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第56話 運命はただそこに⑥

 ──緊張? 何に緊張しているんだ、僕は。  その問いに答えるように、かつて見たルシュディーのあられもない姿が脳内再生され、壁に手をついて項垂れた。  駄目だ! もう意識の大半が持っていかれている!  ロポの言おうとしていたことは、全て聞かずとも分かる。番になるということはつまり、そういうことだからだ。  いや、しかし、いかがわしいことを考えている場合ではない。発情期のΩを抑制剤の実験の際に目にしたことがあるが、とてもじゃないが自力で食事を摂るのも難しいような有様だった。  ルシュディーが発情期に宿にひとりでいるというのは心配だ。食事や身の回りの世話をしてくれる者は居るのだろうか。もしかしたらミーナーが見に来てくれるのかもしれないが、何も聞いていないのでわからない。  というか、何故このことを僕に言わなかったのだろうか。もしかしてルシュディーは、僕がそういうことが苦手だからと気を遣ってくれたのか?  あの日、僕はルシュディーを連れ戻り、陛下とロポにルシュディーのことを話した。ルシュディーと番になりたいという希望も同時に。  陛下は驚いた様子だったが、僕の気持ちを尊重して下さった。そして自立して生活したいとうルシュディーの希望も叶えて下さった。  ルシュディーは城内の衛兵見習いとして働くことになった。将来的にロポの護衛とするつもりで。  陛下としては、βのムルシドが城下を見て回る時だけとはいえ、ロポの護衛をしているのが好ましくなかったのだろう。また夜間の警備についてβの羊族を常駐させてきたものの、使用人の大半がΩであることに懸念があった。  その点Ωの中でも珍しく上背もあり体格もいいルシュディーは、訓練を受けさえすれば衛兵として働ける資質があると陛下は考えたのだ。ただ、発情期のことを抜きにすれば。  抑制剤を使用すれば制御できるものではあるが、今のルシュディーには金銭の余裕がない。だからと言って金銭面で陛下に頼るのも本意ではなく、僕に頼るのもルシュディーは嫌がった。大事な形見のブレスレットも自分でお金を貯めて買い戻すと言っている。誰かに金銭的に依存することは、自らを縛り相手に依存することになるからだろう。  そのため、陛下は「僕とルシュディーが番になること」を前提として衛兵見習いに任命された。  番になれば発情期も軽くなり、数日中の数時間に限られるようになる。更に番以外には発情期における誘引が起こらない。衛兵として働くのに、ほとんど支障がなくなるのだ。  そしてそれが「運命の番」であれば、より強固になる。僕も抑制剤を常飲する必要はない。  僕がルシュディーを「運命の番」だと明確に認識できないのは、抑制剤の影響らしい。ロポが陛下に対して反応が鈍かったのも、抑制効果の強い実を食べ続けてきたからだ。僕も同じような状態にある。  しかし、他のΩには発情期であっても反応しないのに、ルシュディーのフェロモンには反応していた。獣化によって感度が増している状態だと制御し難いほどだった。それは「運命の番」だから、としか言いようがない事実だろう。  そうしてルシュディーは他のΩの使用人と共に城内で生活を始めた。ルシュディーは新しい生活に覚えることも多く、武器を手にしたこともない中で兵士としての訓練を始めて苦労しているようだった。  僕は陛下とロポの披露宴の準備で忙しいこともあり、ほぼ何のサポートもできないでいた。食事の時間も合わないので、朝わずかな時間会うくらいで一週間も経ってしまった。  その上、ルシュディーの朝のルーティンにも未だに慣れない。恋人同士なら当たり前のスキンシップにも羞恥心のあまり赤面したまましばらく硬直してしまう。  だからだろう。ルシュディーは四ヶ月に一度の発情期が来ると分かっていながら、僕に伝えなかった。  ルシュディーは、僕が思う以上に健気で他人を気遣う思いやりのあるひとだ。その上忍耐強く、他人を想う気持ちから自分を蔑ろにしがちなところがある。  この件も、きっと僕がこの有様だから、番の契りを交わすのは難しいだろうと思ってのことだ。ルシュディーは僕の気持ちが追い付いていない状態で番になることは望んでいないのだ。  恐らく、初めて行為に及んだ時のことを後悔している。僕の気に当てられてとはいえ、衝動的に気持ちが育つ前に身体を繋いだことで、僕が距離を取るようになったからだ。  第二の性を起因とした本能的な交わりではなく、互いを想い合い睦み合って番になること。しかしその希望を押し付けて僕に圧力を掛けないように、と発情期のことを話さなかった。毎朝のスキンシップは、ルシュディーなりに考えた僕の気持ちを量る方法だったのだろう。

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