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周りの人の財布事情について俺は知る由もないが、少なくとも俺が金欠の中、文句まで吐きながらも結局遊びにでかけてしまうのは、単純に寂しいからなのだと思う。
スターのように隠し持った才能も特筆すべき長所もない。ヒーローにように誇れるものも守るべきものもない。何もしないで終わっていく日曜の夜にはむなしさで死にたくなるし、友人が知らない話で盛り上がっているとさみしい。
幼子となんら変わりない自分から目をそらすため、安居酒屋でグラスの中の液体を消費する。
「伊勢はどういう子がタイプなの。色々あるじゃん、家庭的な子とかさ」
「あー俺家庭的な子すごい好き。料理とか作ってくれたらうれしい」
「まじ? 重いとか思わないタイプ?」
「全然思わない、尽くしてくれる優しい子がいい」
「うっわベター」
「いーだろ!」
ぬるいビールも恋の肴でなんとなく美味くなる、気がする。さみしさもむずがゆさも意図的に麻痺させれば一旦休止するが、正確には解決を拒否して問題から目をそらしているだけだ。それに気がつくのは、余計にむなしい帰り道の上だ。
「あー……ねっむい……」
アルコールで芯の抜けた身体では、自宅までの距離も永遠ほど遠い。ふらつく足取りで自宅までの道をとぼとぼ歩いていると、なんとも言えないなまぬるい心地に犯される。そのうえ雨まで降ってきた。そのとき後ろから足音が近づいてきて、唐突に顔を覗き込まれた。
「……伊勢ちゃん? なにやってんの」
「あ、たかおかさぁん。どうしたんすか」
「俺はバイト帰りだけど……そっちこそ。飲んでた?」
「あーそうですー」
「なんかフラフラしてる危ねぇ奴いるなーと思ったら伊勢ちゃんだったわ……ほら、せめて歩道歩けって危ないから」
大学近辺には安いワンルームアパートが立ち並び、一人暮らしをする学生は皆そのうちのどれかに住む。大学を中心とした周辺区域は買い物をしても散歩をしても知り合いに遭遇し、そこだけが独立国家のように不思議な空間になる。
高岡さんとも、これまで何度もこんな風に遭遇した。なんとなく気まずいタイミングにも、相手を避けることすら出来ない小さな国だ。しかし高岡さんは気まずさなんて覚えていないのだろう。俺を歩道へ押しやった流れのまま、先導を切って俺を自宅へ導いてくれている。ついでに俺の服についていたフードに手を伸ばし、強くなってきた雨を何も言わないまま防いだ。いつでも、優しい先輩なのだ。
「たかおかさーん……」
「なに」
「前、俺が雨に濡れて風邪ひいたとき、うちにお見舞い来ておかゆ作ってくれたことあったじゃないですかー……」
「そうだっけ」
「そうですよ、忘れたんですか」
「いや……で、それが何?」
「んー? あれ美味かったなーと思って」
「なんだそれ……」
歩けば歩くほどアルコールが回って、足取りも曖昧になるし口もとも無責任になる。ただ思い出したことを、脈絡もオチもなくぽいぽい投げ捨ててしまう。
今日もビールをあおりながら、恋愛の話だけで延々盛り上がってしまった。いつもなら周りにいる女の子たちや、これまで出会ってきた女の子が脳裏をよぎる話題だ。しかし今日言葉の節々で浮かんだのは派手な色のパーカーだった。「恋」「好き」なんていう甘いワードが、今も宙ぶらりんになっている一人の先輩をほとんど強制的に思い出させたのだ。
まさかその先輩と、帰り道偶然にも出会おうとは。少なからず驚いている今、口を開くと余計なことを言いそうで、黙って歩くうちアパートの前に着いた。高岡さんは、外階段の前で立ち止まる。
「うし、着いた。いい加減飲みすぎるの気をつけろよ。じゃあな」
いつも俺が酔っ払っているとき、高岡さんは階段を登り、2階の俺の部屋まで届けてくれる。しかし高岡さんは今日、その選択を回避した。そこには色々な思惑があるだろうと察するのは難しくないのに、簡素なそぶりで帰ろうとする姿に違和感を覚えた。
その違和感は、端的に言うならば俺自身の「さみしさ」だ。それも切羽詰ったもの。宙ぶらりんであってもかろうじて繋がっている糸が、この瞬間に切れてしまうのではないかと思った。
いや、むしろ俺は、前回高岡さんが自宅にやってきた日からずっと糸がちぎれることに怯え続けている。さみしさと不安はどれほど麻痺させても解決に至らないのだ。
「……あ、高岡さん傘つかいますか」
「え? いやいいよ。俺いつも傘ささないし」
「いやいや、送ってもらって申し訳ないし、雨強くなってきたんで。俺みたいに風邪引きますよ。俺メシなんにも作れないからおかゆ作りに行けないですよ」
「別に期待してないから大丈夫。あと俺は風邪引かないから」
「なんすかその根拠ない自信。使ってないビニ傘あるんで持ってってください」
高岡さんは一度目を伏せ、読みとりづらい表情をした。その後頷き、ともに階段を登りはじめる。そしてあの日以来始めて、高岡さんが俺の自宅の敷居を跨ぐことになる。
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