものの、やっと杖に頼らずして歩くことが出来るようになった。
同時に、長かった入院生活が終わりを迎える。
リハビリは続けなければならないけれど、これで漸く元の暮らしが帰ってくるのだ。
それを嬉しいと思う反面、朔との想い出が詰まったこの場所を離れる寂しさもあった。
自宅に戻って二週間後には、学校に復帰した。
ちょうど休んでから一年が経っており、少しの実感も湧かないまま六年生になった。
両親はイジメに遭わないかと心配していたけれど、クラスメイトたちは拍子抜けする程あっさりと義足を受け入れ、歓迎ムードで俺を迎え入れてくれたのだ。
不馴れな階段等の移動に苦戦していれば、男女問わずして手を貸してくれる。
優しいでしょう、と言わんばかりの顔をして。
無意識なのは解っていても、障害者であることを突き付けられているようで哀しかった。
もう誰も対等な立場では扱ってくれない。
脚以外は、何ひとつとして変わっていないというのに。
この先ずっと、こういうことが付き纏ってくるのだと思うと憂鬱になる。
それでも笑顔を作って、上手く日々をやり過ごした。
中学に上がると同時に、仮義足が本義足になった。
大きく変化したところがあるわけでもない為、最初に履いた時のような感動はない。
多少パーツが違うくらいだ。
この頃には人の手を借りずして、自由に歩き回れるようになっていた。
それでも善意の押し売りは続き、うんざりしてしまう。
休み時間は出来るだけ教室を遠ざけ、一人になれそうな場所を探して時間を潰した。
三年生になり受験に向けて、これから自分が何をしていきたいのか、両親にきちんと話をした。
世界中を旅しながら絵を描いて、いつか個展を開きたいこと。
その為にまず、外国語科がある学校へ進学して語学を学んでおきたいこと。
考えを全て伝えると二人は、好きなように生きれば良い、と背中を押してくれた。
無事に第一志望に合格し、電車で四十分程度の高校へ通い始めた。
小中学校の頃の同級生は居ないようだった。
此処では義足であることを過剰に気遣う人間がおらず皆、普通に接してくれる。
休日に遊びへ誘ってくれるような友達も出来た。
おかげで、一日を無駄に長く感じることもなくなった。
些細なことかもしれないけれど、それが俺にとっては嬉しくてたまらなかったのだ。
「ありがとう。でも、ごめん。」
日直で放課後に残っていたある日のこと、ペアだった女の子に告白をされた。
きっと勇気を振り絞って伝えてくれたのだと思う。
好きなの、と言う彼女の声は微かに震えていた。
その姿はいつかの自分を見ているようで、不意に懐かしい情景が脳裏に浮かぶ。
誰かを大切に想う気持ちを知っているから、応えられないけれど軽くあしらうような真似はしたくなかった。
だから好意を向けてくれたことに感謝を込めて礼を言い、それから傷付けないように断ったのだった。
卒業するまでに同じようなことが何度かあり、その度に朔を思い出しては逢いたくなって似顔絵を描いた。
それでも寂しさは埋められず、キャンバスに口づけてみたりして。
無機質な感触は、更なる寂しさを煽るだけだというのに。
たまらなくなって、涙がこぼれ落ちる日もあった。
立派な大人になってみせる、だなんて意気込んでおいて情けない。
こんな姿を見られたらきっと、また罪悪感を与えてしまう。
もうあんな苦しげな顔はさせたくない。
バチンと掌で両頬を挟み込むようにして叩き、しっかりしろと渇を入れ直した。
大学でも引き続き外国語を学び、自宅では両親から絵を教わっている。
同時に旅の資金を集める為、塾講師のアルバイトを始めた。
立ちっぱなしや重い物をたくさん運ばなければならないような仕事は厳しく、そのことを相談した友達が紹介してくれたのだ。
どんな風に授業をすれば理解してくれるのか初めは悩んでばかりいたけれど、精一杯やっていくうちに成績が上がった等と生徒達が嬉しそうに報告してくれるようになった。
その顔を見る度に、もっと頑張ろうと思える。
この仕事をしてみて、両親が先生をしている理由がなんとなく分かった気がした。
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