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第四十四話 鬼神の年越し

 いつもの如く鍋の争奪戦を繰り広げる俺と朱殷(しゅあん)(はなだ)は最初こそ目を丸くして見ていたけど、柚葉(ゆずは)白群(びゃくぐん)が笑いながら 「紫苑がんばれ! 負けるなよ!」 「俺のも少しは残しといてくれよぉ」  とお猪口を傾けつつ応援するので、いつの間にか応援の輪に加わっていた。  最初は水のようだと思った縹は、水のようでもあり、空気のようでもあって、やはり俺の中では不思議な人というポジションのままだ。  館の改装に来てくれた鬼神の一人は管理者になりたいから下剋上を仕掛けて負けたと言っていたのに、縹はのんびりとした口調で 「人の世は面白味がのうての。(ワシ)があれこれ手出しせずとも一応は回る……しかし酒は違う。毎日毎日顔も違えば機嫌も違うて、一旦機嫌を損ねるともう取り返しがつかん。それがなんともおもしろいのよ」  と俺と朱殷の鍋争奪戦が終わった頃に語って聞かせてくれた。 「はなちゃんが造るお酒は天下一なん。こんな美味しいお酒造られたら、管理者になって来いなんて言えんのん。楽しみが減ってしまうじゃろ?」  満面の笑みでクイッとお猪口を傾け、一口で飲み干してしまう朱殷の言葉に納得してしまった。  お酒初心者の俺でさえもまた飲みたい、と思ってしまう程に美味しいお酒だったのだから。 「俺の将棋の相手がいなくなるのも正直寂しくてな」 「……儂に勝てんのが悔しいだけよの? さて、次の燗をつけて来ようかの」  よっ、と膝に手をついて立ち上がった縹は柚葉を見てふっと口元を綻ばせた。  横目で柚葉を見てみれば、縹の新作を手酌で楽しみつつ、俺の口元に運ぶ新鮮なお刺身を選んでいる最中だった。  笑われた、よな。バカにしたような笑いじゃなかったけど、柚葉の俺への溺愛というか甘やかしは同族から見たらやっぱりおかしいのかな。 「気にすんな。口開けろ」 「あ、うん。ありがと」 「……そういうヤツじゃない。美味いか?」 「ん? ん。美味しい」  ぷりぷりの甘エビはあっという間に溶けてなくなった。  笑って年越しをしようと約束したんだから、ちゃんと笑って年越しをしたい。  こんなに賑やかな年越し自体初めてなんだ。  コタツの前には飛影(ひかげ)翳狼(かげろう)天翔(てんしょう)が仲良くそれぞれの好物を交換しながら楽しそうに話に花を咲かせている。  たまにこちらへ寄ってきて、めぼしい物をねだっていくのはやはり飛影で、柚葉も特別な? と釘を刺しては飛影のおねだりを叶えてあげている。 「紫苑、紫苑! 私達も蟹さんが食べたいのだ」 「え? 足りない?」 「剥いて欲しいんだろ? っとに甘えやがって」  今夜だけで、飛影達はたくさんの特別を使ったし、柚葉はたくさんの特別を飛影達に許していたけど、それも特別だから良いのだと柚葉は笑う。 「さて。これは伴侶殿に」  スッと差し出された薄い琥珀色の液体に満たされたグラスを小さな気泡が無数に駆け上がっている。  受け取るとカランと氷の涼やかな音がした。 「これはなんですか?」 「梅酒を炭酸水で割った物での。もちろん儂が漬けたんじゃ。どうやら伴侶殿には熱燗よりは冷たい物が良さそうだと思うての。顔が真っ赤じゃ……お暑うございましょう」  縹の言葉は大当たりだった。初めての日本酒に、熱い鍋を朱殷と競って食べた直後の俺は真冬なのに薄っすらと額に汗を滲ませていた。  指先が冷えていくのが心地良い。縹にお礼を言ってグラスに口をつけて、半分程を一気に飲み干した。  アルコールのはずなのに、縹が作ってくれた梅酒は火照った身体をすぅっと冷やしてくれた。 「美味しい!」 「それは良かった……代わりを作って来ようかの」  そう言って立ち上がろうとする縹を引き止めたのは俺じゃなくて柚葉だった。 「少しは料理も楽しめ」 「儂は酒を楽しんでいただきたい故、な」 「充分に楽しませてもらっている。美味い酒に美味い料理。なのにお前は酒にかかりきり。紫苑も気に病む」 「お酒、嬉しいです。でも縹さ、縹にもたくさん食べてもらいたいです。一緒に食べたいです」 「うーむ、参った」  どかりと座り直した縹は頭を掻くと、照れ隠しなのか、ははっと軽い笑い声を上げた。 「伴侶殿はたいそう優しいと聞いてはおったが……酒の任から外されて、こうも嬉しいものとはな……いやはや、参った。酒を提供する為だけに来たというのに」 「酒は作ってくれ。だが今はほれ」  新品の箸を縹に差し出した柚葉はにんまりと笑い、まさか断らんよな? と未だ手付かずの小鉢を差し出す。  箸を受け取った縹はやはり頭を掻いて 「断れ……ませんなぁ」  と素直に小鉢を受け取って箸を付けた。 「あ、はなちゃん、コレも美味しいん! 食べて?」 「そうそう。年越しくらい一緒に騒ごうぜ!」  朱殷が選んだコロッケに唐揚げ、エビチリに肉団子にソースたっぷりのステーキが皿に山盛りに盛られて、それを見た縹はふっと口元を緩めた。 「まずははなちゃんも腹ごしらえ! まだお蕎麦も食べとらんもん。そんでゆーっくりとお酒を楽しみながら年を越すん」 「そうだ、紫苑。縹は俺が教えたから大富豪できるぞ! あとでやろうな!」 「私達も何か遊びに参加したいのだ!」  飛影の一言で、みんなでできる遊びはなんだろうとまた話が盛り上がる。 「かくれんぼとか鬼ごっこは絶対ダメ。翳狼の鼻ですぐにバレちゃうし。飛んで追いかけられたら絶対捕まる」 「そんな事を言われたら、私達だって結界を上手く使われては見つけられないのだ」 「私も天翔も上手く隠れられそうにありませぬな……ならば」 「ならば?」  くふぅん、と少し甘えた感じで鼻を鳴らし尾を揺らす翳狼は照れ臭そうに一言 「だるまさんがころんだ」  と言い、みんなの顔を見渡した。 「だるまさんが」 「ころんだ」  天翔と飛影が復唱して、やはり俺達を見る。良いではないかと目が輝いているお茶目な使い魔達に一番最初に手を叩き、笑って同意したのは縹だった。 「あっはっは! 良い良い! ここは一つ(わらし)となるか。腹ごしらえをすませて、酒を存分に楽しんだら余興にの。楽しそうじゃな」 「皆様はたくさんたくさんお酒を召し上がると良い!」  その方が足元が覚束なくなると踏んでの飛影の勧めに縹は表情を綻ばせ 「とりわけ(おさ)には一番脚にくる酒を一番効く温度でお出ししようぞ」  と朱殷オススメのコロッケをきちんと箸で割って口へとおさめる。  食べ方さえも穏やかで美しい。俺も少しは見習わなきゃな、といつもの自分を思い出して恥じた。 「子供か?」  片眉を上げて言うくせに楽しそうだから、多分柚葉も一緒にやってくれる……はず。 「言い出しっぺがまずは鬼じゃな?」 「任されよ、縹殿。私の耳、微かな衣擦れの音さえも聞き逃しませぬよ」 「ほほう……本物の鬼に勝てるかの?」 「そう言われますと……一気に自信がなくなりますな」 「私達だって動きを察知するのは得意なのだ! なぁ、天翔?」 「うふふ、楽しみ楽しみ! 鬼のメンツにかけて負けられんのん!」  朱殷に微笑みかけられた天翔は飛影に頷きかけて動きを止めた。  さすがにメンツをかけられると、天翔としては素直に頷けないようだ。 「罰ゲームというヤツはどうするのだ? 敗者が勝者の言う事をなんでも一つ聞くというのを人間達は遊びに組み込んでおるようだ!」 「罰ゲームったってなぁ……になるのが一番の罰だろうになぁ」 「人間(ヒト)は人間。鬼神とただ残虐な妖魔の違いは解るまいよ」  クッとお猪口を傾ける縹の言葉は変わらず穏やかなままで、人間を責めている気配はなかった。 「……それで良かろう。人智を超えた摩訶不思議な恐ろしい事象は全て“鬼”のせいで良い」  隣にいるのに手酌ばかりさせるのも、と思い柚葉のお猪口に酒を注ぐと慣れないせいで並々と注いでしまった。  柚葉は口元に笑みを浮かべると入れすぎた酒のせいか、殊更ゆっくりとお猪口を口元まで運び静かに傾けた。 「美味いぞ。紫苑、ほら」  俺のせいで溢れた酒で指先を濡らした柚葉はまるでいたずらっ子のような表情(カオ)で俺を見る。  つぅっと唇をなぞる濡れた柚葉の指先を俺は迷う事なく咥え、軽く吸いながら舌で舐めた。  再びふわりと広がった少し花のような香りのする芳醇な縹の新作につい目を細めると、目の前の縹が 「ほほう! これは、これは!」  と驚愕と感嘆の声を洩らし、朱殷は 「らぶらぶなん! 麗しいじゃろ!?」  ときゃっきゃと騒いで、べしんと何かを叩く音も聞こえた……多分白群の肩か二の腕だと思う。  何をそんなに興奮しているんだろうと不思議に思いながら柚葉を見上げると、アルコールのせいかほんのりと目元を赤くして俺を見下ろしていた。 「迷いなく俺の指を皆の前で口にしてしまう程には酔っているらしいな?」 「ん? ……あっ!」  やらかした! と我に返った時には既に遅く。俺を見る全員の目が生温い。 「すまん、誰か」 「はーい! 私が行く。待っとって」  阿吽の呼吸で柚葉の声に朱殷が立ち上がり、縹は申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。 「すまなんだ。初めての酒を空きっ腹に飲ませてしもうて。儂もまだまだ気が回らんのう。伴侶殿、許してくだされ」 「違うんです! そんなに酔ってないっていうか、ちゃんと歩けるし、頭もハッキリしてます。ただ、なんていうか浮かれちゃって。俺、こんな楽しい年越し、初めてなんです。みんなが楽しそうで、笑ってて、俺がいても良くて、そういうの、初めてで……」  だから縹は悪くないし、嬉しくて浮かれたんだって解って欲しくて身を乗り出して話していたら、額にキンキンに冷えた缶が当てられた。 「ほい、紫苑」 「あ、ありがと」  冷蔵庫に常備してあるコーラを受け取って開けようとすると、それはあっさり柚葉に奪われてプシュッと小気味良い音を立てた。 「伴侶殿がおらねば、誰もこんなに笑ってはおらんだろうよ。まず長がこうも上機嫌ではなかろう。儂が言うんじゃから間違いない。いつもなら、こうじゃ」  ギリッと眉間に縦皺を刻んで不機嫌そうな顔をしてみせた縹はすぐにその縦皺を指先で解して柚葉に笑いかけた。 「そうじゃろ? 長。変わられたな、良い方へ」 「ふん。お前まで言うか」 「そんなん、みんな言うとるん! 長の気が更に強くなったって。紫苑のおかげじゃと私は思うとるん」 「愛を知って強くなるのは鬼も人間も同じか。良い良い。まっこと麗しい」 「……お前ら、うるさい」  お酒のせいだけじゃなく顔を赤くした柚葉はわざとらしく顔をしかめると白群に年越し蕎麦を作ってくれと命じた。 「辰臣(シンシン)が行くなら私も行くん!」 「ああ見えて白群は料理上手じゃからな。問題は朱殷様がどこまで手を出すか、という……ん? どうされた? 伴侶殿」 「え、あ。白群には様とか殿とかつけないんだなって思って」 「うぅむ……白群が鬼神の一員となって早二百年余り。何故か気が合うての。将棋に碁、たまに儂の酒蔵に顔を出しては邪魔していく。気付けば一番の馴染みとなっておった。本人も敬称は要らぬと言うし」  なら俺の事も呼び捨てでと言うと、縹は俺ではなく柚葉を見て柚葉の言葉を待った。  序列が関係している事だし、しきたりの一つなので俺も柚葉の言葉を待つ。 「それが紫苑の望みか?」 「ダメかな?」  伴侶様、伴侶殿と呼ばれるのもちゃんと俺は柚葉のものだって認識してもらえてるって思えるから嫌じゃないけど、少なくとも柚葉が心を許しているというか信頼している人達には名前で呼んでもらいたいと思う。  ポンと柚葉の掌が頭に乗せられて、俺は黙ってコーラの缶に口をつけた。 「……縹よ。紫苑の名を呼び捨てに。これは俺からの命で、紫苑の願いだ」 「畏れ多い、が……誠によろしいか? 紫苑?」 「え……今……」  確かに呼ばれた。低く柔らかな春の小川のような温かな声で……。  柚葉を見て、縹を見て、柚葉を見て、飛影達を見る俺は一人で大忙しだ。 「嬉しい……みたいだな。くそ、妬ける」  苦笑いの柚葉はきゅうっと俺の頬を軽く抓ると良かったな、と目を細めてコーラの缶を飲めと突いた。 「紫苑が嬉しい事が一番なのだ! 縹殿もちゃんと呼ばねばならぬぞ! でないと紫苑の笑顔が減ってしまうのだ。それは」 「とてももったいないのです」  マヨネーズをたっぷりつけたマグロのお刺身を皿に戻して力説する飛影の味覚を俺はたまに疑ってしまう。 「あい解った。遠慮なく名を呼ばせていただくとしよう。もちろん時と場はわきまえさせていただくぞ?」 「紫苑が望んだんだ。余程の事がない限りは呼んでやってくれ」  朱殷と白群が作ってくれた年越し蕎麦には本当に大きな大きな海老の天ぷらが乗っていて、得意そうな朱殷と目が合う。 「ありがと!」 「ふふ、私の魅力にかかれば……」 「おじちゃん、今日売れんかったらこんな大きな海老、誰が買うん!? ずーっと水槽に住まわせて(ヌシ)にするん? おじちゃん、お願いなん! 私は大味じゃあなんじゃと文句を言う阿呆じゃないん。美味しいのは見たら解るん。身が詰まってプリプリなん! どうしても食べさせたい可愛い弟がおるん! お願いじゃ、私に売って欲しいん、お刺身も買うし、お安くお安くして欲しいん!」  朱殷の言葉を遮って、鮮魚店の店主に言ったであろうセリフを声真似も織り交ぜて一息で披露してくれたのは縹だった。  朱殷はキッと縹を睨んだけど、睨まれた縹はどこ吹く風で 「これをの、五店舗で繰り返したのよ。一軒目は刺身の舟盛り、二軒目は栄螺(サザエ)のカゴ盛り、三軒目は……」 「もう良いん。黙って!」  ぷっくり膨れて真っ赤な顔した朱殷は、派手な音を立てて縹の背中を叩くと、足音荒く部屋から出て行ってしまった。 「アイタタタタ、変わらず怪力」 「怒った、のかな?」 「いや、あれは照れただけだろう。怒気がなかった」 「なら良いけど……」  再び白群と一緒に戻って来た朱殷は縹に向かって舌を出して 「はなちゃんなんか大嫌いじゃ! 全く似とらんかった。もっと私は可愛いん!」  と縹の丼からひょいひょいと具を奪った。  それでも五つも店を回って手に入れてくれた大きな海老の天ぷらを奪わなかったのは朱殷の優しさだと思う。  ありがとねともう一度言えば、朱殷は海老の天ぷらに(かじ)りついたまま喉の奥で 「ん!」  と満足そうに答えて微笑んでくれた。  飛影達にも縁起物だからと振る舞われたお蕎麦に乗せられた海老天は俺達のに比べればかなり小振りだったけど、それでも美味しい美味しいと大騒ぎだ。  みんなが笑顔だ。  大騒ぎで、お酒が足りないと誰かが言えば縹がスッと立ち上がりすぐに最高の状態のお酒が卓に置かれる。  少し離れた皿の料理をチラリと見ればすぐに柚葉が気付いてくれる。  白群と朱殷の掛け合いに、天翔がちょっとだけマジメなツッコミを入れて、またみんなが笑う。  あけましておめでとうを言う頃に、急ににぎやかになった外に耳を向けた翳狼が 「こんな時にも肝試しとは、なんとも落ち着かぬ連中だ」  とぽつりと洩らせば、すぐさま飛影が 「ここで肝試しをして、初詣で除霊というか、なかった事にするつもりなのだろう。うむ。合理的なのだ」  と感心する。 「良い良い。にぎやか、大いにけっこう!」  徳利とお猪口を持って長い廊下で“だるまさんがころんだ”をした。  まずは俺が鬼をかって出た結果、楽しくて尾の動きを止められない翳狼に大笑いし、鬼になった翳狼がお酒を注ぐ手を止められない縹を新たに鬼にして、口に頬張った巻き寿司を咀嚼する朱殷の名を呼んで、柚葉が朱殷をはしたないぞと怒る。一番乗りを決め込もうとした飛影が朱殷を解放しようとした天翔に押されて動いてしまって鬼になり、悔しいのだ! と地団駄を踏む。  笑って笑ってくたくたになった頃 「二次会だな」  と柚葉が俺を抱き上げて、再び宴会場へと戻った。  鬼神達の宴会はまだまだ終わらない。

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