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第1話:ホームレス青年

今の自分は世界で一番不幸だ。 最低限の服や生活用品が入った 大きなリュックサックを背に 俺、橋本海流(はしもとかいる)は思った。 まさか20歳にしてホームレスになるなんて! 15歳の時、 告白した初恋の相手(だんし)に 学校でアウティングされ不登校になり、 その後すぐに俺がゲイなことを噂で知った プライドが高く世間体を気にする両親には 一家の恥だと勘当され、 俺は母方のばーちゃんに引き取られた。 それから5年間 俺の唯一の家族だったばーちゃんが 先週亡くなり、 共に住んでいた家は 相続した母さんの兄である叔父が売りに出すと言い 出て行かなくてはならない。 15歳から必死に稼いだバイト代のほとんどは オンボロだった家の修理費や、 ばーちゃんの治療費と薬代のために 使っていたので、 自分への贅沢品などは あまり買ったことは無かったが、 リュックサック一つに 自分の全てが収まったことには びっくりだ。 これからどこへ行こうか。 どうやって暮らして行こうか。 ばーちゃんの最期までの入院費などで、 貯めていた金も吹っ飛んだ。 現在所持金9732円。 給料日まであと10日。 とりあえず今夜、 バイト後は漫画喫茶かな・・・。 そう思っていたのに・・・ 次の日目を覚ますと、 漫画喫茶ではなく、 真っ白の天井が目に入り、 俺はふかふかのベッドの上にいた。 どこだ?ここは? ふと、気配がある右側を向くと 逞しい裸の男の背中が見えた。 ・・・!!!! ・・・裸の男の背中ぁ!?!?!? 「ぇえ!?!?」 思わず大きな声が出てしまうほど 混乱した俺に その人はあくびをしながら こちらに寝返りをし 「おはよう。」 と言った。 「お、おはようって。 え?・・・あぁ・・・圭さん・・・。」 それが圭さんだと知って、俺は少し安堵した。 知らない人だったら・・・そう思うと怖かったから。 圭さんは俺が3ヶ月前から 調理バイトをしている居酒屋マボロシの常連さんだ。 マボロシの目の前にある 浮所産院の御曹司で産婦人科医と言っていたから、 多分名前は浮所圭(うきしょけい)さん。 1ヶ月前までは頻繁に店を訪れていたのに 最近は全く見ていなかったのだが 昨日は久々に来店し 閉店しても店長と一緒に飲んでいた。 そして、厨房の片付けが終わり 帰ろうとしていた俺も  なぜか一緒に飲もうと誘われた。 確かにその後 店長と圭さんと一緒飲んだけれど・・・ ・・・どうして俺はここにいるのだろう? 「あの、圭さん・・・俺。」 「んー?」 圭さんはまだ眠たそうに目を擦っている。 「・・・俺はどうして・・・」 と俺が言いかけたところで、 「パパー、朝ごはんまだー!???」 「お腹減ったんだけど!!」 と女子の声が遠くの方からした。 圭さんはその声に反応するように 腕を上に伸ばして、 腰をあげた。 「ごめんね。 うち、女の子がいるから、 リビングに寝てっていうのもあれで・・・ 他にも部屋はあるんだけど、 あまり片付いてなくて、 ここに連れてきちゃった。 加齢臭とかしなかった?大丈夫?」 「え、いや・・・そういうのは全然・・・。」 上半身裸の圭さんに 視線が迷子になった俺が 困った様にそう言うと、 圭さんは未だ眠そうに 再度あくびをしながら、 「ほら、君、昨日おばあさまが亡くなって 住む家がなくなったとか 言って泣いてたから 心配で、連れて帰ってきちゃったんだ。」 と言った。 「え!?そんなご迷惑を・・・」 「いや、平気。友達にも酒癖悪い人いるし。慣れてるよ。」 「そ、そうなんですか・・・」 「ってことで、娘たちの朝食作ってくるから、 適当にくつろいでて。」 圭さんはそう言ってベッドから出た。 圭さんは 40歳手前と言っていたけれど 歳よりも若く見える長身イケメンだ。 身長は多分180を超えていて、 165cmしかない俺とは 笑えるくらいの身長差がある。 今、目の前にあるボクサーパンツのみ履いた 程よい筋肉のついた引き締まった体も・・・眼福。 こう言う体・・・男としては憧れるよなぁ・・・。 あまりじろじろと見るわけにもいかないので、 目線そそらしながら、 チラっと覗き見ていた。 圭さんは クリーニングに出していたであろう ハンガーにかかった パリッパリのワイシャツと トラウザーズを ワードローブの中から出し、 それを素早く着て 部屋を出た。 ドタドタと階段を下っていく音。 ここは2階なのだろうか。 ベッドから降りて 閉まっていたカーテンを開けると やはり2階で、 下には大きな庭があった。 くつろいでいてと言われてもな・・・。 とりあえず服を着替えて、 柔らかいベッドの上に寝転がった。 加齢臭って言ってたけど・・・全然。 それどころか、とてもいい匂いがする。 俺変態かも・・・と思いながら しばらく布団を嗅ぎながら ゴロゴロしていると、 いきなり下から騒ぐ声が聞こえ 焦げ臭い匂いが嗅覚を刺激した。 俺は急いで一階に降り 匂いのほうへ向かうと、 何やら煙がたっていた。 「あ、海流くん。 上にも匂ってた? 新聞読みながら調理してたら、 一緒に燃やしちゃって〜」 と 既に鎮火済みの 半分になった濡れた新聞紙を持ちながら ヘラヘラしている圭さん。 「危ないじゃないですか!」 と俺が大声を出すと、 「・・・この人誰?」 「誰、誰?」 とそっくりな顔の二人の長身美少女が俺を睨んだ。 俺よりも5cmほど背は高く見える。 「・・・あ、えっと・・・橋本海流と申します。」 俺は二人の圧に圧倒され、 縮こまりながら自己紹介をした。 すると女子達は顔を緩めた。 「・・・パパ!!!なにこの可愛い系男子!!!」 「もしかして違うお手伝いさんも雇ったのー!? ジャニーズ系家政夫!!!」 「「きゃー!」」 二人は、近所の森清水高校の 制服を着ているので、 高校生だろう。 「おいおい、二人とも。 海流くんはそんなんじゃないって。 彼はマボロシの調理師さんだよ。 昨日ちょっと酔ってたからうちに泊まってもらっただけ。」 「なーんだつまんない! え、てか調理師さん!?!? じゃあ、ご飯作ってよ!!! パパのフレンチトーストは飽きた。」 「ほんと、毎日 フレンチトーストばっかり。」 双子なのだろうか。 声も顔もそっくりで どっちが何を喋っているのか 分からない。 まぁ、同じことを喋っているので どっちがどっちでも・・・別にいいんだけど。 「女子高生は フレンチトーストと パンケーキがあればいいんじゃないの??」 「なにその考え。 そりゃ1ヶ月一回くらいは食べたいけどさ。」 「そうそう。分かってないなぁ、パパ。 私たち生粋のジャパニーズで 和食で育ってるわけじゃん。 JKになったからって いきなり毎日フレンチトーストだされてもねぇ・・・・。」 「見た目は若いのに、 ほんとそういうとこおじさんだよねぇ、パパ。」 俺はそんなわちゃわちゃの中 ふと、保温になっている炊飯器を見た。 「このご飯、どれくらいあるかみてみてもいいですか? 結構な量が残っているのなら そこの卵と一緒に ・・・雑炊とかでいいなら、作りますけど」 「昨日の残りなら多分まあまああるよ! いいねぇ、雑炊。」 「雑炊賛成!」 女子二人は長い腕を挙げながら喜んだが 圭さんは 「海流くん、いいの?」 と申し訳なさそうな顔で訊いた。 「え?これくらい別に。 昨日泊めてもらいましたし。」 「悪いね。 僕、和食はあまり作ったことなくて。」 「いえ。冷蔵庫あけてもいいですか?」 「うん、もちろん。」 冷蔵庫の中には、 様々な食材が入っていた。 どこにいるのか分からないけど、 奥さんが、しっかりした人なんだろうな。 大根、にんじん、しいたけを使い、 野菜たっぷりの卵雑炊を作ると、 3人は同じ様に目を丸くして 「美味しそう〜!」 と言い、 一口食べた。 「やばい!めちゃ美味しい!!!」 「天才かよ!」 娘たちはとても喜んで食べてくれ、 「本当だ、すごく美味しいね。」 と、圭さんも満足げな顔をしていた。 「ほら、海流くんも、食べて。」 「すみません。泊めてもらった上、 ご飯までご馳走になってしまって。」 「いや、作ったのは海流くんだから! さすが料理人だ!」 「料理人なんて大袈裟な。 ただのキッチンバイトですよ。」 その後娘二人は 部活だからと言って、家から出て行き、 ダイニングで二人だけになった。 「娘たちの名前、教えてなかったね。 凛花と蓮花っていうんだ。 気づいてると思うけど、双子だよ。 可愛いだろう?」 「はい。 背も高くてモデルさんみたいです。」 「二人ともバレーボール部なんだ。」 「かっこいいですねぇ。」 「そうなんだぁ。うちの子たち 可愛くて、かっこいいんだ〜。」 デレデレだなぁ。 親バカってこういう人のこと言うんだなぁ。 うちの親とは正反対だよなぁ。 「では、俺も、出ます。」 「仕事?マボロシ以外でも働いてるんだっけ?」 「あ、はい。駅前のカフェのキッチンで働いてます。」 「そうなんだ。こんな朝から、夜まで働いていて大変だね。」 「家を借りるためにもお金貯めなきゃいけないんで。」 「そっか。 そう言えば昨日、住む場所ないって言ってたけど しばらく、うちにいてもいいよ? 片付けないといけないけど、 余っている部屋があるし。 マボロシも近いし。」 「いえいえ!そんな! 一晩だけでも、ご迷惑をおかけしたのに!」 「そんなことないよ。」 「いえ! では俺は、上からカバンをとって来ます。」 こういう他人からの親切には慣れていなくて なんだかむず痒い。 俺は急いでリュックサックを取り、 礼を言って、家を出た。 駅前のカフェ『サンミシェル』で、 ランチの仕込みをしていると、 同じキッチンバイトの4歳年上の亜子さんから 「いい加減、その辛気臭い顔やめてくんない?」 と怒られた。 ばーちゃんが死んでからも 毎日バイトが入っていたので ばーちゃんの葬式にもろくに顔を出せずにいた俺は、 さよならも言えなかったせいか、うまく切り替えられなくて、 ふとした瞬間 そう言う顔が出てしまうらしい。 「すみません。」 「何があったかは知らないけど、 プライベートを仕事に持ってこないで。 こっちの気分も悪くなるわ。」 言われていることはもっともなのだが、 冷たい口調に、余計悲しさが積もった。 男なのに、小さくて根暗なせいで 俺にはなんでも言いやすいらしくて 他人からこうやってよく叱られる。 ああ、 なんか嬉しかったことを思い浮かべよう。 そうだ! 今朝は、少しの間だけど楽しかったな。 ばーちゃんは、ここ数ヶ月入院していて、 一緒にご飯を食べることもなかったし。 あーやって、 ばーちゃん以外とご飯を食べたのも 5年ぶりかもしれない。 全ての仕事が終わったのは いつも通り午前0時だった。 マボロシから出ると、 浮所産院の前で 玄関先にある立派な桜の木をぼーっとした顔で眺めている 白衣姿の圭さんが見えた。 4月も中盤を過ぎ、満開に咲いていた桜が ひらひらと散っていく様子はなんだか儚げだ。 「こんばんは。」 俺が近づき そう声をかけると 「あ、海流くん。お疲れ様。」 と言った。 「圭さんもお仕事終わりですか?」 「ああ、そうなんだ。」 「散り桜、綺麗ですね。」 「そうだね。」 「・・・」 「・・・」 「・・・それでは、俺は。」 観賞の邪魔してはいけないと、 俺が立ち去ろうとすると、 圭さんは俺の腕を掴んで、 「ちょっと待って。 今日はどこに泊まるの?」 と訊いた。 「・・・え、 あー・・・漫画喫茶にでも行こうかと。」 「・・・あのさ、 朝から夜までほぼ立ち仕事をしていて そんなところでは休まらないでしょう? 家を借りれるようになるまで 僕のうちに来ないかい?」 「・・・え?・・・なんで?」 「朝も言ったけど、 部屋がちょうど余っているんだ。 元々は数週間前に隠居した両親の部屋なんだけど、 片付けた後は自由に君の部屋として使ってくれていいし。 あと恥ずかしい話なんだけど、 昨日は君が隣で寝てくれて久しぶりによく眠れたんだ。 春はどうも苦手でね・・・うまく眠れなくて。 今日もよかったら、隣で寝て欲しい。 明日から帝王切開のオペが立て続けにあって 流石に寝ないと集中力が続かないし。 そんな不純な理由じゃだめかな?」 「・・・別にだめじゃないですけど・・・」 この人は多分俺に同情しているだけだろうけど、 「自分のため」にきてほしいと言ってくれる とても優しい人だ。 でも、優しさというのは いつだって1つのことをきっかけで反転することを 俺は知っている。 普段あまりカミングアウトはしないけれど、 あまりにも優しく俺を見る目に嘘はつけなかった。 「・・・俺・・・実は・・・ゲイなんで。」 きっと、今、圭さんは俺を気持ち悪く思っている。 やっぱり家に泊めるなんて無理だと、言うだろう。 既に同じベッドで寝たことを後悔しているかも。 もう優しくなんてしてくれない。 そう思っていたのに圭さんは 「そうか。 それは好都合だ!」 と安心したように言った。 「年頃の娘がいるってことだけが ひっかかっていたんだけど、 君が女子に興味がないのなら その心配はなさそうだね。」 そんな圭さんのあっけらかんとした表情と言葉に ただただびっくりして何も言えなかった。 「ほら、じゃ、帰ろう。」 俺は戸惑いながらも 他に行く当てもないので、 圭さんの後に付いて家に入った。 「ここが、お風呂。こっちは物置。」 圭さんは俺に家の中を一通り説明してくれた後シャワーを浴び、 俺も次いで 二日ぶりのシャワーを浴びさせてもらった。 浴室はとても綺麗で、浴室暖房と、テレビまでついている。 内装リフォームをしたばかりなのだろうか。 産院の裏にある家の外観は若干古いが、 キッチンも含め中は全て最新設備で整っている。 ばーちゃんと暮らした家は 古い平家の日本家屋で、 浴室も、ステンレスの風呂釜に、モザイクタイル、 ある機能といえば、湯沸かし程度だったなぁ。 今日はいつも使っていた安いシャンプーではなくて、 いかにも女子が好きそうな 可愛らしいボトルに入ったシャンプーを借りて シャワーから出た。 使っていよ、と言われた 高級そうなドライヤーで髪を乾かすと、 もともと癖っ毛なので、 そこまでの変化はないが、 なんとなく、いつもよりはサラサラな感じがする。 その後圭さんの寝室へいくと、 圭さんはクイーンサイズのベッドの右側で小説を読んでいた。 パンツ一丁で寝るのがこの人のスタイルなのだろうか・・・。 掛け布団からは筋肉のついたたくましい上半身が出ていて 目に毒なのだが 変に意識していると思われても嫌だし 何も言えない。 俺はなんだか小っ恥ずかしくて ベッドの中に入れずにいると 「遠慮せずに、どうぞ。」 と本を閉じ、 俺がくるのを待っていてくれた様子だった。 緊張しながら 「おじゃまします」 と なるべく左端に寄り 同じ布団の中に入ると 圭さんは リモコンで電気を消した。 ドキドキして寝れないと言う心配なんて する必要などなかったくらい 1日の疲れと フカフカのベッドのおかげですぐにウトウトしてきた。 そんな朦朧とする意識の中で、 ばあちゃんが生前言っていたことを思い出す。 「人は一人でも生きられるけど それはとても寂しいことだよ。 ばーちゃんも、お前が来てくれるまで とても寂しかった。」 なんだか目蓋の内側で 温かい水分が溜まっていくのを感じる。 「ばぁちゃん・・・」 寝ぼけていて 声に出したのか 出していないのか 定かでは無い。 けれどその後、 頭を大きな手で撫でられた感触がした。 久々に感じる人の温もり。 それは 優しくて、 柔らかくて、 気持ちが良くて 俺はそのまま眠りについた。

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