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第四十五話 それぞれの楽しみ方 過ごし方
お正月から縹 はとにかく忙しい。鬼国の酒蔵が気になるようで、何度も律儀に柚葉 の許しを得ては鬼道を開き、こちらとあちらを往復している。
「せっかくのお正月なのにねぇ」
と朱殷がからかうように言えば
「麹に休みはないからの。生き物じゃからな」
とさらりと返して鬼道へと消えて行く。こちらへ戻って来る時には俺の為にと梅酒以外の飲みやすい果実酒を幾つか持って帰ってくれる。
次に忙しかったのは朱殷 と白群 。
二日の朝早くに起きた二人はテキパキと動きやすそうな服に着替えて、財布の中身を何度も確認している。
「どしたの? 早いね」
「あ、おはよ紫苑 。紫苑も一緒に行く?」
「はぇ? どこに? 初詣ってワケじゃないよね?」
俺達鬼神はどこかの神社に参拝する事はないし、参拝じゃなくても年始で人出も多い今行くのは社の主神 の迷惑になるだろうと柚葉は言っていた。
「初売りよ! 初売りといえば福袋! 最近のは中に何が入っとるか解るようにしてあるのもあるって雑誌に書いてあったん。なんとも親切なん。辰臣 のも欲しいし。福袋いーっぱい買ってお土産にするん。じゃからな、長」
ひょいっと掌を上にして伸ばされた手を柚葉は軽く叩いて、朱殷を無視してコーヒーの準備を始めた。
「けちーっ! お正月よ、長! お年玉ちょうだい!」
「お前は子供か? 俺からせびるより先に紫苑にやれ」
「じゃから長からお年玉もらうじゃろ? それでもって紫苑と一緒に行って、紫苑の気に入った福袋買うじゃろ? その福袋が私から紫苑へのお年玉じゃ!」
「なんかおかしくないか?」
「そうじゃろうか?」
柚葉の指摘を疑問系で返した朱殷は漂い始めたコーヒーの香りに小鼻をひくつかせた。
「紫苑は? 初売りとやらに行ってみたいのか?」
「えっと……」
まだ家にいた頃にテレビで見た事があるけれど、すごい人出だった。売り始めて五分ともたずに売り切れる福袋もあるらしく、それをめぐる争奪戦はすごいの一言だった。
「俺は柚葉と一緒に縹が戻るの待ってるよ」
「それが良いんじゃねぇかなぁ……ほら紫苑は話を聞く限り相当に繊細だろ? 欲しい欲しいと願う人の欲望の強さや伝わってくる痛みにも慣れてもいないだろうし、さ。荷物は俺が持ってやるから……今年は紫苑連れて行くのは諦めようぜ? 新年早々、酷 だ」
「ん。解ったん。お土産、期待しとってね?」
無理強いする事なくあっさり退いた朱殷は柚葉からコーヒーを受け取ると一口口をつけて、美味しいと微笑んだ。
誰も俺に強制しない。俺の意見を、感覚を尊重してくれる。この空間が居心地良過ぎて、絶対に慣れて当たり前にしてしまってはいけないと胸に刻んだ。
当たり前じゃない、ちゃんと感謝して守らなきゃいけない俺の大切な場所。
「行ってらっしゃい! 今年初のデート楽しんで!」
そう言って送り出すと白群は照れ臭そうに頭を掻いて、朱殷は心底嬉しそうな笑顔を浮かべて手を振ってくれた。
「一気に静かになったな」
「そうだね。きっと大荷物抱えて帰って来るよ?」
「白群が!」
揃った声に吹き出して、俺と柚葉は朱殷がたくさん運び込んでくれた食料の中から果物を幾つか選んで、こんがり焼いた食パンと一緒に楽しんだ。
「飛影 達は大丈夫かな?」
「森に住むもの達は冬眠しているものもいるだろうし、そんなに迷惑はかけていないと思うが……呼び戻すか?」
「ううん。あんなにご機嫌で挨拶周りに行くって言ってたから。それにいつも朝ご飯付き合ってくれてるんだもん。たまには自由に楽しんで欲しいよ」
「あいつらは紫苑と過ごす時をとても楽しんでいるぞ?」
「ん。解ってる。それでもさ……上手く言えないけど……」
決定的に飛影達と森に住む動物とでは寿命が違う。妖力を得て長い時を生きる飛影や翳狼 と普通の命を生きる動物達とでは流れる時間の早さが違う。
俺にはまだその感覚がないけれど、時の流れは恐ろしく早いと柚葉も朱殷も言っていた。
そうだとしたら……顔見知りの、仲の良い動物達との別れもきっと早いはずで。
そんな森の仲間との時間も大切にして欲しいと思うから……。
「……じゃあ俺達も久しぶりに二人きり、縹が戻るまでゆっくりするか?」
「うん! 何しようか?」
コーヒーカップの向こうで柚葉の目が穏やかに細められ、俺の大好きな低く甘い声が静かな部屋に広がる。
「特に何も。ゆっくりするんだ。いつものソファで紫苑を腕に抱いて、紫苑の好きなお茶を飲んで、たまにキスして、眠くなったら眠れば良い」
贅沢だろ? と微笑む柚葉につられて頷いてキスはたまにじゃないなと確信する。
そしてすぐに、そんな甘ったるいお正月も悪くないなと思う。
「正月だけじゃないぞ?」
ふわりと笑う柚葉はあの日交わした約束を思い出させるようにスッと手を伸ばして羽根で撫でるように俺の頬に触れた。
「そうだった」
俺達はずっと寄り添って、きっとたまにケンカして。それでもすぐに仲直りしてを繰り返して、これからを過ごすんだ。
「退屈ならアトリエで過ごすのも良いな。宴会続きで絵を描けていないだろう? 描きたいんじゃないのか?」
「んー……今日は良い。ゆっくりする」
年を越したのに飛影の絵はまだ描き上がっていない。色塗り一歩手前で止まっているけど、ちゃんと完成させるって約束したからか、飛影も急かしたりしない。
確かに一日でも早く完成したら飛影は喜んでくれるだろう。だけど今日は柚葉が言った通りに何もせずゆっくりしたいと思う。
柚葉と二人で柚葉も望むような同じ時間を過ごしたいから、アトリエには入らない。
「ね? 柚葉はお正月なのに鬼国に行かなくて良いの?」
「まだ正月じゃないからな」
「へ?」
朱殷も白群もお正月だって騒いでいたのに?
うむむ? と唸る俺の頭をポンと軽く叩くと
「俺達の正月は旧暦だからな。その時は紫苑も一緒に渡るぞ?」
と説明しつつ、いつものソファに腰を下ろし、俺を膝へと抱え上げた。
「旧暦なのは、しきたり?」
「いや。行事なんてほぼないから、暦 まで人間に合わせる必要もなくて……そのままだ」
「じゃあ、朱殷達はわざわざ俺に合わせてくれてたのか……俺がそういう事知らないから……」
「あいつらは、これ幸いと楽しんでいる。ゆっくり酒が飲めるしな。紫苑のおかげだ。俺もこんなに楽しい正月は初めてだ」
「俺も!」
堅苦しい空気の中やけに改まった挨拶をして、決まり事のようにポチ袋を渡されて、また頭を下げて。
「無駄遣いするんじゃないわよ」
と優希の頭を撫でる母親の視界に俺はいつも入らない。そんな俺に眉を下げてぎこちない笑顔を向ける父親に俺も適当な笑みを返していた。
悪気があるワケじゃない。優希が心配なだけ。解ってるよって。
「貴方は大丈夫よね?」
はしゃぐ優希の反応に満足して、思い出されたように呼びかけられ、それに即反応するのもいつもの事だった。
「はい。ちゃんとします」
「そうよね、貴方は安心だわ。優希はすぐにゲームとか欲しがってダメね」
「お兄ちゃんとゲームしたいよ!」
「ダメよ。お兄ちゃんは忙しいの。邪魔しちゃダメ」
口をへの字に曲げる優希を宥めて初詣に出かける……までが今までの俺のお正月。
それが今年はどうだ。
優希がいないのはもちろん寂しいけど、申し訳ないくらいに俺は笑っている。
朝まで騒いで、食べて笑って。だるまさんがころんだなんて、いつ以来だろう。
朱殷の言うビュンッビュン飛ばすバドミントンの話を聞いたり、白群が持って来ていたトランプをしてりして過ごした時間の全てで俺は笑っていた。
「柚葉ありがとね」
「うん?」
不思議そうな表情 の柚葉に重ねるだけのキスをすると、それで全てが伝わったのか、ぎゅうっと抱きしめてくれた。
「来年も笑うぞ!」
力強い柚葉の声に思わず笑った。
「来年の話、もうするの? 鬼が笑うよ?」
「笑ってるだろ、もう」
くくく、と微かに揺れる柚葉の胸に触発されるように俺も本格的に声を出して笑う。
「そだね。笑ってる!」
「楽しそうなのだ! 主人 、開けていただきたい」
窓ガラスをコツコツと叩く飛影を頭に乗せた翳狼がベランダからこちらを覗き込んで尾を振っている。
「おかえりっ!」
柚葉に抱えられたまま片手を上げて結界を解くと、器用に脚を使って戸を開けた飛影が
「ああ寒い寒い! 凍えてしまう!」
と大騒ぎしながら部屋に入って来た。続く翳狼も
「雪になりましょう」
と言い、俺達の足元に身体を寄せた。
「お二人だけですか?」
「うん。縹はお酒を見に鬼国に行ってて、朱殷と白群は初売りに出かけたよ」
「それで天翔 もおらぬのだな? はぁ、あの人出の中を行かれたか……まあ結界をまとっていれば足を踏まれる事はないだろう」
ちゃっかりと翳狼の前脚の間に身を沈めて暖をとる飛影は俺を見上げ、首を回して
「だとしたら私達はお邪魔虫なのだ!」
くふふ、と何故か嬉し気に喉を鳴らしつつ、いつもの調子でからかってきた。
「だが安心するが良い、紫苑。私は……うん、眠いのだ……翳狼のココはふかふかでぬくぬくなのでな、一気に眠気が……くぅ……」
「喋っていないで寝ろ。あまり喋っていると眠気が飛ぶぞ?」
「主人よ……何かあったら……起こして……」
そう言い残すと目を閉じてしまった飛影を柚葉はとても柔らかい笑みを浮かべて見つめていた。
「はしゃぎ過ぎたんだろう。翳狼、お前も休むと良い」
「はしゃいだのもありますが……やはりお二人の側は心地良いのですよ。森の皆も主人達からのお裾分けに大変喜んでおりました。代わってお礼を申し上げます」
飛影を潰さぬように少し姿勢を変えた翳狼は前脚を上手く使って飛影を抱いたまま身体を横たえた。
「そのうち戻って来れば大騒ぎだ。それまでゆっくり休め」
そう言うと柚葉は足元へと掌を向けて、ふわりと気を送った。
「毛布みたいなもの?」
「まあ、ね。なんだかんだで物音がすれば気を遣って起きてしまうだろうから……こいつらも寝正月を楽しめば良いと思って」
柚葉の気に包まれてすやすやと眠る飛影と翳狼はもう既に夢の中なのか、たまに翳狼の大きな耳がピクピクと動く。飛影のはっきりしない寝言も可愛いし、起きないと解ってはいても、できるだけ物音を立てないようにゆっくりと動いてお茶を淹れた。
朝っぱらから出ていた縹が戻って、床の二つの影に気付くと声を抑えて喋り出した。
「おやおや、これは珍しいのぅ。使い魔が熟睡とは。ほれ、紫苑。今日の土産は杏酒じゃ。これも炭酸水で割って飲めば飲みやすいし、口当たりも良かろうぞ」
手渡された小瓶をお礼を言って受け取って、すぐに蓋を開けて香りを嗅ぐ。
「良い匂い! 今日の夕食の時はこれ飲む!」
「よしよし、儂 が作ってやろうのぅ」
目尻を下げる縹に柚葉は
「紫苑を大酒飲みにする気か?」
と小言を言っているけど、お酒に慣れていない俺の為に縹が作ってくれるお酒はいつも炭酸水とお酒の割合が九対一くらいなのを知っている。そこに氷も入れてくれるから、実際はもっと薄いお酒風味のジュースを飲んでいるようなものだ。
「素質はあると思いますがの?」
俺をダシにして会話を楽しむ二人に新しいお茶を淹れて、俺は小腹を満たす為にお菓子に手を伸ばす。
「して、姫は?」
「初売り福袋目当てに白群と出かけた」
「ははっ! さすがは鬼姫、欲が深い!」
「まあ、あいつには鬼国を任せきりだからな。こんな気晴らしも良かろう」
「多分白群と天翔がヘトヘトになって帰って来ると思うんだ。俺達にもお土産あると良いね」
どら焼きって何気にコーヒーと合う気がしてつい手が出ちゃう俺に皿ごと縹が渡してくれて現在、どら焼きを独り占め状態だ。
朱殷がいたら争奪戦になるから、ゆったり食べられるのは嬉しいような、寂しいような。
「腹八分目にしておけよ?」
「ん」
「さて。少々図々しいが、姫達が戻られるまで儂も昼寝なぞさせてもらおうかの。よろしいか? 長」
立ち上がって伸びをする縹は疲れたと呟いてそっと翳狼に寄り添った。
「そこ? そこで寝るの!?」
「んー、この毛がたまらぬ心地良さ……実はさっきから飛影が羨ましくてな」
もそもそと身動ぎしてベストポジションを探る縹を柚葉にどうにか止めてもらって、俺は急いで背中が痛くないようにと厚手の毛布を取りに走った。
「んっとに自由なんだから! はい」
「まぁそういうな、紫苑。お前様達と違ってこんな機会は滅多にないからの。ふふ、心地良い心地良い。お礼に夕食には美味い酒と鍋でも作ってやろうかの」
小さな飛影を抱いた翳狼に張り付くようにして翳狼のもふもふを楽しむ縹は五分もしないうちに眠りに落ちた。
もふもふされている翳狼は低く唸るだけで嫌がる素振りもない。
これも柚葉の気の影響だろうか?
「縹まで落ちるような強いものじゃないぞ? 余程疲れているんだろう。寝かしてやろう。紫苑も寝るか?」
「二人でなら昼寝する」
「そうしよう」
狭いソファにぴたりとくっついて、落ちないようにがっちり抱きしめられて柚葉の心音を聞きながら目を閉じる瞬間、耳元で囁かれた言葉にギュッと柚葉のシャツを握りしめた。
俺もだって。知ってるくせに。
「キスで我慢!」
抱きたいな、なんて囁かれたら欲が出るし反応もする。
それでもこの場で応じられる程俺は豪胆じゃないし。寝室へ移動なんて、朱殷が帰って来たらまた突入されて何を言われるか解ったもんじゃない。
「拷問だな?」
「んじゃ、キスなしで夜まで我慢!」
「もっと拷問だ」
くつりと笑う柚葉の指がそっと俺の顎を持ち上げて重ねられた唇は触れるだけであっさりと離れていってしまった。
もっとと願う自分と、柚葉に我慢を言い渡した手前ねだれない現実に思わず下唇を噛んだ。
「むぅ、拷問だ!」
「ははっ、夜まで我慢な?」
さっきとは真逆のセリフを口にして、俺はもう一度目を閉じて柚葉の体温を感じながら眠る事に集中する。
あったかいのは……体温を分け合ってるせいだけじゃない……きっと柚葉の作ってくれた毛布代わりの結界だ……こんなにあったかいのは……あぁ、そうだ……柚葉がいてくれるからだ……こんなに幸せなのは……。
大荷物を抱えて戻った朱殷に叩き起こされるまで、俺達は寝返りすら打たずに抱き合ったまま眠っていた。
どうやら縹は一足先に起き出していたようで、キッチンからは腹の虫を刺激する良い匂いが漂っている。
「帰ったか。楽しかったか?」
「ん! 大満足! いっぱい買うたん。ご飯食べたらお披露目会するん。長、早う紫苑も起こして?」
「……ぅうー起きてる……」
柚葉の胸に顔を埋めたままで返事をすると、ツン、と髪を引かれた。
この感触は飛影だ。
「飛影達も起きたの?」
「うむ。朱殷殿に起こしていただいたのだ。大変よく眠ったのでな、お腹が減って仕方がないのだ!」
「確かに……あれ? 白群は?」
「疲れ果ててな、早速はなちゃんから一杯飲ませてもろうとるん」
「疲れ果てる程の荷物じゃない気がするけど……」
引っ張り回されて疲れたって事だろうかと訝しんでいると朱殷がケロリと
「今の私の十倍は持っとったから、疲れたんじゃ」
と言い放ってカラカラと笑った。
案の定というかなんというか。
白群も楽しかったんなら良いなと、まだ見ぬ疲れ果てた顔の白群を想像しながら心の中で願う俺を背後から柚葉がそっと抱く。
「きっとものすごい顔をしてるぞ。行ってからかっ……慰めてやろう」
耳打ちされた言葉に頷いて大きく伸びをして、柚葉と二人、朱殷の後を追う。
畳の上で大の字に伸びている白群を見た瞬間、労 いの言葉も何もかも吹っ飛んで、大笑いしてしまったのは申し訳ないと思う。
思うけれど……買い物袋に埋もれて、手と足だけが出ている状態だったんだから、笑っちゃったのは許されると思いたい。
「しおーん……笑い過ぎだぞー」
「ぐっ、ごめっ」
聞いた事もないような弱々しい声。そんなの卑怯だ。やっぱりどうがんばっても笑ってしまう。
「腹減ったーっ酒飲みてぇー!」
目の下にクマを作って、げんなりとした顔で頭を掻く白群の痛ましい姿に同情したのは言うまでもない。
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