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第60話
22.
レディ・ガートフィールドは自供後、MET庁舎近くにあるセント・ジョン病院へ移送された。年齢と体調を考慮して、警察署の拘置室ではなく、病院の一室での拘留が望ましいであろう、という判断によるものだった。ロード・ウィンボーンは別室で事情を聞かれていた弟のポール、そして手続きを終えた弁護士と共にレディ・ガートフィールドが移送された病院へと向って行った。
去り際にロード・ウィンボーンは、ジャケットの胸ポケットから一通の封筒を取り出すと、リチャードに手渡した。経年変化で茶色っぽく変色した封筒の表には『フランシスへ』とリチャードにも見覚えのある手書きの文字が書かれていた。
「……これは?」
「後で読んでくれ。これはきみが持っている方がいいと思うんだ」
それだけ短く伝えると、ロード・ウィンボーンは弁護士に呼ばれて立ち去った。
リチャードは封筒を自分のジャケットのポケットにしまうと、黙って側で待っていたレイに礼を言う。
「あの時、後悔するような真似だけはするな、って言ってくれてありがとう」
「うん。……後悔するような真似をして、その後ずっと僕が責められたら嫌だからね」
皮肉めいた口調だったが、その表情は優しさに満ちていた。リチャードは改めてレイの押しつけがましくない、温かい心遣いをありがたく感じていた。
「もう俺たちはお役御免だ。後の仕事は特捜が全部やるだろう。戻ろうか」
リチャードはレイを促して、その場を離れる。いつまでもこのフロアにいたら、特捜の人間から、またどんな噂話を流されるか分かったものではない。用事が済んだ今となっては、リチャードもレイも特捜側にとってみたら、目障りな部外者でしかないのだ。例えハワードのような味方がいたとしても。
リフトで3階のフロアまで下りて、AACUのオフィスへ向う。オフィスの中にはパトリックだけがいて、デスクワークをしていた。二人が入って来たのを見ると「お疲れ様です」といつもの笑顔で挨拶した。
二人はオフィスの奥に位置する、上司でAACUのチーフであるスペンサー警部の小部屋に入る。そして事件についての事の次第をリチャードが報告し終えると、スペンサーは「今回は厄介な事件だったな、大変だっただろう?」と労りの言葉をかけてくれた。
そして続けて「リチャードは今日はもう上がっていいから、レイモンドくんをギャラリーまで送り届けてくれ」と指示を出した。リチャードは、これはスペンサーなりのお疲れ様という意思表示なのだろうな、と即座に判断する。
何故なら、先日からすでにレイに関しての指示系統は自分に移っており、スペンサーからレイに関しての業務上の指示はもうない筈だった。
リチャードは、そんな上司のありがたい心遣いを遠慮なく受け取ることにする。
「それでは、今日は失礼します」
「ゆっくり休め」
「はい」
二人がスペンサーの部屋を辞すると、レイがAACUのオフィスの中をきょろきょろと見回す。
「今日はセーラいないんだね」
「オフで休みなんだよ。残念だな、久しぶりにレイがオフィス来たのに。いたら三人でパブに行けたのにな」
二人はAACUのオフィスを出て、リフトで地下駐車場へ向う。スペンサーからレイをギャラリーに送っていくよう言われたので、リチャードは車を使うことにしたのだ。
「そう言えば、三人でパブに行ったこと、まだなかったよね?」
「そうだったかな?」
「うん。三人だけって今まで一度もないよ。前に行った時は、他のAACUのメンバーも一緒だったから」
「そうか、じゃあ今度三人で行かないとだな」
「……ねえ、リチャード。今日は、自分のフラットに帰る?」
リフトが地下に到着する寸前、レイはリチャードに尋ねる。
「……どうして?」
「何だか、ここのところ毎日リチャードと一緒にいたからかな、今日は一緒じゃないって思ったら急に……寂しくなっちゃって……」
最後の一言は、呟くように小さな声だった。リチャードはレイを抱き締めたかったが、ぐっと堪えた。リフトの中にはCCTVが設置されている。こんなところで彼を抱き締めようものなら、一発で二人の関係がバレてしまう。
「……今日も泊っていいのか?」
リチャードはどうにか気持ちを抑え、囁くようにレイにそう返す。
「うん。リチャードがいいなら」
そこまで会話を終えたところで地下階へ到着し、ドアが開く。目の前にどこかの部署の私服捜査官が立っていた。
「お疲れさまです」
捜査官はリチャードを見知っていたらしく、一言だけ短く挨拶すると入れ替わりにリフトに乗り込んでいった。
――危なかった……
やはり外で、特にMET庁舎内でこういう会話は御法度だな、とリチャードは自分を諫めた。
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