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第61話

 ―エピローグ―  明りが少し落とされたリヴィング、部屋に流れるのは静かなクラッシック音楽。目の前のガラス製のコーヒーテーブルには、ロゼワインのボトルと満たされたグラスが二つ。そして自分の肩に華奢な体を預けているのは、榛色の瞳を持つ天使。  リチャードはレイの肩に手を回し、彼の栗色の髪に指を絡ませながら、黙って物思いに耽っていた。そんな彼を邪魔しないようにレイは黙ったまま目を閉じて、リチャードにされるがままになっている。  リチャードは思い悩んだ顔で、自分の横に置いておいた封筒を手に取る。別れ際、ロード・ウィンボーンから手渡されたものだ。封筒の表に書かれている『フランシスへ』という文字は、母の手によるものだった。  一体中に何が書かれているのか。気になるが、本当に自分などが読んでいいものかどうなのかと迷う気持ちもある。それにこの手紙を読んで、後悔するような羽目に絶対にならないという保証もない。  ロード・ウィンボーンはリチャードが持っている方がいい、と言って手渡してきたが、その真意は何なのか。それはやはり中身を読んでみるまでは、判断がつきそうになかった。  散々考えあぐねた挙げ句、リチャードは思いきって封筒を開く。すでに一度ロード・ウィンボーンの手で封は切られていた。  中から封筒と同じく、少し茶色く変色した手紙を取り出す。  レイは黙ってリチャードの様子を見ている。ロード・ウィンボーンがリチャードに封筒を手渡すところを、その場にいてレイも見知っていた。だからこそ、余計な口出しはせずに、黙って成り行きを見守っていたのだ。  リチャードは決心すると、黙って取り出した手紙に目を落とした。 ――親愛なるフランシス  あなたが私のために辛い思いをするのを見たくなくて、あなたの手をふりほどき逃げてしまったことを許して下さい。私があなたのお母様に嫌われているのは分かっていました。でもお会いすれば心変わりして下さるのではないかと思って、あなたに会わせて欲しいとお願いしたのに、結果的にあなたを余計に苦しめることになってしまいました。本当にごめんなさい。  あなたと出会ってから、二人で過ごした時間は決して長くはなかったけれど、とても幸せでした。ロンドンを離れるのを決めたのは、ここにいるとあなたとの楽しかった日々を思い出して辛かったからです。  私達の赤ちゃんは私があなたの分も愛情を込めて育てます。あなたが側にいなくても、いつも私の心の中にはあなたがいてくれるから大丈夫。きっとこの子も分かってくれると思います。  いつか、この子が大人になって、もしもあなたと会える日が来たら、きっと伝えて。私達にとって、この子の存在は一番の宝物なんだって。  そして、どうかこの子が好きな人と一生幸せに暮らせるように手を貸してあげて欲しいの。私達が心から望んでも叶わなかった夢を、幸せを、どうかこの子には叶えてあげて。  私の最後の願いはそれだけです。  フランシス、あなたのことを心から愛していました。私にたくさんの愛を与えてくれて本当にありがとう。  あなただけのエレノア 「リチャード、泣きたい時には泣いていいんだよ」  リチャードが手紙に目を通し終わるのと同時に、横顔をじっと見つめていたレイがそう言った。 「レイ……」 「我慢しなくていいんだよ? 言ったよね。頼りたい時には頼ってよ。それとも、僕じゃ頼りない? 僕だってリチャードが辛い時、側にいて支えてあげられるよ?」  レイの言葉に、心の中で凍り付いていた何かが緩やかに溶けていくのを感じていた。リチャードはレイの体に腕を回す。 「……ありがとう」  そしてそれまで一度も、葬式の日ですら涙を流すことがなかったリチャードの蒼い瞳から、母を思って止めどなく涙が溢れ出た。 「リチャード、頑張ったね。辛かったよね」 「……今まで、ずっと考えないようにしてたんだ」 「もう、無理する必要はないよ」 「……うん」  リチャードは、まるで幼い子供のように涙を流していた。その涙は流す機会を失い続け、彼の中に長い間蓄積し続けてきた悲しみの発露だったのかもしれない。  リチャードはこの時に、ようやく母の死という事実を受け入れられたのだ、と自覚した。  レイの優しい温もりを体全体に感じながら、リチャードは側にいてくれたのが彼で良かったと心から思っていた。そしてきっとこれからも、ずっと変わらずに自分の側にいてくれるのは彼なのであろう、という確信にも近い予感を感じていた。 ――母さんが望んでも手に入れられなかった幸せを、俺はきっと手に入れるから。  リチャードはレイをしっかりと抱き締めながら、心の中で優しく微笑む母にそう誓った。

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