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第十話 御対面
「お久しぶり」
「え? ……ぅわああぁあぁぁっ!」
朝の睦み合いも終わり、残った熱を分け合いながら事後を楽しんでいると、いきなりベランダに現れた人影に驚いた紫苑 ががばりと布団に潜り込む。
「……結界は?」
「空 から来た故、あまり関係なかった。それに、気が散ってお気付きになられんだったのだろう」
「あぁ、そう……」
紫苑、と布団を揺する。頭からすっぽりと布団を被り、顔だけ出した紫苑が真っ赤な顔で目を泳がせる。
「昨日話したろ? 鬼化 について相談できる者だ。お前に危害は加えないし、そんな事させないから出ておいで?」
「恥ずかしい……裸、だし……」
と俺の手首を掴んでぷるぷると頭を振って拒否を示す紫苑は非常に可愛らしく、もう一度抱き潰したい欲求に駆られた。
が、コツコツとガラスを叩く朱殷 とその連れが邪魔をする。
「早う入れて」
「あ! あ、とにかく入ってもらって……違う部屋に! 俺、服っ服着てから……」
柚葉 もちゃんと服を着て! と声を荒げる紫苑の奥ゆかしさについ頬が緩む。
「朱殷、そのまま隣の窓へ行ってくれるか? そちらを開ける」
「承知した」
ベランダを移動した人影に安心した紫苑がもぞもぞと布団から這い出して、盛大な溜め息をついた。
「聞いてない……二人も来るなんて……しかも、こんなカッコ見られて、どうしよ、どんな顔すれば良い?」
「どんなって、普通で良いよ。恥じるような事などしていないのだから」
恨めしそうに睨む紫苑に服を渡すと、ノックに急かされた紫苑は慌ててシャツに袖を通して、するりとベッドから降りて俺の隣に立った。
「はぁ……大丈夫かなぁ?」
人見知りはそう簡単には治らない。鬼神になったからといって、紫苑は紫苑なのだ。しかも鬼化が解けて理性が働いている状態ならば尚更だ。
「開けるよ? 大丈夫、俺がいる」
安心させるように触れるだけのキスをすると、紫苑がきゅっと俺の服の裾を掴む。
小さく頷いたのを確認してドアを開けると、腕組みをした朱殷とその背後に守護するように立つ朱殷の連れ合いと対面した。
「遅いぞ、長 。長からの相談など百年に一度あるかないかで急いで来たというに」
「すまん。飛影 には急かすなと申し付けたのだが……美味い茶を淹れよう、まずはそれで許してくれ」
「長が淹れてくださるのか? それなら少しは許そう。な? 辰臣 」
連れ合いを振り返った朱殷の声は穏やかで、紫苑がそっと肩から力を抜いたのが伝わってきた。
「あの……俺の、為にわざわざ、すみません!」
がばっと頭を下げた紫苑の声が震えている。
「俺、紫苑と言います。早く、ちゃんと鬼化したいんですっ! 教えてくださいっ!」
「ほぅ? せっかちな坊やじゃ」
ころころと鈴の音のような朱殷の笑い声にぴくりと紫苑の肩が揺れ、小さな声で
「ごめんなさい」
と申し訳なさそうに呟いた。しゅんと項垂れた紫苑の肩に手を回し、キッチンへと連れ出した。
「二人は入って来た部屋で待っていてくれ。すぐに茶を用意する。行こう、紫苑」
「楽しみ! とびきり美味しいのをお願いするぞ? 長」
落ち込んでいる紫苑とは対照的に朱殷は弾むような足取りで、連れ合いの手を取り部屋を移る。
部屋に入る前には、早くな? と念を押す事も忘れないちゃっかりさに笑ってしまった。
「さて、では自己紹介から始めようか……紫苑殿、私は朱殷。こう見えて序列二位の鬼神よ。そして長の色ボケを心から応援している者。で、こちらが私の連れ合い。元人間。鬼化については私より役に立つやも知れんよ?」
「……ぇ、と、あの……朱殷さん……って柚葉の次に偉い人?」
信じられないと俺を見る紫苑に頷くと、上品にクッキーを食べていた朱殷がわざとらしく呆れたような声を作って紫苑に話しかけた。
「女だから、と見くびってもらっては困るの? ……私は強いぞ?」
「見くびるとか、そんなんじゃなくて……だって……」
「言うてみ?」
「お人形さんみたいで……鬼神に女性がいるって知らなかったし、そんな偉い人がわざわざ来てくれるなんて思ってなかったし……パニックっていうか……」
しどろもどろの紫苑の言葉を聞いて、朱殷は顔を輝かせて連れ合いを見る。
「聞いた!? 辰臣! お人形さんのようじゃって!」
「朱殷はいつも美しいと俺だって言っている」
「じゃって、お人形さんよ?」
うふふ、と嬉しそうに笑って小首を傾げた朱殷の頬を撫で、髪を整えつつ額にキスをするのを忘れない元人間の連れ合い。
俺と紫苑を前にして二人の世界に浸っていちゃつく辺り、さすが欲望・本能に忠実な鬼神だ。
朱殷をお人形さん、と称した紫苑の言葉はまあまあ正しい。
外見は確かに日本人形のようだ。
ぱっちりとした大きな目に、桜色のぽってりとした唇。陶器のような肌にサラサラの髪。無垢と妖艶を併せ持つ、これは危険な人形だ。
「……なん? 長、今なんぞ邪な考えを持ったろ?」
「いーや。可憐な日本人形というには少々乳が育ち過ぎだな、と思っただけよ」
「柚葉! それセクハラ!」
バチンと音が響く程の力で俺の二の腕を引っ叩いた紫苑が真っ赤な顔で二人に頭を下げている。
「紫苑殿……なん? そんなに謝らんで? ボンッキュッボーンって事じゃろ?」
気にせんよ? と笑う朱殷に、紫苑はそれでもと食い下がる。
「そういうの、言っちゃダメだと思う……辰臣さんの前なのに……」
「……それは紫苑殿が自分以外を長に見て欲しゅうない、という事?」
茶化すように紫苑を見る朱殷の目は真剣だ。
朱殷なりに既に紫苑が鬼化できない理由を探し始めている、という事かと俺は黙って二人のやり取りを聞く事にした。
「ち、違います!」
「違うのん? ねえ、辰臣!」
「俺は嫌だ。朱殷は俺だけ見ていれば良い。あとな、紫苑殿。俺を辰臣と呼ぶのは朱殷だけと決めているのだ。申し訳ないが白群 と呼んでくれないか?」
「ぁ、ごめんなさい……」
真っ赤になったり真っ青になったり。紫苑が倒れるんじゃないかと心配になる。
「紫苑殿、お茶飲まんの? 美味しいのに、冷めるよ?」
「あの、紫苑で、呼び捨てで良いです……」
「そう? 長、呼び捨てて良い?」
何故紫苑の名を呼び捨てにするのに俺の許可が要るのかと訝る紫苑に
「長の伴侶を呼び捨てにするのには長の許可が要るのんよ。それも序列」
そう答えたのは朱殷で、紫苑は“伴侶”と聞いてせっかく口をつけた茶を吹き零した。
あれだけ愛を囁いたのに紫苑は無自覚だったのかと溜め息を零す俺と目を白黒させている紫苑を見比べた朱殷は首を傾げ
「ん? なんか変……最初から話を聞かせて?」
と身体を白群に預けて俺達を見た。
あのマヌケな話をするのは正直気が乗らないが、紫苑の鬼化のキッカケの一つでも掴めればと朱殷と白群に語って聞かせた。
マヌケにも紫苑を結界の外に出してしまった事。
ぺーぺーの下級妖魔に暴行を受けた事。
死ぬギリギリで勝手に鬼神へと変えてしまった事。
途中で紫苑も口を開き、俺が悪かったとか柚葉のせいじゃないとか、何かと俺を擁護してくれてはいたが
「ん。そりゃ長がマヌケな」
という朱殷の言葉であっさり終わった。
「自分をエサじゃって思っとったのに、いきなり鬼神の力を与えられても戸惑うわ! しかもなんで!? なんで一番大事な事を伝えとらんの? まさかと思うけど……」
「伝わっていると、思っていた」
「長、アホじゃわ! マヌケなん通り越してアホじゃわ! 辰臣! ちょっと紫苑殿と鬼化のコツとか思い出話とか別のお部屋でしてくれん? 私、長に説教する」
びしぃっと人差し指で俺を射抜く朱殷の言葉に従って腰を上げた白群が紫苑に近付き、行こうか、と促す。
不安そうに俺を見る紫苑に頷いて、大丈夫。行っておいでと言うと素直に立ち上がって白群と部屋を出て行った。
「で? あの子の前では言えん話があるんじゃろ?」
さすがは朱殷。かつて俺と鬼神の頭領の座を争っただけの事はある。
「実はな……」
飛影に聞かせた内容をもう一度話してみる。
こうして言葉にすると、やはり紫苑が鬼化できないのは心の奥底では拒否しているからではないかと思えて仕方がない。
「なんでその時は鬼化するん? 聞いた? どんな気持ちなんか」
「聞いていない。お前聞けるか? 愛してるって言うといつまで? って返されるんだぞ? ずっとだって言うと泣きそうな顔をするんだぞ? なのに聞けるか? どんな思いで俺に抱かれているんだ? なんて……」
「んでも聞かにゃ解らんやん」
正論を吐いて、すすすと茶を啜る朱殷に言い返す言葉が見つからない。
「それにあの子、なんであんなに不安そうなん? 窓から覗いた時は長見て嬉しそうに笑っとったのに、私ら見た途端……あれ人見知りとは違うんやない?」
あんなの……と新しいクッキーに手を伸ばした朱殷の手が止まる。
「あんな、何かに耐え忍ぶような表情 、鬼神 のする表情じゃないわ」
それに紫苑の過去は関係あるだろうかと朱殷に話すと、朱殷はお茶のお代わりを要求して、暗く紅い瞳を細めた。
「庇護欲からの……執着……独占欲……今胸にあるそれは本当に愛情?」
「もちろん」
間をおかずに答えた俺に朱殷は小さく頷くと
「ま。さすがに愛情を間違える程おバカではないか……でなけりゃ紫苑殿は変化 できんもんなぁ。愚問じゃったわ。んでも、言葉が足らんのじゃない? 今の想いだけじゃのうて過去の事も含めて話してやらんと。ちゃんと話さんと」
「……話して引かれたら……今更手離してなどやれないのに……」
「ヘタレ」
すっかり幼馴染の口調に戻りきった朱殷に鼻で笑われて俺は頭を抱えた。
怒った母親に置き去りにされた幼い紫苑がこの館に迷い込んだ事も、その後何度も遊びに来ていた事も、あの庭でお絵描きを楽しんでいた事も、紫苑は知らない。
正確には覚えていない。
寂しそうに脚をぶらつかせながら、引っ越すんだって、とまるで他人事のように呟いた紫苑から、ここで過ごした記憶を消したのはこの俺だ。
“どうでも良くなったらここへおいで”
その言葉だけ、何かあったら思い出すように暗示をかけて、幼い紫苑に手を振って送り出したのだ。
しかも俺は飛影を使い、母親の強制や虐待が激しさを増して紫苑に危険が迫らないかどうかを監視していた。
もしもの時は親を殺して紫苑を連れて来い、とまで命じていたのだ。
だから俺は知っていた。
両親が紫苑に構う事なく好き勝手に過ごし、離婚し、新しい母親としばらくして弟ができた事も。愛されず疎まれてもなお、紫苑が弟を可愛がっていた事も。
その純粋な愛情を大人が都合良く捻じ曲げて利用した事も。
「親ではなくとも、幼い頃から愛を注いでくれた者がいたと知る事は、あの子の救いになるんじゃないの?」
そうだろうか?
「悍 ましいだろう?完璧に変質者だぞ?」
「それが私らの本質よ? 恋の病にゃ鬼でも勝てん、と。な? あぁ、辰臣は上手く話を聞けたかしら?」
からからと笑う朱殷は飲み干した湯呑みをテーブルに置くとふんわりと俺に笑いかけた。
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