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そして今日もまた、晴れた。 「うっわA定食売り切れてる。何食おー。伊勢は?」 「んー……かけうどんの小ですかね」 「足りんの?」 「んー……」 サークルの先輩とともに混雑した学食に足を運び、空腹と財布の軽さを再確認して気が重く沈み込んだ。隅のテーブルでつるつると味気ない麺をすすっていると声をかけられ、顔をあげたら向かいの窓から晴天が見えた。眩しさに目を細めたのはそういう理由だ、多分。 「そっちつめて」 その人は当たり前に、まるで約束をしていたかのように日常の一部として入り込んできた。指示されるまま、隣の空いた椅子に移動してそれまで座っていた席を彼に譲る。 「はよー高岡」 「はよ。あー腹減った」 「それ何?」 「ヒレカツと白身魚のフライ盛り合わせ」 「単品かよ!」 「ちょっと出遅れたら炭水化物全部売り切れてた……とりあえず残ってるやつの中で一番ガッツリしたの頼んだ」 俺は箸を止めて、妙に現実感のない横顔を眺めていた。テーブルの向かいにいる先輩としばらく他愛ない話を続けていた高岡さんが、視線に気づきふいに顔を向ける。 「おはよう」 向けられた笑顔にたじろいだ。甘ったるい眉の情けなさを直視したらいけない気がして、思わず視線を外してしまう。 「おはようございます……」 「伊勢ちゃんは何食ってんのそれ」 「え、うどんです。見たまんまですよ」 「食欲ないの? いつも牛丼大盛りが少ねぇとか文句言ってんのに」 「やー金なくて。なくてっつーか貯めてて、食費減らしてるんです」 「何買うの?」 「引っ越ししようと思ってるんすよ」 テーブルに置かれたピッチャーを引き寄せてコップに水を注ぐ。高岡さんのフライ盛りの横に添えてピッチャーを戻す。特筆すべきこともない何気ない話だ。 「進学するの結構ギリギリまで迷ってたから、今の家も入学直前に決めたんですけど、家賃高い割に結構壁も薄いしボロボロなんですよね。ちゃんと探したら家賃半分くらいのとこもあるし、同じくらいの値段でも条件いいとこあるし、引っ越ししたいから節約生活です」 「……ふーん」 「敷金とか礼金とかそういうのがめんどくさいすよねー、早く貯めた……なんですか?」 「がんばってる伊勢ちゃんにヒレカツあげる」 「あざっす! もらっといてアレですけどうどんの上に置くのセンスないっすね!」 「ヒレカツうどんよくない? 豪華じゃん」 「衣ビシャビシャになるじゃないすか!」 「いいなー高岡おれにもヒレカツくれ」 「テメェの分はない」 他愛ない会話ととも食事を終えると、授業があると行ってしまった先輩を見送った。同じく空きコマの高岡さんとともに、レポート作成のために上階のメディア室を目指して学食を出る。 「さっきの話だけどさ」 唐突だった。授業開始のチャイムが鳴ったあと、校内は突然静まり返る。人の気配がまったくない、埃っぽい校舎の階段で、少し前を行く高岡さんは振り返ることもしなかったので、俺も頭の隅で腹減ったなあと考えながら油断しきって歩いていた。行く先、階段の踊り場には大きな窓があり、高岡さんの背中を見上げると青空と太陽が目に刺さって痛いのでうつむいて汚れたスニーカーの先を見たりして。 「さっき?」 「引っ越しするってやつ」 「あー」 「俺んち来ればいいじゃん」 せーてんのへきれき、だ。 「狭いけどさ、敷金も礼金もかかんないしいいかなって」 「え、まじすか……えーそれ俺的にはすげぇ助かるけど……いいんですか」 「うん。家賃とか光熱費とか折半にすれば俺も助かるし」 「え! まじすか、えっ、俺ほんとに行きますよ? 社交辞令とか通じないですよ俺」 「社交辞令じゃないよ。俺が伊勢ちゃんとずっと一緒にいたいだけのワガママ」 ふいに振り返って、階段を降りてくる高岡さんの所作が鮮やかなスローモーションで見えた。 高岡さんは優しい人だ。いつでもぶれることなく透き通った優しさを持つ。メシを奢ってくれたからいい人とか、悪口を叩かれたからやな奴とか、俺の稚拙な価値観をすべて包み込んで洗い流す圧倒的な優しさに甘えてばかりでいいのだろうかと一瞬たじろいで思い直す。俺は高岡さんの恋人だ。時間差で襲いかかる羞恥とそれを証明する約束に耳を焼かれる。立ち尽くす俺のもとに降り立った高岡さんは、ためらいもなく唇を奪っていった。 「……! っ、学校ですんなよ!」 「壁薄いとやらしーこともできないもんね。俺も引っ越すべきだと思う」 「だからやめろっつってんだろ!」 まるでただの後輩みたいに毒づいたら、高岡さんに手を引かれてそのまま路線変更させられる。 「なんすか、どこ行くんですか」 「予定変更。スペアキー持ってないから作りに行かなきゃ。歯ブラシも買おう」 「高岡さんレポートやらなきゃヤバイって言ってませんでした?」 「俺んちでもレポートできるでしょ。しかもなんとうちならエッチなこともできちゃう」 「うわーもーさいてーだ!」 「でも来るでしょ?」 「……顔がムカつく!」 「俺は伊勢ちゃんの顔ちょう好き。かわいい」 「何の話ですか!?」 ばかみたいにあっけない契機で、新たな日常がはじまる。呆れながら手はほどかずに、高岡さんと肩を並べるために歩を速めた。

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