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第36話 愛を知らない犬と夜の羊②

「ああ~~っ!! おれの運命!!」  どこからか聞こえてきた声に辺りを見回すと短く切った黒髪と褐色の肌の羊族の青年がこちらに走ってきていて、次の瞬間には僕と女性を無理矢理引き離し、今度は彼が僕の腕にしがみついていた。 「何よルシ! 商売の邪魔しないで!」 「邪魔してねーし! スウードはおれに会いにきたんだっつの!」  長髪の印象が強く、髪が短くなっていたので一瞬分からなかったが、黒髪と垂れた耳、褐色の肌、そして赤銅色の瞳──彼は紛れもなくこの間出会ったルシュディーだ。  ルシュディーが「なあ、そうだろ?」と僕の腕を引っ張りながら言う。 「はっ、はい……」 「ほれみろ! 分かったら行った行った!」  そう相手の女性を手で追い払うような仕草をすると、女性は舌打ちをして、通り掛かりのまた違う男性に声を掛けていた。 「スウード、会いに来てくれたんだ」  僕の肩口に頭をもたげるようにして「うれしい」と呟く。しかし、ルシュディーはまた前回と同じ胸と腰周りしか隠されていないような露出の多い格好だったので、僕は顔から火が出そうになった。 「いやっ、これを、返そうと……!」  がちがちになりながら、僕はポケットに入れていた腕輪をおずおずと取り出す。 「ああっ! ずっと探してたんだよ!」 「こ、この間落としていったから、拾って……」  ルシュディーは僕からようやく離れると、腕輪を手に取り大事そうにじっと赤い石を見つめた。 「ありがとう。これ、父ちゃんの形見なんだ」 「形見……?」  その言葉に何故か胸を撫で下ろす自分に気付く。これが誰かから贈られたもので無かったから、何だと言うのだろう。 「父ちゃんに感謝しなきゃな。これを落とさなかったら、スウードはまたここに来てくれなかったんだから」  そう言って腕輪をつけて歯を見せてにかっと笑う。 「とりあえず立ち話もなんだし、店で話そ?」 「いえっ、僕は……」  ──いや、この街で長く働いているひとなら、もしかしたら、母の働いていた店や何らかの手掛かりが掴めるかもしれない。  ぐいぐいと腕を引かれるまま、前回のルシュディーの働いている店の前まで連れて来られた。 「マタルお疲れ! 上の一番奥の部屋使うからおやっさんとミーナーに言っといて!」  店の前で仁王立ちしていた頬に縦に三筋の傷のある犬族の青年にそう声を掛けて、娼館に入っていく。そして入ってすぐ左手にある階段を上った。  廊下を進み奥の部屋に行くまでの間、扉の向こうから妖しげな声が聞こえてきて思わず身を硬くする。 「入って」  ぐいと腕を引っ張られ部屋に招き入れられると、ベッドと棚の上に水桶と布が置かれているだけの部屋を目にして、ドアの前から一歩も動けなくなった。 「何突っ立ってんの? とりあえず座りなよ。話しにくいじゃん」  ベッドに腰掛けたルシュディーが隣に座れと言うようにぽんぽんと叩く。僕は顔を強張らせ小さくなりながら彼の隣に腰を下ろした。 「……髪、切った……?」  何でもいいから話さなければ、変な空気になりそうだったので、無い勇気を振り絞る。 「うん。伸ばした毛は獣化したら羊毛になるんだけど、それ売ってお金にすんの。結構良い値で売れるんだ~」  羊族は副業として一年毛を伸ばして羊毛を売る者が多い。質の良い羊毛を持つ者はそれだけで一年過ごせるという。

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