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もう君がいないなら Ⅲ
元日は神社は混んでいるし、お店は開いていない。聞かなくても分かることではあるが、サエの綺麗にネイルされた爪は、きっと料理をしないし、そんな必要も彼女にはない。車でぐるぐると回って、いよいよサエがお腹すいたと本格的に不機嫌になりそうになっていた頃、見つけたファミレスに逃げ込むみたいに入ったは良いけれど、こんなところの食べ物を自分は食べることができるのだろうかと、渡されたメニューを見ながら柴田は考えた。逢坂といると、そんなに数は多くないものの、時々ふたりで出かけることもあって、そういう時はカフェに入ってコーヒーを飲むことくらいはあるが、絶対に外食をすることがない。その代わりふたりでスーパーに行って、何を食べようかと相談しながら買い物をする。逢坂はその方が柴田がちゃんと食べることを知っているし、柴田は柴田で外食するストレスがない分、逢坂には悪いと常々思っているが、その方が良かった。考えながら目を上げると、サエは自分が頼むものが決まったのか、勝手に店員を呼ぶボタンを押していた。混んでいる店の中、店員がやや遅れてやってくる。その頃には柴田は食欲がすっかり失せていた。
「私このパスタで、柴田さんは?」
「あー、うん。俺はコーヒーで」
「かしこまりました」
頭を下げて店員がメニューを片づけるとさっさと行ってしまう。
「柴田さんお腹空いてないの?」
「いや、うーん、さっきまで空いてたけど」
「じゃあなんで何も頼まないの?なんで何も食べてないのにお腹いっぱいになれるの?」
「お腹いっぱいになってるわけじゃなくて、たぶん食欲が失せただけで」
「なにそのダイエット方法、女子に嫌われるよ」
眉間に皺を寄せて心底信じられないといった表情で、サエは呟いた。逢坂と今の関係になる前は、もう少し食べていたような気もしたけれど、それでもコンビニでゼリーか、ヨーグルトが精一杯だったような気もする。仕事が忙しくなる前はもう少し食べていたような気もするけれど、やっぱりそれも一般的な食事とはずいぶんかけ離れていたような気がする。柴田は自分が正常にカロリーを摂取していた頃のことを、上手く思い出すことが出来ない、もうそれが遥か昔のこと過ぎて。
「別にダイエットしてるわけじゃないんだけどな、なんとなく、食べたくないんだよ、へんなもの」
「変じゃないでしょ、お店で出されてるんだから」
「うーん、そう言う意味じゃなくて、何が入っているのか分からないものが食べたくないと言うか」
「だから逢坂が作るものは食べるの?」
「・・・それもある、かな」
逢坂が作るものは柴田の家にあるものだから、そう言う意味では安心できるのかもしれないと、柴田は思う。勿論、多分それだけが理由ではないのだろうけれど。注文してからすぐに出てくるサエの目の前のクリームパスタを見ながら、柴田は多分食べ物はそんなに単純なものではないだろうと思っている。思っているからそれが幾ら湯気を吐いていても口に入れたいと思わない。
「へー、ほんと柴田さんって変わってる」
「・・・んー、あんまそれ、サエちゃんに言われたくない」
「なにそれー」
ご飯を食べるという目的が果たせた彼女は、先程の不機嫌さを何処かに忘れてきたみたいに、快活に笑う。それを見て柴田は少しほっとしていた。すると鞄に入れていた携帯電話が急に震えて、条件反射でそれを取り出すとメールが届いていた。
「あ、しずか」
目の前にサエがいることを一瞬忘れて、柴田はメールの差出人の名前を呼んだ。ちらりとサエを見やると、サエはパスタを食べながら、ほとんど興味のなさそうな目をしていた。柴田はそれを見ながら少しだけほっとした。そんなことを自分は考えなくてもいいはずなのに。
「なんて?柴田さんのこと連れ出してるのばれてたりして、あはは」
「・・・それはないだろ、流石に」
言いながら何が流石なのか分からなくて、柴田はそのままメールを開いた。本文は少なくて、昨日と同じ『あけましておめでとう』という文字が見える。スクロールすると写真が添付されていた。柴田は何気なく、指で画面を触って、その全貌を手繰る。
「・・・」
「逢坂なんて?なんで黙ってるの?柴田さん」
沈黙に堪えきれなくなったらしく、サエが腰を浮かして柴田の手から携帯電話を取ると、その画面を見る。そこには逢坂が笑顔で写っていた、赤ん坊を抱いて。
「・・・誰の子?」
「お姉さんの子どもだって、そういや、生まれるとか言ってたな」
「・・・ふーん、デリカシーのない逢坂」
「言ってやるなよ、悪気なんてないんだ」
「でも、ばか」
言いながらサエは柴田の手に、携帯電話を返した。逢坂はそこで満面の笑みを浮かべている。何日か前に、会ったはずなのに、それがもう懐かしく見えるのは何故なのだろう。
(悪気はないし、アイツは悪くない)
そんな写真でも嬉しかった、なんて言えるわけない。
それからサエをマンションまで送り届けて、柴田の元日は終わろうとしていた。マンションまで着くと、サエがにこにこ笑って、また遊びに行きましょうと言っていたけれど、なんだか人ごみ以上の理由でかなり疲れた柴田は、それに適当に返事をしながら、またがないことに期待をしていた。サエは悪い子でないと思うし、かわいいと思うし、なんとなく放っておけないことは分かっているのだけれど、元々インドアの自分と性格的に合わないのだろうなあとそれ以上の理由を考える前に拒絶している。ハンドルを切って、自宅まで戻ってくると、マンションの前に誰か立っているのが見えた。
「・・・侑史くん!」
「え、は?」
人影が此方に走ってくる。柴田はゆっくり速度を落として、マンションの少し手前でぴたりと車を止めた。ややあって逢坂が運転席の横の窓から顔を覗かせ、柴田はそれを内側から操作して、下に下げた。どうして実家に戻っているはずの逢坂が、こんなところにいるのだろう。
「侑史くん!俺との約束また破ったでしょ!」
「え?やくそく?つか、お前、何でここにいるの?実家は・・・―――」
「実家横浜だからすぐ帰って来られるの!っても結構急いだけど・・・!」
「あ、よこはま・・・」
何故、聞きたくても聞けなかったことを、自分はこんなに自然に聞いているのだろうと、そう言えば真冬だと言うのに、額に汗を滲ませている逢坂を見ながら、柴田は思った。
「そうじゃなくて!サエとまた出かけたでしょ!なんでふたりで初詣行ってんだよ!」
「・・・なんでお前、それ」
「サエが電話してきた!逢坂がいない間に柴田さんと仲良くなっちゃうしぃって!そんなことさせるか!」
「・・・―――」
それはいつだろう、サエを神社の前で待たせている間だろうか、ファミレスでトイレに立っている間だろうか、別れた後だろうか、サエはどうしてそんなことを逢坂相手に電話をしたのだろう。悪戯っぽく笑って手を振った彼女の姿が頭を過った。
「・・・って、侑史くん聞いてるの!?今度という今度は俺も怒って・・・!」
「・・・―――」
柴田は怒る逢坂の顔を見ながら運転席からすっと手を出すと、その耳をぎゅっと両手で引っ張った。すると煩く喚いていた逢坂の動きが、急にピタッと止まる。
「・・・なに、い、たいんだけど」
「あけましておめでとう」
「・・・おめでとう・・・?」
逢坂が小首を傾げてそう言うのを見ながら、柴田は手を離してはははと笑った。逢坂は頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、ちゃんと説明してと柴田に続きを促してくる。そうは言っても、友達のいない者同士、暇だったし丁度元旦だったから初詣に行っただけの話だ。
ただそれだけの話だ。
Fin
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