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振り払えない手。
「ッ…まったく…相変わらず容赦ねーなお前は…
まだコイツから聞き出せることとかあったかもしんねーのによ…」
河野は信の背後から呆れたように声をかけ――
信は顔に付着した血と唾を拭きとったハンカチを
頭から血を流し…床の上に倒れている男性の上に興味なさげに放ると
振り向きながら河野に銃を渡し
事も無げにその口を開いた
「…コイツがもし雇われの殺し屋なら――もう聞き出せることなんて何も無いさ…
そもそもコイツに依頼したヤツが――
自分の身元なんかをぺラペラと殺し屋風情に明かすと思うか?」
「…ッそれは――確かにあり得ない事ではあるが――」
「だろ?今一番知りたい“雇い主”の情報を持っていない以上…
コイツにもう用はない。ただ――」
信が冷めた目で床に転がる男性を見下ろしながら言葉を続ける
「それでもコイツの反応から…一つだけ分かったことがあるがな…」
「!それは一体…」
河野は食い入るように信の顔を見つめ――
信は眉を顰めながら言葉を発した
「コイツが――俺の顔と名前を知ってたという事…
俺はコイツの事なんか知らねーのに
コイツは俺の顔見てフルネームで俺の名前言いやがった…
それはつまり――」
「…依頼人は――お前もコイツに襲わせるつもりだった…?」
「…その可能性は十分に考えられる。」
「なんせ俺…昇竜会の若頭だし…」と呟きながら
信は床に転がっている男性の頭を蹴ろうとしたが――
靴に血がつくのを嫌って思いとどまる
「…なんにせよ…コイツを雇ったヤツの正体がわからない以上…
俺やお前を含めた幹部クラスの組員は
今まで以上に警戒を強めていく必要があるな…
特に親父への警備は今まで以上に厳重にしないと――
もしまた襲われでもしたら――求心力に影響が出かねないし…」
「…だな。ただでさえ今回の襲撃騒ぎで――
若衆や幹部クラスの中にも浮足立ってるヤツが出てきてるみたいだし――
これ以上の内部の乱れは他の敵対する組織の連中に
付け入る隙を与えかねんからな…気を引き締めないと…
――で、これからどうする?」
「とりあえずそこの遺体は“掃除屋”に任せるとして…
現時点ではもう俺らに出来ることなんてなんもないから――
今日のところは帰って寝るとするわ。俺…」
―――葵がまだ…家にいるかどうかも気になるし…
そういうと信はすれ違いざま河野の肩をポンッと叩いた後
ドアに向けて歩き出す
「そうか…それもそうだな。じゃあ俺も――
掃除屋が此処を片付けたのを見届けてから帰るとするわ。」
「ん。――あ、そうそう!念のため――お前の方から組員達に
『今回の件での黒幕捜しはすんなよ。』と
釘を刺してもらえると助かるんだけど…
何処が殺し屋雇ってまで昇竜会(ウチ)に喧嘩売ったかまでは知らんが…
親父がまだ復帰出来ていないこの状況で
他の組織とのいらん波風は立たせたくない。」
「…分かった。伝えとく。」
「悪いな。それじゃあ…」
信はそれだけ河野に言い残すと、重い扉を開け
最後に何処かに電話かけ始めた河野と、その足元に転がる遺体を見たあと
静かにその扉を閉め、その場を後にした…
※※※※※※※
「…」
―――靴は――あるな…
時刻はもう少しで午前0時を回ろうというところ…
少し疲れた様子の信が俯きがちに玄関に足を踏み入れると
土間に今朝自分が家を出る時に見たのと同じ靴が
今朝と変わらず同じ場所に揃えて置かれていたことに
信は内心ホッとする…
―――他に行くところがないとは言っていたが…
昼食夕食代と称して少し多めに置いてった金を持って
てっきりもう…逃げだしてるんじゃないかと思ってた…
信は葵が逃げていなかった事に
思いのほか安堵している自分に可笑しくなり…フッと苦笑を漏らすと
その足でリビングへと向かう…
すると真っ先に信の目に飛び込んできたのが
ソファーの上で丸まるようにして眠る葵の姿で――
「ッ、葵っ?!お前何で――こんなところで寝て…」
信は咄嗟に葵を起こそうとその手を伸ばす
しかし――
―――血で汚したばかりのその手で――ソイツに触る気か…?
「…ッ、」
葵の肩に触れようとしていた信のその手は…
何を思ったのかあと少しのところでピタリと止まり――
信はその表情を微かに曇らせながら
伸ばしたその手をゆっくりと下ろしていく…
―――今の俺なんかが触っちまったら…コイツを汚しちまう…
フッ…てか俺の中にもまだ――
こんな感傷に浸るような気持ちが残ってたんだなぁ~…
いや~ビックリビックリ!
「さて、と…それじゃあ――」
―――洗って取れるようなもんでもねーけど…
まずは風呂に――
葵の傍で中腰に固まっていた信はゆっくと姿勢を正し――
葵から離れようと背を向けようとしたしたその時
「…のぼる…?」
「ッ!?」
ソファーの上で丸まっていたハズの葵が寝ぼけたままソファーに肘をつき…
上体を微かに起こして信の事を見つめており――
「ッ、悪い。起こしちまったか?
それよりお前…こんな所で寝てないでさっさとベッドに…、ッ!?」
信が苦笑を浮かべ…
葵にベッドに行くよう促そうとした次の瞬間
「…やっぱり…あったかい…」
「ッ、」
ヒンヤリとした葵の手がいつの間にかスッと信の手を掴み…
信は咄嗟にその手を振り払おうとするが
振り払おうとしたその手は信の遺志に反して何故か動かすことが出来ず…
信は困ったような笑みを浮かべながらその口を開いた
「…っお前の手は――相変わらず冷たいな…
こんな所で寝てるから身体が冷えたんだろ…
風邪ひくと困るからさっさとベッドに――」
「…今日も…一緒に寝てくれるよね…?」
「ッ、」
信の手を掴んだまま見上げてくる葵のその澄んだ黒い瞳に
信は息を飲みこみ…
どう返したものかと一瞬悩むが――
「あ…ったり前だろ…?ベッド…一つしかないんだから…
――つかまたお前――俺を湯たんぽにするつもりだろうっ!」
「ふふ…だって信…あったかいんだもん…」
「ッお前なぁ~…
お前が昨日…ガッチリと俺の身体ホールドして寝るもんだから
俺は今朝、体中ビキビキと痛くて起きるの大変だったんだぞっ!」
「…じゃあ今度は――信が俺を抱きしめて寝てくれてもいいんだよ…?」
「――ッ、お前はまたそういう…
兎に角お前はさっさとベッドに行って寝てろっ!
俺も風呂から上がったら――すぐそっちに行くから…」
「…分かった…」
そういうと葵は渋々ソファーから降りると
そのまま眠そうにトボトボと寝室に向けて歩きだし…
「…ったく…人の気も知らないで…」
信はそんな葵の後姿を見送ると
自分もバスルームに向け…ため息交じりにその場から歩き出した…
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