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第十一話 弱音を吐いて

※紫苑視点になります  お茶を用意する前に白群(びゃくぐん)がいきなり頭を下げて、俺はどうしたのかと驚いてしまい、一瞬動けなかった。。 「すまなかった……言い方がキツかったよな? どうも朱殷(しゅあん)以外の人にシンシンなんて呼ばれるのは恥ずかしくて、つい……」  頭をガシガシと掻く白群は照れ臭そうに笑った。  鬼化(きか)していない姿からはとても鬼神とは想像できない。瞳の色が白味を帯びた青色でなければ普通の人間、しかもスポーツ好きの好青年って感じだ。 「辰臣(たつおみ)……俺が人間だった頃の名前だ。人としての生を奪った上、名まで奪うのは嫌だと朱殷が言ってな。それで渾名というのか……いつの間にかシンシンになってて……恥ずかしいだろ? なんか、その、パンダみたいで?」 「パンダ……?」  ぷっと吹き出してしまった俺の頭に掌を置いて、白群は 「やっと笑ったな」  とほっとしたように呟いた。 「すみません……俺、昔から人見知りっていうか引っ込み思案っていうか……愛想がないって良く言われて……」  昔から、笑いなさいよと言われる場面で上手く笑えた試しがない。以前は笑えと言われた場面で笑うと何笑ってんのよ、と怒られた。  笑うのは難しい。人と関わるのは難しい。 「俺、ホント鈍臭くて……全然鬼化できないし……」 「焦ってるのか? (おさ)が急かすのか?」  ゆるゆると頭を振った。  柚葉は急かすどころか、今のままで良いと言ってくれる。  柚葉に抱かれてのみ鬼化する俺が愛しい、と言ってくれる。  でもそれもいつまでだろう。その愛しいという感情が、まだ鬼化できないのかと呆れに変わる日が来るのが怖い。 「せっかく柚葉に作ってもらったのに……こんな出来損ないじゃ、申し訳なくて」  無駄に自分の両手の掌を見つめた。鬼化できる手相の線があるなら、俺はナイフで切りつけて自分で作ると思う。 「な? ここには長も朱殷もいない。元人間の俺達だけだ。呼び捨てにしても良いか?」 「もちろん! 俺なんかに“殿”なんてもったいなさ過ぎです」 「じゃ、紫苑も敬語はナシだ」  できません! と慌てる俺に白群は心底不思議そうな顔をした。 「長を呼び捨てにして普通に話しているじゃないか……しかもさっきはド突いたよな?」 「あれは! 柚葉が失礼な事を言ったから!」 「……と長をたしなめる事もできるんだ。俺にも普通に話してくれ。呼び捨てでな?」  堅苦しいのは苦手だと笑う白群に改めてお茶を淹れて、向かい合わせで座った。 「それで、だ。長も急かしてはいないというのに、何故そんなに焦っている? もし良かったら聞かせてくれ」 「……だから……せっかく柚葉が作ったのに、こんな出来損ないじゃ……ダメでしょ? 白群さ、白群だって鬼化できるでしょ? きっと柚葉が作った鬼の中でこんなに鈍臭いのは俺だけで……きっといつか飽きられる。ダメなヤツだって見放される……」  ウジウジと悩み続けた事を言葉にするのはツラいような気楽になるような不思議な感覚だった。  白群はぽかんと口を開けて俺を見ている。  はぁ……と深い溜め息が聞こえて、情けなさに唇を噛んだ。 「鬼化、解んないんです……人の魂? 喰いたいとも思わないし……やっぱ失敗作なんですかね? 人間でも鬼でもダメなヤツはダメなんですかね……」 「なんか誤解があるぞ……緊急事態だったのは解るけど、色々端折り過ぎだろ、長」  もう一度聞こえた深い深い溜め息に顔を上げると、白群が片手で顔を半分覆って俯いていた。 「あの……」 「……わざと言わなかったのか、言えなかったのか……言わずとも解ると思ったのか……長は意外と気が弱いのな?」 「たまに飛影(ひかげ)がヘタレって……」 「ぷっ……それは聞いていない事にする。あのな紫苑。鬼神が己の血や生命を分けて同じ鬼神にできる人は生涯に一人だけだ。一人の鬼神が際限なく人間を同族にできたら、この世は鬼神だらけになってしまう」  確かにこの世が鬼だらけって怖いな。問題アリだな、と白群の言葉に同意して、固まる。 「しょ、生涯に一人って……」  そんな重大な力を、貴重な機会を俺なんかに使ったのかと思うと、鬼化できない自分が更に情けなくなって、鼻の奥がツンとした。  柚葉は鬼神のくせに優しいから、死にかけズタボロの俺を見て、責任感じてつい使っちゃったのかも、と思うと申し訳なくて仕方がない。 「これと決めた相手にしかそんな事はしない。鬼が何を言うかと思うかも知れないが、愛がないと幾ら大量の血や生命を分けても鬼神化は失敗するんだぞ? だから、解るな? 長は紫苑を本当に愛してる。何故そういう事をちゃんと伝えていなかったのかは俺には解らんが、長には紫苑だけだよ」  俺だけ……耳に飛び込んで来たその言葉を思わず俺は呪文のように繰り返していた。 「そ。長には紫苑だけ。見放す? はずがない! 人間の世界とは違って、血の婚姻だぞ? 別離はない」  涙が出たのも隠せない程嬉しかった。  別離はない、なんて。  ずっと柚葉と一緒にいられるっていう事……。 「俺、ずっと、怖かった……ある日突然、白群みたいな完璧な鬼神がやって来て、柚葉を連れてっちゃうんじゃないか、とか。いつまで経ってもちゃんと鬼化しない俺に柚葉がウンザリして要らないって言う前になんとかしなきゃって……俺、早く鬼化できるようになんないとって……俺……」  嬉しくて泣いているのか、情けなくて泣いているのか、安心して泣いているのか……ごちゃごちゃで自分でも解らない。 「それであんな不安そうな顔をしていたのか……これは、アレだ。朱殷の言うように長が悪い」  隣に移った白群に頭を撫でられ、泣き止むようにとあやされる。 「俺達を見た瞬間に、紫苑の顔色が変わった……俺は恥ずかしかったんじゃないのかと言ったんだが、朱殷は違うと言ってな。あんな表情(カオ)せんよ? って……長に言いにくいなら、まずは俺に言ってみ? 元人間同士、理解できるかも知れんぞ?」  仲間意識とでもいうのだろうか?  この人なら少なからず理解してくれるのではないか、と希望に似た感情が湧いた。 「あの……俺って柚葉のモノ、ですよね?」 「ああ、そうだな」 「でも柚葉は……長だから……俺だけのモノじゃない、でしょう? 俺、こんなだし。胸張って柚葉の隣に立てないから……上手く言えないけど……」  はあぁ、と白群の溜め息を聞くのは何度目だろう。 「あのな……朱殷はああ見えて序列二位だ。実際、長が紫苑に色ボケ……ってコレは朱殷が言ってたんだぞ? ……してからは、長に回すまでもない揉め事は朱殷が片付けてきた。あの二人が話し合って長が頭領の座を朱殷に譲れば、朱殷が長になる」  それでもな、と白群はグッと俺の肩を掴んで 「朱殷(アレ)は俺のモノだ」  と眼光強く言い切った。  揺るぎない自信のようなものが俺にはひどく羨ましかった。  それは貴方が鬼神として完璧だからで。  自分のモノだと主張しても誰も反対する理由がないから言えるんだ、と喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。 「長は頭領だからみんなのモノって? なんだ、その人間臭い良い子ちゃんの回答は」  俺の頭をガシッと掴んだ白群が少しだけ声音を柔らかくして続けた。 「……俺が人間やめて長いからかなぁ? いやでも時間なんて関係あるか? 嫌なモンは嫌だろ? じゃあさ……長はみんなのモノだって言うなら、俺が長と寝ても良いか? 朱殷が長と寝ても良いか?」  白群には失礼だけど、絡み合う柚葉と朱殷……想像して、唇を噛んだ。  美男美女、序列一位と二位。  最初から本来の姿で抱き合える方が良いに決まっている。  正直に嫌だと言えない自分がすごく惨めで……。 「ま、相手が長でも朱殷はやれんがな。あーもう! あとで長に聞いてみろ。あんたは俺のモノかって。良いか? 不安は一つずつ確実に取り去っていけ。これは人間でも鬼神でも一緒だ。ゆっくりで良いんだ、幸い時間は際限無くあるんだからな」  掴まれた頭は白群のタイミングで軽く揺らされた。  落ち着かせるような雰囲気と掌の温かさに、ささくれた心が少しだけ凪いだ。 「そういうの、上手くできたら、鬼化できますか?」 「さぁな。でもそういうの、減ってった方が良いだろ?」 片手で湯呑みを持ち上げて、一気にお茶を飲み干した白群は 「俺も自分で鬼化できるようになるまでは焦ったなぁ〜」  と懐かしむように呟いた。 「時間、かかりましたか?」 「んー、二十日くらいかなぁ」 「たった!?」  責めるような俺の声音に白群は笑って、自分で急須からお茶を注いだ。 「最初の鬼化が解けるだろ? で、人の姿に戻る。朱殷から結界の張り方だの解き方だの教わって……この辺一緒? 俺、大雑把でさ、もうあの細かーい作業が嫌で嫌で! 何回も途中で引き千切って朱殷に怒られた!」 「引き千切ったんだ……」 「未だに緻密な結界見ると吐き気がする……紫苑は? なんか得意そう」  細かい作業は嫌いじゃない。  集中していると周りの目も気にならなくなるし。 「あと、張るよりも解く方が好きかも……」  そう言うと白群は顔をくしゃっと顰めて、俺と真逆だと笑った。 「俺はとにかく細かい事が大っ嫌い! 千切れるんなら千切っても良いと思わないか? って言うと朱殷にめちゃくちゃ怒られるんだけどな!」  きちんと解かないと罠が仕掛けてあって爆発したり呪毒が出たり、練り込まれた妖魔が飛び出して来て厄介な事になる、と柚葉から聞かされていたので、白群の豪胆さに思わず溜め息をついた。そりゃ朱殷も心配して怒るだろうと納得した。 「あぁ? 今、バカにしたな?」 「してないです! すごいなって思っただけでっ!」 「ふぅん? ま、そういう事にしとこ。で? 紫苑は飯はどうしてるんだ? 魂喰いたくならないって事は何を喰ってる?」 「今までと一緒。喰らいたい欲求、なくて」 「長は?」 「柚葉も魂喰らってなくて……鬼神ってこんなに長い時間食べなくて平気なんですか?」  妖力の維持とか、大丈夫なんだろうか。柚葉に聞いても腹が減らないとしか言わないからあまり追求もできないでいる。 「白群は鬼化が先でしたか? それとも食事?」 「俺は……飯だ。飯喰らって、鬼化が安定した気がする……って紫苑、敬語になってる」  コツンと軽過ぎるゲンコツにわざとらしく肩をすくめると、にかっと白群が笑う。 「多分な。多分だぞ? 長は紫苑に言ってない事が多過ぎるし、紫苑は紫苑で一人で悩み過ぎてる気がする。特に紫苑は目が覚めたらいきなり鬼神にされてたんだから、長の横暴に対して根掘り葉掘り聞く権利があると思うぜ? んな我慢してさ、無理して物解りのいいフリなんざ。若いのに似合わねぇよ?」  俺がお前くらいの歳の頃は……と始まった白群の話はやんちゃな武勇伝が多くて、でも曲がった事は大嫌いで、本当に俺とは真逆で、でも好感が持てた。  白群の話に自然に笑ったり返したりできるようになった頃には、心が穏やかになっていた。  ちゃんと柚葉に聞こうと思えるくらいには、俺は少し前向きになれていた。

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