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第二十話 来訪者
はしゃいで飛び回りすぎた飛影 は俺の膝の上で眠ってしまった。
柚葉は大して気にするでもなくのんびりとコーヒーを飲んでいる。
「あんなに喜んでもらえると、なんか嬉しいね」
ツヤツヤの飛影の羽を撫でながら起こさないように呟くと、それはそうだろうと白群 が答えてくれた。
「婚姻というにはいささか大げさだが……紫苑だって長からの贈り物は嬉しいだろう? それと似ている。使い魔が主人 から形ある物を贈られるというのはそれなりに意味が深いんだよ」
「それに飛影 があそこまで喜ぶには理由があるんだ……昔……どのくらい昔かな……金の鎖を二重にして首に巻いてやった事があるんだが。妖 に絡まれてな。戦いの最中に鎖が切れて、失くしてしまった。その時すごく落ち込んで……いくら新しいのをやろうと言っても首を縦に振らなかった。申し訳ない、と言って。律儀な事だ」
慈しむような柚葉の声が耳元で聞こえ、普段はケンカみたいな漫才みたいな会話ばかりしていても、柚葉は飛影を大切に思っているというのが伝わってきて、俺は不覚にも鼻の奥がツンとなった。
「ホントは欲しかったんだねぇ……ね、柚葉聞いた? “主人の瞳の色だ”って言ってたよ」
「ああ、聞いた。可愛いヤツだ」
小さな頭を人差し指でなぞるように撫でると気持ち良いのか、喉の奥がコロコロと鳴る。本当はもう起きているけど、恥ずかしくて寝たフリなんじゃないのかなって思ったけど……それならそれで寝たフリに協力しようと思った。
飛影はまだ雛鳥だった頃に巣から落ちて地面でピィピィ鳴いていた所を柚葉に拾われたと言っていた。
本当ならまだ親から餌を与えてもらう時期だったが、自然界で生きる飛影の親は、巣から落ちた雛を救うよりも、巣に残った兄弟雛を育てると決めたようで、いつまで経っても助けに来てはくれなかったと毛繕いしながら呟いた飛影は少し寂しそうだった。
満足に毛も生え揃わない自分は森の獣の胃袋に収まるのだろうと覚悟した矢先、自分に近付く足音が聞こえ、あ、と思った時には大きな掌に掬い上げられていた。目も良く見えないくせに深い緑の瞳の色だけは解ったんだと飛影は言った。
冷えてブルブル震える身体を両手で包み込み、緑の瞳の人が生きたいか? と聞くので、本能に正直に死にたくないと答えたと言う。
優しく撫でてくれる手が温かくて、死ぬにしても生きるにしてもこの手の中が良いと思ったと言った飛影は慌てて俺に口止めしたっけ。
「飛影は……少しだけ、俺と似てる……」
自然界の弱肉強食の中、親に見捨てられた無力な飛影と人間界の虚飾虚栄の中、親に見放された無価値な俺。
そんな俺達に手を差し伸べてくれたのは柚葉だった。
「この手が守ってくれた……」
スッと口元にお茶請けのクッキーを差し出してくれる手首を掴んで、指先にちゅっとキスをすると、テーブルを挟んで朱殷 が白群の胸を拳で叩いて悶えている。
「あ……」
カランと乾いた音を立てて朱殷の髪留めが床に落ちた。
どうやら鬼化 が解けたらしい。すぐに髪留めを拾いたいけど、俺の膝の上には飛影がいて、一瞬戸惑った俺に朱殷は微笑んで自分で落ちた髪留めを拾ってくれた。
「ごめん! 落としちゃった。傷入ってない?」
「ん。大丈夫! 気にせんで?」
無造作に自分の髪に髪留めをつけた朱殷は角がなくなって髪が普通の長さに戻った俺の頭を撫でる。
「こっちの紫苑も大好きよ」
「ん……あ、ありがと」
鬼化が解けて、羞恥心が少しばかり戻った俺は朱殷の言う大好きよに耳が熱くなるのを感じた。
「あんまり紫苑を困らせるなよ?」
見かねた柚葉が助け船を出してくれたけど、朱殷は首を傾げて
「紫苑、困るん?」
と不思議そうに呟いた。
俺は柚葉の膝の上で、身を固くした俺は、柚葉以外からは言われ慣れてないのだと朱殷に白状した。
だからどんな反応をしたら良いのか解らない、と。
朱殷はわずかに唇を歪めて
「もったいない」
と呟いた。
「可愛いは可愛い。好きは好き。言わなもったいないやん! 紫苑も慣れて? 私は言うよ? 我慢できんもん!」
可愛いー可愛いーと繰り返し頭を撫でて、微笑む朱殷に被せるように白群まで可愛いぞと言い出して、恥ずかしいったらない。
「いや、あの、だからさ」
「しーおーんーっ可愛いっ! その照れた顔も可愛い! 長の膝にちょこんと座っとるんも可愛い! 可愛いーよー!」
「……朱殷殿、私も褒められたい!」
クイッと頭を上げて今度は飛影が助け船を出してくれた。
朱殷は飛影の頭を撫でて
「そら飛影も可愛いけど、褒めてもらうんは長と紫苑にしてもらい? ほら、脚を見せて? うん、カッコ良いよ」
としっかり飛影を再び良い気分にさせた。
飛影は独り言のように
「もう失くさぬ……脚を千切られぬ限り大丈夫だ……」
と物騒な事を呟いていて、俺はそんな片脚の飛影は見たくないと漆黒の翼を撫でた。
「さてさて。可愛い紫苑も堪能したし、長のヘタレに喝も入れられたし。私らは帰ろうかね? 辰臣?」
「そうだな。何かあったらすぐに呼んでくれよ? 紫苑、約束だ」
ぽんぽんと頭を叩く白群に頷くと、念押しのようにもう一度約束だと言ってから朱殷の手を引いた。
もっとゆっくりしていけば良いと言う柚葉に朱殷はべぇっと舌を出して
「長は色ボケしとけ。副頭領はこれでも忙しいのん」
そう朗らかに言い残し、柚葉に結界を解かせると天翔 を呼んだ。
白群の影から現れた天翔に飛影が近付き、見てくれと言わんばかりに脚を出すと、天翔は丸い眼を細めて飛影の小さな身体に頬擦りをした。
「お久しゅう、飛影殿。良くお似合いです」
「うん! 嬉しくてならんのだ!」
ばさりと羽ばたいて天翔の頭に乗った飛影は親愛の情を示すかのように天翔の頭の毛繕いをし、天翔も心地良さげに任せている。たまに足踏みしているのはマッサージなのかも知れない。
「飛影! 天翔はもう二人を連れて帰らねばならんのだ。降りてやれ!」
「むぅ、だからだ、長。台湾まで往復して、すぐに帰るなど疲れておろうと思ってな……もみもみしておるのだ」
「そうか。ならしっかり揉んでやれ」
使い魔の世界にも序列があるのか、どうやら飛影の方が身体は小さいけれど天翔より格上のようだ。
格は上かも知れないけれど、あまりに飛影と天翔の体格差があり過ぎて、飛影の“もみもみ”は天翔にはあまり効かないかもなぁと思ってしまう。
「ああやって妖力のおすそ分けをしているんだよ」
と柚葉がそっと耳打ちしてくれなければ、飛影に天翔が我慢して付き合ってくれているのだと誤解したままだった。
「飛影って身体小さいけど、あんなにもみもみして大丈夫なの? 倒れたりしない?」
「大丈夫。もし倒れたら俺の妖力を分けるさ。飛影はな、身体が小さくて俺達を運んだりできないだろ? それのお礼かな……ま、浮かれているようだし、好きにさせてやろう」
「ふぅ、疲れた。なんの足しにもならんが私の自己満足だと思って許してくれ、天翔」
「ありがとう、飛影! 天翔も元気出たよ」
朱殷の胸に抱かれた飛影がちゃっかり胸の谷間に顔を埋めていたのは見て見ぬフリをしてやろう……。
あっという間に空高く、点になってしまった天翔。
俺もいつか鬼神の住む世界に行くのだろうか?
傍に立つ柚葉の腕をそっと掴んで
「鬼神の住む世界は遠い?」
と聞くと、ぐっと肩を抱き寄せられた。
「近くて遠い。表裏一体だ」
「何それ、なぞなぞ?」
「人の思念が届く程度に近く、人の方からは何かの間違いがない限りは足を踏み入れる事のできない場所……かな」
柚葉からの答えはやはり俺にはなぞなぞのようで。
「行きたいなら連れて行ってやるぞ?」
と言う柚葉に暫し考えて俺は首を横に振った。
おとぎ話の影響か、俺の頭の中には岩山ゴツゴツで草木の生えない地に堅固な城が建っている図が浮かぶ。
……正直、怖い……
そりゃ、いずれは行かなきゃいけないんだろうとは思う。
柚葉の国、なんだし。
「ちゃんと鬼化できるようになったら、行く」
少しでも柚葉にかかせる恥が減ってからと願うのは仕方がないと思いたい。
「行きたくなったら行けば良い。俺は紫苑とまだこちらの世界で色んな場所に行きたいぞ? 例えば……」
「温泉だ、主人!」
カァと鳴いてベランダの手摺から柚葉の頭の上へと移動して来た飛影を掴んだ柚葉は小さな身体を肩に乗せた。
「温泉って、お前はどうせカラスの行水だろうが」
「何度も繰り返せば行水も立派な入浴! 私も紫苑と一緒に遊びに行きたい! 美味しい物を食べて、良い湯に浸かって……」
「解った解った。昨日散財したからな? ちょっとゴミを撒き散らかす輩から巻き上げて温泉に行こう」
と柚葉は悪そうな表情 をして俺に笑いかける。
神様がカツアゲかよと茶化すと、柚葉は澄ました表情で
「掃除代だ、掃除代」
と言って飛影を撫でた。
飛影は柚葉の肩の上から首を伸ばして俺の髪を引いたり頭を突いたりして、堅い事を言うなと怒り始めた。
「いたっ行くよ? 行かないとは言ってないだろ、温泉!」
「阿呆 共からいただかねば、温泉が遠退く! 私は早く主人二人と行きたいっ」
「そうと決まれば早速術をかけて来るかな」
柚葉の言葉に飛影が嘴を引っ込めて、俺も頭を摩りながら柚葉の膝から降りた。
「術ってどんな? 俺も見たい」
「あぁ、一緒に行こう。飛影は寝ていろ。お前、調子に乗って天翔に妖力を分け過ぎたろ?」
「バレておったか……面目ない……」
しゅんと頭 を垂れた飛影の身体を撫でて、待っててねと告げて柚葉の手を取る。
せっかく柚葉が“術”をかけるというのだから、今後の為にもと立ち会ったのに柚葉は瞬き二回の間に術を完成させてしまった。
特に変化もない門扉。少しだけ暗くなった気がするが禍々しさは感じない。
「何したの?」
「んーそのうち解る。何せここは評判のお化け屋敷だからな」
実は俺も楽しみなんだ、と俺の手を引く柚葉がいたずらっぽく笑って
「戻って今度は結界に呪 を混ぜる練習でもするか?」
と提案してくれた時に森の結界に誰かが触れる音がした。
「どうしよう、人が……」
「……待とう。これは人間ではない。おそらく、俺が殺した妖の事で、ここら一帯の妖のトップが話をつけに来たのだろう。紫苑は不安なら部屋に戻って結界を張れば良いよ」
柚葉の声音は変わる事なく、頬を撫でる手も優しいままだけれど、俺のせいで柚葉が責められたりするのは嫌だ。
「だから柚葉の邪魔にならない限り俺はそばにいてちゃんと見たいよ。危なくなったらちゃんと逃げるし、柚葉の迷惑にはならないように努力するから……お願い!」
「そうだな、まあそんなに大事にはならないと思うけどね。万が一を考えて翳狼 に準備してもらっておこうか」
そう言うと柚葉は右手の森の奥へ向かって口笛を吹いて、安心させるように俺の肩を抱いた。
森の木々がざわめく。ものすごいスピードで揺れる草木に目が追いつかない。
目の前がなんだか暗くなったなと思った時にはもう目の前に、熊くらいの大きさのなんとも立派な銀色の狼がいた。
「主人よ、この方が……」
「そうだ。紫苑だ。よろしく頼むな」
真っ直ぐに見つめてくる金色っぽい瞳に射抜かれて、俺は身動き一つできなかった。翳狼の喉がグルルルルッと鳴ると汗が脇を伝った。
「お初にお目にかかります。我が名は翳狼。見たまま狼の妖でございます。私が貴方様の為にできるのは、この牙と爪を使ってお護りする事のみ。この翳狼が貴方様のお傍におります時は、どうか安心してくださいませ。妖魔ごとき喰い散らかしてみせましょう」
「あ、あ、はい! よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げると、柚葉と翳狼が同時に溜め息をついた。
「紫苑様、貴方様はご自分の立場を解っておられない。序列一位の方が使い魔にそんなに簡単に頭を下げてはなりませんよ? けれど……礼を尽くしていただき恐悦至極にございます」
伏せの体勢をとった翳狼を撫でろと柚葉が俺の手首を掴んでふかふかの翳狼の頭に置いた。
少し固い頭部の毛。それでも触り心地はすべすべしていて、とても美しい。
翳狼はおとなしく俺の掌の感触を確かめ、匂いを覚えようとしているのかたまに鼻を鳴らす。
「……柚葉? 俺って序列……」
「ん? 当然一位だ。俺の連れ合いなんだから」
連れ合いだから俺まで序列一位って、そんな棚ぼた形式で序列一位の座を手にして良い……ワケがない。
青くなった俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
「そんな顔をするな。誰の妖力で鬼神になったと思ってるんだ?」
「そりゃ柚葉のだけど、だからってそんな……俺、朱殷より絶対弱いよ? なのに一位なんて……」
「序列ってのはヘタな争いを起こさない為にもある。序列にも入らない下っ端がいきなり序列一位に下剋上仕掛けようとは思わないだろ? それに朱殷はお前になんて言った? 大好きよ、と言わなかったか?」
認められたんだよ、ちゃんとな。
だからどーんとしていれば良いと言っているのに、と言う柚葉に翳狼が苦笑いをした。
「主人殿、序列云々をすぐに理解せよと言うのはあまりに酷。ゆっくりと説明して差し上げるべきでしょう」
ぺろりと長い舌で頬を舐められ、翳狼にも気を遣われている……。
「翳狼も優しいね……みんな優しい……」
「そうですか? 妖ですけど……」
クゥンと照れたように鼻を鳴らす翳狼。
軽い口調で話してくれて笑わせてくれる飛影。
朱殷も白群も、少なくとも柚葉が俺に会わせてくれた人達は誰一人として俺を無視したりしなかった。
理解しようとしてくれる。
理解させようとしてくれる。
「ま、相手の出方によってはその優しい翳狼が牙を剥く事になるがな」
ぐっと肩を抱き寄せられると同時に人影が見えた。
ゆっくりと歩くその人は一見普通の人間だが、彼を取り巻く気が普通ではなかった。
様々な念と何体もの魂が入り混じったそれは醜気と呼ぶのが一番ふさわしい。
「あれが……」
この辺りの集う妖のトップ。
弱い妖を喰い、取り込み、下剋上を繰り返し成長した魔物。
その魔物が目の前で足を止めた。
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