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人生の最盛期はいつか、と問われることがあれば、美大在学中と答えるだろう。 怖いくらいに毎日、多様なアイディアが湧いていた。どれほど描いても追いつかないほどに意欲が沸き、ようやく満足のいく一枚を完成させることができても、すぐに新しいアイディアで上描きしてしまう。 滅多に生徒を褒めない先生を唸らせた。登竜門と呼ばれる大きな大会で大賞を獲得した。名もない俺の個展にたくさんの人が押しかけた。卒業式では意欲的な活動をした生徒の代表として表彰された。 そんな俺も、春が来るたび死にたくなる。納得のいく仕事ができないまま、いつの間にか新人を教育するような年齢になってしまった。 「深瀬え、まだできねぇのかー」 「あーすいません今持ってきます」 部長の声に、俺はすばやくマウスを動かし印刷を開始する。オフィスのすみにある業務用のプリンターから、たった今完成させたばかりのデザインが飛び出してくる。 今回は、新しく出来た美容室のフライヤーを担当した。クライアントからの要望は「できるだけシンプルに」という端的な内容だった。要望の本質について繰り返し考えいくつかのラフ案を提出し、シンプルながらもラグジュアリーなイメージにしてみては、とコンセプトも伝えたのだが、俺の意見はことごとく却下され結果まさにシンプル、むしろ単調なだけの代物ができあがってしまった。 印刷物を見つめる部長の眉間には、皺が寄っている。 「なんつーか、地味?」 「はい」 「シンプルと手ぇ抜くのとは違うんじゃねえかなあ」 「……お言葉ですが部長、これは先方様の意見を忠実に反映させていまして」 「ここの段組み間違ってるけど」 「え? ……あっ」 「これも先方様の意見ですか、深瀬くん」 俺は何も言えず、突っ返されたフライヤーを静かに受け取る。俺はこの人が苦手だ。喋り方も表情も白髪のオールバックも、若者気取りの縁の広い眼鏡も。部長は眼鏡を外し、小じわの走る目元をさすりながらぼんやりと言った。 「お前ね、自分の仕事に自信持つのは結構だけど、決められたことくらいはちゃんとこなせるようになんないとさあ」 「……すみません、急いで修正します」 「うんよろしく」 自分のデスクにもどると、昼までにメールで送ってほしいと言われている案件に対応していないことを思い出した。あわてて完成済みのデータを開こうとすると、なぜかパソコンがフリーズしてしまった。何をやっても状況は改善せず、強制終了するほかない。先ほどまで作業していたデータも、消えてしまうが仕方ない。 「……なんなんだよちくしょー……」 自信なんかない。いや、過去にはあったのかもしれないが、自信だったのか傲慢だったのか、定義さえ曖昧だ。そんな根拠のない考えはおろか、大学時代の実績すら打ち消されるほど、社会とは複雑で憂鬱なシステムだった。 意欲と才能に溢れる深瀬翔太は、きっともう死んでしまったのだ。 空気が震えるような時間の中で再起動を待ちながら、ふと窓の外を見ると桜の花びらが舞っていた。輝かしい春の午後、なにもかも放り出してしまいたいと思っている大人は一体どれだけいるのだろう。手を取り合いたい気分だった。

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