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第1話

 誰も居なくなったスタッフルームの壁に追い詰められ、逃げ場を無くしてしまった敏之は、目の前で嬉しそうに笑いながら迫り来る憧れの人を怯えた様に見上げながら、何故こんな状況になってしまったのだろうかと必死に考えていた。  もう嬉しいのか怖いのか、それさえもわからない。  ただ、嫌じゃない。もっと触れていたい。それだけは確かで、そしてそれが全てであるような気もしていた。 「あの、ちょっと待って下さ……」 「だぁめ、待たない」 「……っん、ぅ」  唇に柔らかい感覚が触れると同時に、混乱し続けている頭の中がしびれる。忍び込んでくる舌の熱さに、それ以上思考を巡らせる余裕はなくなってしまう。  ぎゅっと瞳を閉じてしまった敏之に気をよくしたのか、そのまま腰に回された手にぐっと引き寄せられ、身体を包み込まれる。  どこもかしこも密着した身体は火を噴いてしまいそうな程熱くて、何よりも目の前のこの人に求められている事実が嬉しくて、敏之はもうこれ以上逃げる事は不可能だと知った。  田辺敏之がずっと憧れていた人と出会う事になった原因は、二週間前。 『デン、来週の土曜日って暇? ファンサガの三周年イベント、一緒に行かない?』  幼馴染みの藤堂士朗に、オンラインゲーム『ファンタジーワールド・オブ・サガ』内でそう声を掛けられたのが始まりだった。  『デン』というのは敏之のゲーム内で名乗っている名前だ。  アバターはドワーフの戦士で、魔法が苦手でスピードは遅いが力と防御がかなり強いので、ソロプレイがメインの敏之としては使い勝手が良くて気に入っている。  ちなみに声を掛けてきた士朗のアバターはうさ耳ロリっ娘の『ありす』だ。  正体さえ知らなければ、めちゃくちゃ可愛くて人懐っこい女の子なのだが、中身は自分とそう変わらない男だと思うとちょっとめげる。  リアル世界と男女を逆転させることはオンラインゲーム内ではよくある事だが、何故うさ耳なんだと呆れ気味に聞いてみたら「だって可愛いだろ? バニーガールは男の夢だし」と悪びれもなく返してきた。  確かに可愛くはあるのだが、バニーガール好きならせめてもっとナイスバディにすれば良いのにと何度思ったかしれない。士朗の目指す場所がわからない。  その皆に好かれる可愛らしい見た目と、リアルでの士朗の元々持つコミュ力のバカ高さも相まって、『ありす』の周りにはいつも大勢の人が集う。  ソロで楽しみたい敏之としては、『ありす』と一緒に行動する事は極力避けたいのだが、何かあると『ありす』の方から近寄って来てしまう為、ゲーム内でも『デン』は『ありす』の仲の良い友人という事で広まってしまっている。  友人であるのは間違いないし、別にそう認識されるのが嫌なわけではないのだが、『デン』が『ありす』と同じ様に誰とでもすぐに仲良くなれるコミュ力の持ち主だと思われるのは大変困る。  敏之だって別にコミュ障という訳ではなく、一般男子程度の能力は持ち合わせているつもりなのだが、士朗ひいては『ありす』のコミュ力の高さが異常なので、その友人と言うことで同等だと思われてしまうのだ。  何より敏之は、ゲームは基本的に一人でプレイするのが好きなのだ。  実際どうしても一人では進めないイベントや、『ありす』が泣きついて来た時しか協力プレイはしない方針である。  それに『ありす』には、他プレイヤーから『デン』以上にコンビ認定されているプレイヤーがいる。  イベント等は基本的にそのプレイヤーと周回しているので、『ありす』が『デン』に話しかけてくる時は、どちらかというと一緒にプレイしようという誘いではなく、何か別の相談事がある時だ。  そんなに絡みはないはずなのに、いつも会うと二人きりでこそこそ話しているからか、かなり親密な関係だと疑われている。アバターが男女なので、余計に好奇の目で見られているのは否めない。 『ルームに来い。そこで話そうぜ』 『うん』  道行くプレイヤーの視線が気になって、『デン』は『ありす』をゲーム内の拠点地へと招き入れる。  『ありす』も『デン』が注目されることを嫌っているのを知っているし、もしかしたら本来の目的が二人きりで話す事だったのかもしれない。すぐに頷いた。  もしかしたら周りから疑われる原因はこういう態度にあるのかもしれないが、深刻そうな相談事を誰もが聞ける街中やフィールド上でする訳にもいかないのでどうしようもない。  リアルでも友人なのだから個別に連絡をくれればいいのだが、士朗も敏之もこのゲーム内に居る時間がかなり多いので、こちらの方が気軽に声を掛けやすいのだろう。  結果、いつものように『デン』の個人ルームへ飛んで、そわそわしている『ありす』のアバターにお茶を差し出すアクションを挟んで、二人きりで話を聞く事になった。 『で、どういう事だよ?』 『だから、来週の土曜……』 『じゃなくて、そのイベントはスノーと一緒に行くんじゃなかったのか?』 『それが、今日誘ってみたらその日はバイトがあるって言われてさ』 『お前がそのイベントに一緒に行くの楽しみにしてた事は、スノーも知ってただろ? なんでわざわざシフト入れてんだよ』 『そんなの俺が知りたいよ!』  『スノー』というのは、ゲーム内で周りから『ありす』とコンビ認定されている、美人エルフキャラだ。  可愛い系うさ耳『ありす』と美人系エルフ『スノー』のでこぼこコンビは、アバター容姿だけでなくゲーム配信初期から常にイベントの上位に君臨している事もあり、結構な有名人となっている。  ちなみに『スノー』の正体は士朗の恋人で、敏之と士朗の高校時代の元クラスメイトで、酒井雪哉という名前の男だ。  今は敏之も当然の様に受け入れているものの、当初は二人の関係性には半信半疑だった。  明るく常に誰かが周りにいる士朗と、無口で他人を寄せ付けない雰囲気の雪哉は、正反対だったから。

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