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第九話 柚葉の苦悩
※柚葉視点になります
柚葉 、柚葉……と愛しい者に名を呼ばれ身体を繋ぐ行為は幸福の一言に尽きる。
だが、必ず紫苑 は言うのだ。
俺が愛してる、と囁けば
「ホント?」
「いつまで?」
と。
それを言う紫苑に、おそらくはマトモな意識も判断能力もない。襲いくる快感に朦朧とした頭で、必死に俺を求めながら、いつまで? と聞いてくる。
「ずっとだ」
そう言うと泣きそうな表情 をして達するのだ。
その後はひたすら俺をにすがり、もっともっととねだり、乱れる。
――紫苑が鬼化 できないのは俺のせいかも知れない――
意識を飛ばし、くったりとした紫苑の身体が冷えないように抱きしめていると大銀杏の結界を揺らす飛影 に気付き、結界を解いてやる。
「おや……紫苑は眠っているのか……」
「起こすなよ」
「長 、朱殷 殿からの返答をいただいた。明日おいでになる」
「そうか。ご苦労」
すぅすぅと規則正しい寝息を立てて眠る紫苑の髪を撫でると、飛影がぴょこぴょこと近付き、紫苑の顔を覗き込む。
「……邪気のない寝顔だな、可愛いものだ……」
「起こすなよ?」
もう一度言うと飛影は解っていると頷いて紫苑の寝顔に目を細めた。
「目覚めると鬼化は解けるのだな?」
「ああ。何故だろうな……俺のせいかな」
「今更後悔か?」
「後悔もするだろう……あんな形で紫苑の意志など無視して……」
「ならば不安定な紫苑が安定するまで。安定せぬなら不安定なままの紫苑を変わらず愛されよ。私には生意気ながらそんな事しか言えぬ」
飛影の言葉に思わず吹き出してしまった。
安定しようとしまいと、俺が愛してるのは紫苑なのだ。
「愛してるさ、ずっとな」
さらりと指の間を抜けていく紫苑の美しい髪。
形良く伸びた二本の角。
俺の肌に爪痕を残す程に尖り伸びた爪。
どれもが完璧で美しい。
美しい鬼神の姿だ。
だが、それも目覚めるまで……。
「なぁ飛影……紫苑は本当は鬼神になどなりたくなかったのではないだろうか。人を喰らい脅かす、と人の世では言われているだろう? 昔話でも退治されるのは鬼だ」
「ももたろさん、か? ふむ、紫苑は本心では鬼神である事を拒否していると? だから理性が働くうちは鬼化できないと?」
そう思わずにはいられないのだ。
俺の腕の中、理性が飛べば鬼化する紫苑。
目が覚めて理性が戻ると鬼化が解ける紫苑。
喰いたいと言い出さない紫苑。
愛を囁けば、いつまで? と期限を確認する紫苑……解放される時が来るのを期待しているようで、苦しくてたまらない。それでも俺は嘘がつけずに、ずっとだと答えてしまう。
もう解放などしてやれないのだ。
それは紫苑にも伝えてある。それで良いと紫苑も言ったが、本心ではないのかも知れない。
紫苑は幼い頃から諦める事が得意だから。
「その長の考え、明日朱殷殿にも伝えると良い」
「あぁそうだな……」
朱殷――かつて俺と同じように愛した人間を鬼神へと変えた過去を持つ者。俺と違うのは、相手も納得済みだったという事だ。
三途の川を渡らせるような恐ろしい思いもさせてはいないだろうと思うと、己の愚かさに吐き気がした。
何故俺はあの日紫苑の気持ちを逆撫でるような事をしたのだろう。
ただの食事だと言って、紫苑の気を楽にしてやりたかったのか、我知らず嫉妬して欲しかったのか……だとしたら愚か過ぎる。
「長よ」
「ん? あぁ、陽が落ちるな……紫苑を起こそう……そうだ、お前が話をしてくれなかった、と紫苑がひどく落ち込んでいたぞ。目覚めたらバカ話の一つでもしてやれ」
起きろ、と身体を揺すると小さく唸って、きゅっと眉間に縦皺を寄せる。
「ぅ、ん……柚葉……? 寝ちゃった、ごめん」
「身体はツラくないか? 寒くはないか?」
大丈夫、と答えた紫苑にキスをして、寝乱れた髪を指で梳いてやる。
「長は激しいか?」
「っぅわあ! ひ、飛影!?」
飛び上がって驚く紫苑を抱き直して、無粋な事を言うバカラスを睨むと白々しくカァと鳴いて角の消えた紫苑の頭に飛び乗った。
「なぁなぁ、紫苑〜? 長は激しいのかって?」
からかわれて顔を真っ赤に染めた紫苑は、髪を引っ張る飛影の嘴から髪を守るように両手で押さえた。
「うるさ、もう! やめっあーもう! 優しい! 柚葉はいつもすごく優しいってば!」
優しい、か。
飛影の嘴から逃れようと、俺の背中に回り込んだ紫苑を庇う。
「なんで飛影がいるの?」
むぅ、と不満そうな紫苑の肩に飛影がまた飛び乗って
「お使いの帰りなのだ。労ってくれ」
と声をかけ、そうなの? と俺を見上げて確認を取る紫苑に頷くと
「お疲れさま、飛影。早かったね」
と笑って俺の肩へと移動した飛影の小さな頭を撫でていた。
丸い目を嬉しそうに細めた飛影は嘴を俺の耳へ突っ込むと
「ずいぶん惚気 るではないか……幸せそうだぞ?」
と呟き、俺の鼓膜を破ろうとしていると勘違いした紫苑は慌てて飛影を抱いて俺から離した。
「お茶にするか? それとも食事にしようか?」
「うーん、まずはお茶が良い……」
「紫苑、私も! 疲れた」
「もう耳の中に嘴突っ込んじゃダメだよ? 危ないよ?」
「うむ。解った……」
主人 に危害は加えられないのに、とぶつくさ文句を言いながらもおとなしく紫苑に抱えられた飛影は喉の奥をコロコロと震わせ、機嫌が良さそうだ。紫苑の腕は居心地が良いらしい。
「飛影も飲めるの?」
「少しならな」
「へぇ! じゃあご飯は?」
「カラスは悪食だからな。なんでも食べる……と言いたいところだが、私はグルメなのだ!」
飛影とくだらぬ事で言い合い、笑っている紫苑の笑顔は果たして本物か?
結界を揺らす唸り声とこの世の終わりのような大絶叫に驚いた紫苑が飛影を投げ捨てて俺に飛び付いて来た時は、飛影には悪いが優越感が胸に湧いた。
「大丈夫だ、翳狼 が仕事をしただけだ」
今度会わせてやろうと言うと、紫苑は一瞬不安そうな顔をしたものの、こくりと頷いた。
俺は紫苑に不安そうな顔をさせてばかりだな……安心させるように抱きしめてキスをすると、飛影を気にしつつも微笑んでくれた。
ずっと笑顔であってくれれば良いのにと思わずにはいられない。
鬼化ができるようになる事で少しでも紫苑の笑顔が増えるなら、朱殷に頭を下げる事など大した事ではない。
悪いのは俺だ。
紫苑を愛してしまった俺が悪いのだ。
俺ができる事はなんでもしてやろう。
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