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第5話

「酒井!」  敏之が雪哉の事を叫ぶように呼ぶと、帽子をかぶった先程の男と、その隣に居た別の男が同時に振り向いた。 「……田辺?」 「誰?」  帽子を被ったスタッフの男は敏之の予想通り、雪哉だった。  間違っていなかったことにほっとししながら、追いかけてきた敏之の存在に驚いている雪哉の隣で首を傾げている人物に、今度は敏之の方が驚愕する。  なんと先程まで舞台の上で喋っていた、敏之が熱い視線を向けていた『ファンサガ』の開発者がそこに居た。  こんな裏方が作業する場にいるような人物ではないその人が、他のスタッフに混じって機材を片付けているなど誰が思うだろう。  その場で固まった敏之に二人の視線が届く。  雪哉は秘密がバレてしまった様な、困った様な、そしてどこか申し訳ない様な顔をしてから、隣にいた開発者を引き連れて、敏之の方に向かって数歩の距離を詰めてきた。  憧れの開発者が触れられる距離にまで近寄ってくる事実を飲み込めなくて、思わず数歩後ずさってしまう。 「ふふ、取って食いやしないよ?」  完全にびびっている敏之を見て、可笑しそうに柔らかく笑うその人は、アイドルばりの甘めの王子様みたいな良い顔と聞き覚えのある声で、やはり先程見たばかりの人物で間違いないらしい。  物腰が柔らかそうなのに、どこか油断出来ない雰囲気なのは、先程の壇上で見た姿と、表情というか印象が少し違う様に感じられるからかもしれない。  雪哉がにこにこと笑いながら敏之に近付く男を制止しながら、呆れた風にため息をつきつつ、戸惑う敏之へと声を掛けた。 「……紹介する。もう誰かは大体わかっていると思うが、こいつは酒井隆宏。俺の従兄だ」 「従兄!?」 「こっちは高校の時の同級生で、田辺敏之。……あんたが会いたがってた『デン』だ」 「あ、そうなの? この子が? へぇ……そっかそっか、雪はちゃんと仕事してくれたんだね」 「え? 何、どういう事?」  よしよしと頭を撫でようとする隆宏の手を邪魔そうに振り払う雪哉の姿は、確かに気安い親密さがあって、親戚だという話は嘘ではないように思えたが、おいそれと受入れられる話でもない。  雪哉の従兄発言だけでも驚きなのに、続く会話の内容について行けなくて、おろおろしながら説明を求める声を上げる前に、隆宏がずいっと距離を詰めて敏之に片手を差し出した。 「初めましてー、いつも雪がお世話になっています」 「は、初めまして……?」  勢いに飲まれて挨拶を交すが、疑問系になってしまうのは致し方ない事だろう。まだ敏之の頭はこの状況に追いついていないし、何も理解出来ていないのだから。 「いやぁ、思ったより可愛い子じゃないか。これは雪に、特別ボーナスあげないとなぁ」  うんうんと頷きながら覗き込む隆宏の視線の先は間違いなく敏之だが、敏之の見た目はどう贔屓目に見ても、可愛いと形容される姿ではない。  運動部に入っていた事は無いし、人生のほとんどをゲームに費やして来たタイプで多少やせ形ではあるので、筋肉ムキムキで男っぽいかと問われると自信を持って肯定は出来ないが、特段小さい訳でも女子の様な顔立ちだとかそういう訳でもなく、ごくごく平均的な男子の姿形である事は間違いない。  隆宏は、視力が残念な人なのだろうか。 「隆兄さん、田辺は俺の大事な人の友人だ。変な事するなよ」 「信用ないなぁ」 「信用あると思っている事に、驚きだ」  呆れた顔の雪哉を見て、はっとする。隆宏の登場に忘れかけてしまっていたが、敏之は雪哉を追いかけてここまで来たのだ。 「そうだ、酒井! お前士朗をほったらかして、何やってんだよ」 「……バイトだ」 「抜けられないバイトって、ここの手伝いだったって事か? 別にシークレットイベントって訳でもないんだし、それなら士朗にちゃんと説明してやれば良かっただろ。あいつがお前とここに来るのどんだけ楽しみにしてたか、知らないはずないよな?」 「わかってる、だが……」  苦渋の表情をしている雪哉は、やはり士朗が寂しがっている事はわかっていたのだろう。  ならどうしてと追撃しようとした矢先に、隆宏が『ファンサガ』に出てくるナビゲーター役キャラクターの、小さなぬいぐるみキーホルダーを取り出した。 「雪はその大事な子に、これをプレゼントしたかったんだよね?」 「それは……?」 「スタッフ用に限定で作った、『ファンサガ』のグッズだよ。僕こういうの商品化するのに消極的で、記念品とかいつも身内用に少量しか作らないんだよねぇ」 「それの為に、士朗の誘いを断ったのか?」  確かに士朗は、グッズ好きだ。開発者本人が言うように、『ファンサガ』は商品化された物がほぼないので、たまに何かが貰えるというようなキャンペーンがある時には、かなり必死になっている。  スタッフ用のグッズは貴重な物だろうから、どうにかして手に入れてやりたいと考えるのはおかしな事ではない。  だが、その小さなキーホルダー一つを手に入れる為に、士朗の誘いを断るという選択肢はないんじゃないかと思う。  ファンの立場からしたらちょっとずるいと思わなくはないが、雪哉は隆宏の従兄だという話が本当なら、わざわざスタッフとして入らなくても、どうにか頼み込めば一つくらい手に入りそうだ。 「まぁ……そうだ」  雪哉の答えはどこか歯切れが悪かったが、ぽんっと隆宏がそのキーホルダーを雪哉に渡すと嬉しそうにしていたので、目的はそれで間違いではないらしい。  納得いかない部分もあるが、それよりも先にすることがある。 「なら、この先は俺がバイト変わってやる。だからお前は士朗の所へ行ってやれ。言い訳でも謝罪でもなんでもいいから、今すぐ!」 「田辺……恩に着る」 「おう、今度メシでも奢れよ」 「わかった。それから……隆兄さんには気をつけろ」 「…………?」  最後に雪哉が神妙な顔で耳元に囁いた言葉の意味は測りかねたが、雪哉が士朗の所へ走り去っていくのを笑って見送る。  あの調子だと、雪哉も今日は士朗と一緒に居たかったに違いない。  二人ともが同じ気持ちだったのに、それを蹴ってまでそんなにあのキーホルダーが欲しかったのだろうか。  いや、確かにもの凄く貴重なものなのだろうけど、それよりも一緒に楽しむ思い出を作った方が良いと、雪哉ならわかりそうなものだが。  恐らく雪哉は士朗にこっぴどく怒られるだろう。だが何にせよ、この後の事は二人で話せば良いことだ。  願わくば、揉めて敏之にとばっちりが来ないといい。  思いがけず雪哉を見つけ出し士朗の所に送り出せたので、敏之の本日のミッションは成功といっていいだろう。  ほぅと息をついて振り返ると、隆宏がにこにこと笑いながらその場に立っていた。  そう言えば雇い主であるこの人に何の断りもなく、バイトの代理を決めてしまった事に気付いて、慌ててぴしっと姿勢を正し、そのままがばっと頭を下げる。

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