1 / 60

第1話 孤高の王①

 ──この森から出てはダメよ。誰にも秘密を知られてはダメよ。  母がそう言い残して死んだのは、十年も前のこと。俺はその言いつけを守って生きてきた。群れのみんなが都会に出て行っても、森の中の川辺から離れないで、一匹で孤独に耐えながら、じっと──待った。  ──ただ、貴方のことを探しにくる者がいれば、ついて行くかその者を見極めて決めなさい。 「あと少しだね。あの丘を越えたら見えてくるよ」 「ああ、数日楽しめる金は用意してきたぜ」  幌の掛けられた格子付きの荷車に載せられて、どれくらい経ったのだろう。何度か食事が出されて、食べて寝て起きてを繰り返した。がたがたと揺れる振動と、たまに荷車を引く男達の会話が聞こえるだけ。幌の隙間から見える景色には、馴染みのある木も川もない。ただ、茫漠と草原が広がっている。  母の遺言の通り、迎えに来るものがあった。同じ犬族の国の者達だったが、しかしその者達は俺を縛り上げて無理矢理この荷車に放り込んだ。そして今どこかに連れて行こうとしている。その目的地も理由も、何も分からないまま。 「そういえば本当かな? 羊族のやつらが俺達犬族を見限って、狼族と組むとか」 「狼族はαばかりだからな。Ωの多い羊族からしたら番になれる方が経済的に良いのかもしれないが」 「ないない! 大昔食獣が行われてた頃にどれだけ羊族が奴等の餌食になったか……未だにその遺恨で国交も断絶してるんだぜ?」  男達の話は、俺の知らない話ばかりだった。犬族以外にも多くの獣人がいるのは知っているけど、見たことは一度もないからだ。  食獣、αやΩというのも初めて聞いた。何を意味する言葉なのだろう。しかし男達に訊ねることはできない。俺をこんな目に遭わせた奴等と口を利くのは嫌だから。 「そんなことより、今夜から羊族の国は二週間カーニバルだ! ふわふわの毛並みのかわいこちゃんが俺を待ってる!」  俺を捕まえた男達は三匹。一匹は灰色の毛で耳が大きな蒼い目の男、一匹は栗毛の長毛で耳が垂れている。残る一匹は茶と黒が混ざった斑模様の毛で牙が鋭い。さっきからうるさいのは斑の毛の奴だ。 「お前、村に奥さんいるだろ? いいのか?」 「良いんだよ! 羊族はセックスと羊毛だけで生活してる、つまり身売りしてナンボの下等種だ。寧ろ奴らのために種付けてやるんだから、褒められてもいいくらいだ」  羊族と犬族の関係がどういうものなのか、俺は何も知らない。けれど、この男の言草は、余りに侮蔑に満ちていて、気分が悪くなるものだった。 「俺、羊族のカーニバルに参加するの初めてなんだけどさ。初代の王様の誕生日に催される国をあげたお祭り、ってことしか知らないんだよね」  栗毛の男が首を傾げる。「知らないでこの仕事引き受けたのか」と斑の毛の男が溜息を吐く。 「だよ。羊族はこの二週間に事前に抑制剤を使って、発情期(ヒート)が来るように合わせるんだ。カーニバルの時に孕んだ子は特別で、偉大なる王の加護を受けられると信じてるからな」 「えーっ! じゃあ、Ωだらけの羊族がそこらじゅうで発情してるってことっ?」 「そういうことだ!」  男は耳をピンと立てて、尻尾を高くあげたままぶんぶんと小刻みに振る。 「この時期は安く買えるし、世界中から獣人が集まるから、処女もカーニバルに合わせて水揚げすんだよ。上手くやりゃあタダでもデキるって話だぜ? その上、子供を孕みたいヤツがゴロゴロ居るから中出ーー」 「見えたぞ」  ほとんど会話に参加しないでいた灰色の毛の男が斑の男の台詞を遮るように言った。尻尾をぴたりと止め、明らかに不愉快そうに灰色の毛の男を見上げる。

ともだちにシェアしよう!