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第53話 運命はただそこに③
「これを売りに来た方は、何か言っていましたか?」
「確か……身辺整理で売ることにしたって言ってましたね。このルベライトは娼婦が客から貰うことがままあるので、売りに来ることは珍しくないのですが、これは最高ランクの上、五カラットもある。それにこの金装飾が流行したのは二十年近く前なので、お金に困って親の思い出の品を売りに来たのかなと思ったんですが……」
――身辺整理?
娼館で生まれ育った彼が、そんなことをするだろうか? ミーナーの話では客が全く付かないわけではないようだったし、お金に困っているようにも見えなかった。
それに、お金に困ったからといってルシュディーが親の形見を売るようなことはしないだろう。
胸騒ぎがする。よくないことが起こる、いや、既に起こっている気がする。
僕は店主に礼と「事情が分かるまでブレスレットを売らないで欲しい」と頼んで、店を後にした。そしてそのまま、歓楽街へと走った。
昼間に来るのは初めてだったが、殆どの店は営業準備中のようで、時折店で働いているだろうひとの往来があるだけで静かだった。妖しい雰囲気も消え失せている。
表通りから裏通りへの道に入る。と、いつもなら数人の客引きの男娼が立っていたり、用心棒が店の前に居たりするのだが、今は人影すらない。
静まり返った通い慣れた道を走り、ルシュディーの居る娼館の前までやってきた。ルシュディーの強張った笑顔と震える指先を思い出して胸が苦しくなる。それでも僕は彼に――ルシュディーに会いたかった。
戸を叩くと、しばらくして低い男の声が聞こえて開く。頬に三本の爪痕のある犬族、用心棒のマタルだった。
「お前……何をしに来た?」
怪訝な顔で僕を見る。歓迎されるとは思わなかったが、どことなく敵意を感じる言い方だった。
「……てめえ!」
どたどたと階段を下りてくる音と共に、目のやり場に困るくらいの乱れたままの格好でミーナーが飛び掛かってきて、一歩後退った。
「今更どのツラ下げて来たんだよッ!」
「そのことは謝罪する。怪我の治療費は勿論、何か他にできることがあるなら――」
「そんなことじゃねえ! ルシは……あんたに捨てられて、もう居場所がなくなって、出て行ったんだよ!」
ミーナーは僕の服を掴んだまま涙をぽろぽろと溢した。想像もしていなかった言葉に、呆然とする。
「ルシはあんたと会ってから一度も客取ってないんだ……あんただけを想ってたいって馬鹿みたいなこと言ってさ。多分親が男を待ちながら客を取って、精神的に可笑しくなっていくのを見てたからだろうな。でも客取らないで生活なんかできないから、おやっさんに羊毛売ってできた金で一ヶ月だけ許してもらったんだ」
僕と会っていない時は、当然のように彼は仕事をしていると思っていた。髪を切ったことを訊いた時も何ともないような様子で言っていた。
「あいつ、サンタイネスって種類の羊なんだ。本来短毛の毛が伸びにくい種類の羊でさ。十九年伸ばし続けてようやく一回分の量になったんだぜ? でも黒は織物に適してないから安くてさ、本当は一ヶ月分の代金にも満たない金にしかならなかった。約束の一ヶ月が過ぎて、一週間経ってもあんたが来なかったから、あいつは親の形見を売ってその金置いて出てったんだよ」
この娼館の店主も、恐らく情の深いひとだろう。ここで生まれ育ったルシュディーを、客を取らないからといって追い出したりはしまい。しかし、ルシュディーも同じくらい義理堅い獣人だったのだ。これ以上迷惑は掛けられないと思ったに違いない。
「ルシだって初めからあんたに身請けしてもらおうって思ってたわけじゃない。あんたが自分のことを何とも想ってないって気付いてから、こうなることが解っていてあんたに会ってた。俺はルシに諦めて仕事しろって言ったけど、ルシはもう無理だって……」
ミーナーは力無く掴んでいた僕の服から手を離して、その場に座り込んだ。と、マタルが小さく溜息を吐いて僕を見る。
「ルシュディーは犬の国に行くと言っていた。羊のΩが抑制剤もなしであの国で独りで生きていけるわけがない。すぐに犬族に食い物にされるのが関の山だって言ったんだが……馬鹿な奴だ」
怒り――いや自噴に駆られて、腸が煮えくり返るようだった。ほぼ同時に身体の方が勝手に動いていた。
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