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1 真夏の新宿
真夏の夜の、新宿2丁目。
高校2年生のおれにとっては全くの未知の世界であり、一方で、猛烈な憧れの地でもあった。
いつか仲間入りしてみたいところ――そんな漠然とした桃源郷 に、いまおれは立っている。
握りしめたスマホの画面と、路地裏の妖しい看板を何度も見比べて、重い扉を引く。
スタッフと思しきスーツ姿のひとがさっと寄ってきた。
「いらっしゃいませ」
「……えっと、参加予約したんですけど」
「お名前を頂戴してもよろしいでしょうか」
「ふうです。ひらがなで、ふう」
マッチングアプリで募集していた、私的な乱交パーティー。
IDチェックがガバガバなので、18歳以上だと騙 るのが簡単だ……とネットで見て、反射的に応募した。
もちろん、こんなことは初めてだ。
セックスはおろかキスもしたことがないし、友達だって積極的に作るタイプではない。
どう見ても子供っぽいおれの全身を見て、まあすぐに未成年だと見破られただろうけれど、スタッフのひとは何も言わずに微笑んで、室内に通してくれた。
「こちらのリストバンドをはめておいてください。ふうさまはネコですので、黄色です」
「ありがとうございます」
精一杯、平静を装って笑顔を作り、紙のリストバンドとコンドームを受け取る。
ゴムは誰も使わないと書いてあったから、ジーンズのポケットにしまった。
「それでは、お楽しみくださいませ――」
スタッフの人がそっとドアを開くと、想像を上回るギラギラとした空間が広がっていた。
照明は暗く、人の顔がギリギリ認識できるかというところ。
学校の視聴覚室くらいの広さのフロアには、お酒がずらりと並んだバーカウンターと、立食用の高いテーブルがあちこちに置いてあって、参加者はアルコールを片手に誘い合っているようだった。
部屋の奥に目をやる。
数脚置かれたソファや広いベッドの上では、既に何人かがセックスをしていた。
さらに奥には、半個室のようになったスペースもいくつか見える。
明らかに場違い。
服装はできるだけ高校生に見えないようにしたつもりだったけれど、165センチのこの童顔では、多分バレバレだ。
誘われないかも。
それか、思い切り無理やりヤられるか。
なるべく怯えが顔に出ないように注意を払いながら、バーカウンターへ進む。
「あら、可愛いお客さん。初めてよね?」
「えっ。はい……、ここは初めてです。他は行ったことあるんですけど」
とっさに口をついて出た嘘だけど、これも多分バレバレ。
居合わせたひととバーテンダーさんが、顔を見合わせてクスクスと笑った。
「何飲む?」
「えーっと……、何かおすすめありますか?」
「そうねえ」
バーテンダーさんが首をかしげると、隣の男性がニヤニヤ笑いながら言った。
「オレのおすすめでもいいかい? ジョニーウォーカー。うまいよ。ロックがおすすめだけど、お酒あんまりだったら水割りでも」
「いえ、ロックで」
大丈夫かな、とチラリとは思いつつ、お酒の力でも借りないと、雰囲気に呑まれてしまう気がした。
ずんぐりむっくりなガラスコップになみなみと、琥珀色の液体が注がれる。
手に取り口に近づけると、むせそうなアルコールの匂いに、思わず顔をしかめてしまった。
「いただきまーす……」
飲みながら、勧めてきた男性の腕を見る。
紫は、リバの色。
このひととヤることになるのかな……なんて緊張しながら、ちまちまと口をつける。
「うまいっしょ?」
「はい」
味が濃すぎて、一向に口に入っていかない。
このペースでは会話にも入れそうにないので、思い切ってぐいっと煽 った。
味を感じないように、コップの半分を一気に飲む。
「あらあ、良い飲みっぷりだけど、平気?」
「……平気です」
「ふふ、ダメね。いいわよ、無理しなくて。気分悪くなってエッチできないんじゃ、本末転倒だもの。ね?」
コップは回収されて、代わりにオレンジジュースを手渡されてしまった。
「いやー、良いなあ。ウブそうな子、オレ、好きだよ」
「すいません、勧めてもらったのに」
「はは、ちょっと可愛いとこ見たかっただけだからさ」
カウンターの上に置いていた右手に、男性の手がすすっと重なる。
バーテンダーさんは、他のお客に呼ばれて行ってしまった。
「オレ、結構他人に見られてヤりたいタイプなんだけど、君は?」
「んと……おれもなんか、適当で大丈夫です」
そのための『乱交』だ。
いまさら怖気 づいてどうする。
無理やり笑顔を作って、添えられた手を握り返す。
ちょっと室内を振り返ると、早速酔いが回ったのか、視界が揺れてかすんだ。
「あ、あれ知り合いだわ。混ざろっか」
男性が指さした先では、筋肉質なふたりが交わっていた。
AVでしか見たことがない、本物のセックスが繰り広げられている。
隆起する猛々しいペニスと、快楽に歪んだ顔。
「……はい。よければ、混ざりたいです」
嘘だ。
性的な興奮より、緊張の方が勝ってしまった。
あんなこと本当にできるのだろうかという不安で、逃げ出したくなる。
行こっか、と言った男性の目はギラついていた。
――うまくやれる自信がない
怯んでしまったおれは……愚かにも、嘘をついた。
「すいません、酔いました。トイレ行ってきます」
「あらら、残念」
肩をすくめる男性は、惜しむ様子を微塵 も見せずに、どこかへ行ってしまった。
そしてぽつんと、バーカウンターに取り残される。
きょうはもう、誘われないかもしれないな。
いまさらあそこに行ったって、さっきのひとがダメだと言うかも。
顔が広そうだったし。
それに、そもそもおれみたいな遊び慣れていないのは、需要もないだろう。
酔いが回って、ふわふわする。
あてもなく歩き出すと、なんだか虚しくなって、フロアの真ん中で立ち尽くしてしまった。
普通の恋愛戦線から外れていることは知っていたけど、まさか、こんなに許された場ですら溶け込めないとは思わなかった。
もう……誰でもいい。
頭を振りうつむいた、そのときだった。
「ねえ、相手いないの?」
若い声。手首をちょんちょんとつつかれる。
ぱっと顔を上げると……おれは目を見開いた。
同じ学校のひとだったのだ。
「え……っ!」
とっさに手を振り払ってしまった。
相手は驚いているようだったけれど、それはおれが手を払ったことで、多分、同級生だとは気づいていない。
「あっ、ごめんね。急に触って」
「……え、いや。こっちこそすいません。ちょっとびっくりしただけで」
藤堂 和真 ――2年、生徒会副会長。
成績優秀、スポーツ万能、性格も良くて先生からも生徒からも信頼が厚くて、悪い噂などひとつも聞いたことがない人物。
こんなところで会うなんて、夢にも思わない。
いやそれとも、これは夢か?
やっぱり酔っているのか、他人の空似か、なんなのか。
藤堂くん……と思しきひとは、目を細めて微笑んだ。
「もし相手いないなら、奥行こうよ」
「奥って……個室?」
「そう。なんか、大勢でとかあんまり気が進まなくて」
どう考えても、この誘いに乗るのはまずかった。
同級生だと気づいてしまったら、多分、お互いアウトだ。
相手にバレたとして、先に気づいていたおれに非があるし、その後の高校生活を平和に過ごせる気がしない。
答えられずに、彼の腕を見る。
華奢 なチェーンのブレスレットに重なるリストバンドは、赤。
タチだ。
「拒否されないから、イエスととらえちゃう」
「えっ、いや……っ」
ふんわり笑った彼は、おれの手首を掴んで歩き出した。
酔いが回って若干足元がおぼつかないおれは、勢いにひきずられて、半個室に入ってしまう。
カーテンを引くと、彼は穏やかな表情で首をかしげた。
「なんて呼べばいい? 俺はユキヒロ」
「……ふう」
「いくつ?」
「18」
「ん、一緒」
あまりに自然に言われたので、本当に、このひとは藤堂くんにそっくりのお兄さんなのではないかと思ってしまった。
でも、ゆっくりと近づいてくると、綺麗な顔も澄んだ声も、ますます藤堂和真本人としか思えない。
優等生の裏の顔が、乱交パーティーに出入りする遊び人なのだろうか?
両肩に触れられて、ちょっとだけ顔をそむける。
「恥ずかしい? 可愛いね」
「ん、ごめん」
……相手はこの距離でも気づかないようなので、彼はおれのことを、朋永 文 の存在自体を知らないのだ、と結論づけた。
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