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大丈夫
ヘリオサの腹心のひとりであるバドラを残し、一行はヘリオススへと帰還した。
王が留守にしている間、特段変わったことはないようだった。厩へ愛馬を繋いで外に出ると、腰の辺りに衝撃がぶつかってブラッドは足を止めた。
「やっと帰ってきた!」
子どもたちが足元に纏わりついて、そのうちのひとり――フィーラが腰に腕を回している。黒いひとつ結びの頭を乱すように掻き回しながら、ブラッドは物理的に重い脚を動かした。
「随分と熱烈なお出迎えだな」
「退屈なんだもん! グランと遊ぶのも飽きたし、ブラッドフォードも怪我したと思ったら出かけちゃうし」
ふと視線を上げると、グランが肩を竦めて佇んでいた。体力の有り余っている子どもたちに、随分と手を焼いているらしい。
ブラッドの上着の裾を握り締めるフィーラの手をやんわりと離して一緒に歩き始めると、子どもたちの中で一番元気なその男の子は隣に並んでブラッドの顔を見上げた。
「ツチ族のところに行ったんでしょ? クバルは? クバルに会った? 元気だった?」
「早くヘリオススに戻ってこないかな? 戻ってきたら手合わせするって約束したんだ!」
帰還して早々、クバルの話題だ。それはそうだ。戻って一番最初に顔を合わせたのが小さな戦士たちでなくても、誰でも必ずクバルの話をする。
細く息を吸い込み、ブラッドは声を作って子どもたちを見下ろした。
「あいつは相変わらずだったぞ。向こうに行って一ヶ月も経つのに、人見知りしてるのか知らねえがむっつり黙り込んで」
「えー、子どもっぽい!」
「ねえねえ、お嫁さんは? ツチ族のお嫁さんは見たの?」
「ああ、会ったぞ」
「身長は? 太ってた? 痩せてた? 目の色は? どんな格好してたの?」
「可愛い?」
「こらこら君たちそこまでだよ。ブラッドフォードも疲れてるんだから」
後ろから静かに追っていたグランが呆れた声で口を挟んだ。子どもたちは「グランは喋らないで!」と非難の声を上げる。
「剣の師匠に何て暴言……」
「よしお前ら、グランの稽古にも飽きただろ。俺が相手してやろうか」
「えっ本当! ブラッドフォードが遊んでくれるの?」
「真面目にな」
やったー! とフィーラを始めとした子どもたちが嬌声を上げて跳び跳ねた。ブラッドの左手を握って、早く行こうと急かしてくる。
「待て待て、準備してから行くから。皆は先に行ってな」
「わかった! 早く来てね、絶対!」
興奮した小さな戦士たちは、土埃を上げてヘリオススの南へ向かって駆け出す。競争を始めたようで、可愛らしい嬌声は徐々に聞こえなくなる。小さな背中が見えなくなった頃、背後にいたグランが隣に並んだ。
「本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。ちゃんと眠れたし、問題ない。あいつらの相手するくらい」
「ブラッドフォード。大丈夫ですか?」
話を聞いていなかったみたいに同じ問いを繰り返すグランを見る。丸い茶色の瞳が、ブラッドを直視していた。
何かを見透かすような、まるで子どもの悪事を問い詰めるような強い視線。意識した途端、足元に穴が空くような感覚が覆い被さり、ブラッドは咄嗟に言葉を放った。
「何が?」
「何が、って……」
グランも困惑して足元を見下ろした。穴が空いていないことを確認し、再度ブラッドを見つめる。
「あなたが大丈夫だと言うのなら、いいですが」
「大丈夫だよ、俺は」
言える訳がない。クバルに、アトレイアの人間かと問われたなんて。口に出したらますます惨めな気分になる。グランに同情されたら、酷い虚無感に襲われる。
クバルの記憶喪失の件は、いずれは耳に入ってしまうだろう。だが、今はグランに話す気分ではない。クバルの名前すら、話題に出したくないのだ。
「俺は荷物置いてから行くから……お前は先に子どもたちのところに行ってろ」
グランを置いてひとり歩き出す。数拍置いて、背後から返事が聞こえてくる。
自分の天幕に戻って休む気になど到底なれないのだ。暗い部屋でひとり泥中に沈むより、無遠慮な子どもたちと一緒にいた方がいい。
左手の違和感はとうに消えたし、右手の包帯も取れそうだ。深かった傷はかさぶたになりかけている。けれど、今でも肉に刃が食い込んで割れ目を広げているように、じくじくと痛む感覚があった。左手で覆ってみても、当然その痛みは消えなかった。
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