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第四十六話 共にある幸せ

 食べて飲んで笑って過ごしたお正月も三日目。  今夜には三人共鬼国へ帰るという。 「ちぃっと遊びすぎたん」  と肩を竦める朱殷(しゅあん)にのんびりと(はなだ)が大丈夫だと返す。 「(ワシ)はちょくちょく帰っておったが、いつも通りじゃったわい。なんならいつもより平和じゃわいな」 「んなら良かった。私がおらんからって阿呆な事しとったらお土産分けてあげんって思っとったけど」 「不思議なものでな、儂に紫苑(しおん)の様子を聞いてくるヤツらが皆揃いも揃って鬼らしくもない穏やかな目をして話して来おる。酒が驚くから大声を出すなと言うても聞くのは最初のうちのみ。だんだんと興奮しての。麹の機嫌をとるのが大変じゃったわ」  お雑煮を静かに食べていた柚葉(ゆずは)がカタン、とお椀と箸を置いて縹に向かって低く唸った。 「……紫苑のナニを知りたがったって? どいつだ? 次第によっては……」 「はい、出た、物騒! 新年早々、(おさ)、物騒!」  しっかり煮込まれて柔らかくなったお餅をびょーんと口と箸の間で伸ばしつつ、朱殷は柚葉の独占欲を笑い飛ばした。 「安心なされよ。皆、伴侶様はお元気か? お変わりないか? 長と仲良くしておられるか? と、な。お二人にと鬼国の果物も渡されたしな、悪感情を抱いておる者なぞ一人もおらなんだぞ」 「そうそう。手伝いに来たヤツらなんか、紫苑と会って一緒に茶を飲んだってのが今最大の自慢なんだ。ま、頭領の伴侶が手ずから茶を淹れて一席設けてくれるなんて、な。そりゃ自慢だな」  うんうんと頷く白群(びゃくぐん)と朱殷に、やはり困ってしまう俺。 「管理者の資格を持たぬ者が長やその伴侶と一つ部屋で茶を飲むなどあり得ぬ事。ま、勝手に自慢させておけば良い。ほれ、碗を。まだ食べるじゃろ?」 「はなちゃん、私も私も!」  軽やかに笑ってお代わりを全員分用意してくれた縹にお礼を言って、食べ終わってから最後のお正月をどう過ごすかを相談した。 「儂は」 「お酒を見に行くんじゃろ? 解っとるん」 「今日も遅い?」  昨日疲れ果てて翳狼(かげろう)の豊かで美しい体毛を愛でながら深い眠りについた姿を思い出す。そんなに疲れる程大変な酒造りを任されているのに、何往復もしてくれて、お土産も持って帰ってくれて本当にありがたいと思う。 「いーや。昨日はちぃと麹の機嫌が悪くてな。今日はきっとお利口さんになってくれていると思うぞ?」 「そうか。ならば早く戻って来い」 「それは麹に言うてくだされや。ま、がんばりましょう」  後片付けは白群に、と言い残して縹は柚葉と俺に律儀に頭を下げると鬼国へと戻る準備に取りかかった。  俺にお土産を約束する事も忘れない縹を見送って、再びテーブルに戻った俺達は、玉露を楽しむ。 「……戻るまで、何しようねぇ?」  ビュンッビュン飛ばすバドミントンはまだやりたい気分じゃないと言う朱殷は、はしゃぎ過ぎた昨日をまだほんの少し引きずっているようだった。 「大丈夫? 疲れてるみたいだけど……」 「ん。一応結界張って行ったんじゃけどな、初売りに賭ける執念っちゅうのんはなかなかに激しかったん。結界通してもビリビリしたん……まだちょっと残っとるけど、午後には完全復活じゃ!」 「ホンット紫苑は行かなくて大正解だったぜ。ありゃとんでもねぇ」  思い出したのか、げんなりとした様子で天井を見上げる白群に飛影(ひかげ)が鬼国からのお土産の干し柿を啄みながら、当然だと返した。 「人間というのはすごいのだ。除夜の鐘を聞いたり突いたりして煩悩を消した次の瞬間には初詣でありとあらゆる煩悩を炸裂させるのだ。うむ。強欲な私でも舌を捲く程だ」 「手に入れたいって欲だけじゃねぇもんなぁ。買えなかった時の悔しいって想いの強さったら、ハンパねぇ……あー、来年は俺達もゆっくり過ごそうぜ?」 「んー……考えとく。今は来年の話よりも目先の何して遊ぶか、が大事なん」  二人の話を聞くだけでなんだか肌の表面がピリピリし始めた気がして、思わず両手を交差させて二の腕から肘辺りを何度も摩った。そんな俺の頭にぽんと手を乗せた柚葉が渋い顔で俺に嫌な思いをさせるなって二人を理不尽に叱る。 「ごめんね? そんなつもりはなかったん」 「ん。解ってる。俺が勝手に想像しちゃっただけだから……こっちこそごめん。でさ、のんびり過ごすならトランプは? 白群できるでしょ?」 「勝負か? 勝負事ならいくら相手が紫苑でもはなから負けてやる気はねぇぞ?」  そう意気込む白群には悪いけど、二人で大富豪をやってもおもしろくないので、神経衰弱のルールをみんなに教えてチーム戦をしてみる事にした結果……。 「むむ、赤の七は……確かここなのだ。むふっ! 次は黒のお姫様か。お姫様はここだ! 間違いないのだ」  飛影の記憶力の凄まじさにみんな舌を巻いた。  ものすごい勢いで器用に嘴と脚の爪を使ってカードをひっくり返していく。  だけどそんな飛影に負けてないのが約一名。というか一羽。 「飛影殿、その絵札は(おさ)が先程めくられたが、そこにはなかった。そこではない」 「む? そうか、違うか……ん? 天翔とは今、敵対中なのだった! 危ない危ない。私は己を信じるぞ。ここなのだったらここなのだ……あああ! 違ったあ!」 「ふふふ、だから親切心で申し上げたのに」  してやったりと得意気な天翔の声音に飛影は首周りの毛を少しばかり広げて興奮し、俺を振り返るとまん丸な目をウルウルさせて 「失敗してしまった……心理戦というヤツで負けたようだ。お二人に初春の勝利をお届けしたかったのに残念無念」  と見ているのも可哀想なくらいに見事にしょげた。 「気にするな。団体戦だからな? ほら、敵陣の動きをしっかり見ておいてくれよ? お前の目が頼りだ」 「承知! 任されよ!」  俺の膝の上に陣取った飛影は思い切り首を伸ばして微動だにせず天翔がひらりひらりとめくるカードを凝視している。 「私らが勝ったらどうしよう? ね? 辰臣(シンシン)。長に何をおねだりしよう?」 「気の早い事だな?」  はしゃぐ朱殷に憮然と言葉を返す柚葉が幼く見えて、隣に座る柚葉に身体に預けた。  負けたって良いじゃん。  すごく楽しいよ。  二回戦三回戦やれば良いし、縹が戻って来たらまたやろうよ。  そんな思いで柚葉に寄りかかっていれば空いた手が俺の肩を抱いた。 「他の遊びも教えてくれ。皆でできて笑えるヤツがいいな」 「あ、私も知りたいん! 紫苑に教えてもろうて、鬼国に帰ったら辰臣をぎったんぎったんにやっつけたいん!」  毎回大富豪で煮湯を飲まされている様子の朱殷は片手でグッと拳を握り、もう片方の手で白群の膝を叩いた。 「っいっってぇな!」 「白群様お静かに! 今、勝負どころなのです!」 「俺かよ!? 朱殷が殴るから……」 「勝負どころなのですっ!」  獲物を狙う猛禽類の眼光に射抜かれた白群は言葉を切ってヒュッと喉を鳴らした。俺もあの眼で睨まれたらと思うと白群に同情するしかない。  俺だったら即ごめんなさいって謝ったかも知れない、と動きを止めて残り少ないカードを見つめる天翔の真剣過ぎる眼差しを見て内心震えた。  結果、天翔の気迫勝ち。  勝負が決まった瞬間に飛影は悔しそうにグゥーっと呻き、天翔が高らかに勝利を宣言し、白群は辺りに散らばった全てのカードをササッと集め、朱殷は柚葉の顔をじっと見つめた。 「で? もう一戦するか? それとも違う遊びを教えてもらうか?」 「んー……新しい遊びも覚えたいんじゃけど、それにはホラ、集中力っちゅうもんが要るじゃろ? な、紫苑? お雑煮! そろそろお雑煮食べたくない?」 「お前、朝も食べただろう? しかも三杯もお代わりしただろう!」 「それはそれ! それに朝食べたんは、はなちゃんが作ってくれたヤツ。今食べたいんは長が作ってくれたヤツなんじゃ!」  ……ぐぅ。 「なっ! 紫苑?」 「へへへ……想像したら、なんか、ね?」  バカ正直な腹を押さえると諦めたような気の抜けた声で柚葉が笑った。 「……餅は何個?」 「私三つ!」 「俺は紫苑に聞いたんだ」  ちぇー、とわざとらしく拗ねた朱殷に合わせて三つと答えると、柚葉は白群に九個の餅を焼くように命じた。 「九個ですか?」 「そうだ。俺も三つだからな」 「えぇっ! 長? 俺のが勘定に入ってないです!」 「勘定に入れて焼けば良いだろ? 焼きあがったら呼んでくれ。紫苑の為に縹のとはまた違った雑煮を作ってやる」  縹が作ってくれたのは隠し味に酒粕の入った白味噌のお雑煮で、ほんのりお酒の香りと甘味がしてなんだかとても縹らしかった。  柚葉のお雑煮はどんなのだろう。 「手伝うね!」 「そうしてくれ」  二人になりたいんだ、と穏やかに伝わってくる柚葉の気に包まれながら、お餅を焼く白群の代わりに掻き集められたトランプを箱に戻して、縹が戻るまでトランプ大会は一旦お開き。  朱殷はお餅足りんかも知れん……と俺と同じように腹を押さえて呟いている。  食べる事でいつもの元気な朱殷に完全復活してくれるなら、お餅なんて食べ尽くしても良いんじゃないかと思う。 「お代わりしようね!」 「紫苑も足りんかもって思っとるん? ふふっ、長のご飯美味しいもんね」 「俺も手伝うんだからね? 美味しかったら俺も褒めてよ!?」 「当然なん! 美味しかったらぎゅーって……あ、うん、長に怒られん程度に、な? するん」  柚葉の顔色を伺いながら、それでもにこにこと両腕を広げてくれる朱殷との会話に内心自分でも驚いていた。  褒めてね、なんてこの口が言うなんて。 「紫苑? どしたん?」 「えっ……あ、いや、まだ作ってもないのに俺、何言ってんだろね」  作るのは柚葉で、俺はあくまで手伝いだ。  柚葉が作るんだから美味しいのは当然なのに、俺も褒めてって、調子良過ぎじゃないか?  なんだか妙にバツが悪くて頭を掻いていると背後から柚葉が、正面からは朱殷がほぼ同時に抱きついてきた。 「っうわっ!」 「……離れろ、朱殷」 「ええじゃん、けち!」 「え、と?」  柚葉の腕がグイッと俺を後ろへ引けば、負けじと朱殷が腕に力を入れて元の位置へと戻そうとする。  まるで子供のオモチャの取り合いだ。 「私は鬼じゃ!」 「それがどうした! 俺も鬼だ。そして紫苑は俺のだ」 「じゃから! 我慢苦手なん! 可愛かったら可愛いって言いたいし、ぎゅってしたいって思ったら即したいん! お正月じゃもん、無礼講っちゅう事で許して!」 「お前はいつも、たいてい、ほぼほぼ無礼講だろうが!」  耳元で言い合う二人の声はケンカの割に穏やかで、俺を奪い合う腕の力も優しい。 「お! なんだ?」 「あ、辰臣! お餅焼けた?」  パッと俺を離した朱殷は白群を見上げ 「紫苑がな、可愛かったん」  と俺を指差しながら言うと、少し乱れた髪を手櫛で直す。 「ああ、なるほどな」  言われた白群も朱殷の髪の乱れを直すのを手伝い、当然だなと頷く。  がっちりと柚葉に抱きしめられ、首筋を()まれている俺に向けられる視線にも棘はない。 「なんていうか、紫苑は俺達にないものを持っているからさ……それが俺達にはいじらしく思えたり可愛く思えたりするワケだ」  もちろん悪気はねぇよ? と付け足した白群が豪快に笑うと、静かに事の流れを見ていた飛影がひょこひょこと歩み寄って来た。 「私も紫苑をぎゅーっとしたいのだが、残念ながら抱きしめる腕がない。だから、私の分まで主人(あるじ)にも朱殷殿にも白群殿にも、紫苑をぎゅーっとして欲しいのだ! 私は抱っこされてばかりだから解る。抱っこはとても心地良い。きっと抱きしめられるのはもっととても嬉しいと思うのだ……というワケで、紫苑!」  バサバサと短い距離を羽ばたいた飛影は、クフフと小さく鳴いて上手い具合に俺の膝に着地した。 「抱っこ! なーのだ!」  上手く甘えた飛影に向かってズルいと低く呟く翳狼、あっと小声を上げた朱殷。それらを気にもとめない飛影は膝の上で悠々と毛繕いを始めた。 「ダメよ、飛影」 「あう! 何をなさるのだ、朱殷殿。せっかくの紫苑の抱っこだったのに」  ひょいっと抱き上げられた飛影は尾をピリリと立てて、珍しく朱殷の手から逃れようとした。 「紫苑は今からお雑煮作るん。じゃからね、飛影はこっち」  ムギュッと音がしそうな程の勢いで飛影を胸に抱いた朱殷は俺と柚葉に 「とびきり美味しいのん、よろしくね?」  と朗らかに鈴のような声で言い、飛影はさっきとは打って変わってうっとりと目を閉じて、心地良さそうに微かに喉を鳴らしている。  今年の飛影も相も変わらずって事だ。 「うん。がんばる! って俺は手伝うだけだけど」 「充分だ。行こう」  後ろ手にキッチンのドアを閉めた柚葉は、お湯を沸かそうと鬼火の準備をする俺を背後から抱きしめ、耳元でそっと 「やっと二人きりだ」  と甘く囁いた。  その低く掠れた声に掌で踊り始めていた鬼火は小さくなり、そんなバカ正直な自分に半ば呆れながらも柚葉の腕の中で身体を入れ替え向き合うと、柚葉の首に両腕を回してキスをねだった。 「紫苑も……したかった?」 「ん。した……かった……ん、ちゃんとキスしたかった」  こくんと喉を鳴らすのと唇が離れるのはどちらが先だっただろう。  二人同時だったかも知れない。  濡れた唇を舐める柚葉の仕草は艶かしくて、どうしても“この先”が欲しくなる。 「夜、な? あいつら帰るし」  朱殷達が寝るのは改装した四階にしようって話だったけど、酔い潰れたり遊び疲れたりで結局は宴会場に近い三階の普通に改装した部屋が良いという朱殷の意見が通った形になっていた。  俺達はいつも通りの五階の寝室……結界も張って防音対策をしっかりしても、やはり緊張するというか気になるというかで、無意識に声を抑えてしまう俺はホームレスのおじいさんが住み着いていた頃からあまり進歩がない。  そんな進歩のない俺を責める事も呆れる事もなくやはり柚葉はゆっくりゆっくりと抱いた。お互いにじれったさを感じても不満には感じていないのは筒抜け状態で不安に思う必要もなく、穏やかで熱い快感を分かち合ったワケだけど……俺達にしては大人しく過ごした分、激しくして欲しい、なんて欲が出る。  柚葉にきつく抱きついて 「いっぱいシてくれる?」  と欲をぶちまけて見上げれば、額に唇が落ちてきた。 「もちろん。俺から言うつもりだったんだけどな。覚悟しろよって……ふふっ、紫苑、顔! 真っ赤だぞ」 「……っやっぱ恥ずかしかった!」  さわさわと赤くなっているはずの耳をなぞる柚葉はどう見ても上機嫌で、片腕を俺の腰に回したままもう片方の手で一気に鬼火を三つ操り始めた。  青白く揺らめく小さな鬼火はやがて大きな一つの炎塊になり、柚葉はそれを見事にコンロに据えられた鍋の下に投げ込んだ。 「これ以上待たせるとうるさいからなぁ」  最後にと唇が重なった瞬間、ほんの少しだけ柚葉の過去が見えた。  柚葉は気付かなかったのか、鍋を覗き込んでお雑煮の準備を始めている。  たった一人……傍には飛影と翳狼。固く唇を結んだ柚葉の顔が窓ガラスに映っている。  遠くから除夜の鐘が聞こえる。大晦日の夜だ。 柚葉が飛影に短く 「行け」  と命じ、飛影は無言で頷くと開け放たれた窓から飛び立った。  次の記憶は飛影から報告を受けている場面だった。飛影は夜目が利かぬがと念押しし、柚葉の肩に乗ったようだ。 「今年も紫苑は無事に年を越したぞ、主人」 「そうか。良かった。ご苦労」  柚葉が見ていた景色は真っ暗闇の森とその向こうに広がる街の灯り。 「これからは毎年お正月を二回しようね。柚葉が待っててくれたのと同じだけ人間のお正月もしようね」 「……何を泣いて……ああ、うん。そうしよう。俺達の正月は二回だな。贅沢だ」  鍋に向かう柚葉の背中に抱きついて言えば、ふぅっと短い溜め息と同時に出汁の味を確認しながら 「寂しくなかったと言えば、まあ、嘘になるが……紫苑が無事だと飛影から聞くのが何より嬉しかった」  と呟き、俺は抱きしめる腕に更に力を込めた。 「……だからな、紫苑。泣き止んでくれ。お前が泣くと俺が朱殷にボコられる」 「あ、それは……ヤバい」  慌てて離れて、滲み出した涙を押さえる。擦ると赤くなって泣いたのが余計に目立つと何か本で読んだのかテレビで見たのか……とりあえず擦らずに、を心がけて柚葉が朱殷にボコられない事を祈った。 「んんーっ、はなちゃんのとはまた違って! んんーっ、おひゃ、こりゃおいひいん」 「だから、餅を伸ばしたまま喋らない!」  ぺちんと額を叩いた柚葉に、肩を竦めながら箸はしっかり持ったまま額に手を当てる朱殷の見慣れたやり取りに俺と白群もまたかって感じで目だけで笑う。  俺にとっては出会った時からこの調子だったから、なんの疑問も抱いてはいなかったけど、さっきの柚葉の記憶……あの柚葉を見てしまえば、以前縹が顔真似してくれた眉間に縦皺を刻んだ柚葉でいた時間の方が長いのだろうと思う。 「気にするな。昔の事だ。もう違う」 「うん」 「んー……よう解らんけど、長、お代わりっ」  首を傾げて俺達のやり取りを聞いていた朱殷は、考えるのをやめたのか、ずいっと柚葉の前に空になったお椀を差し出した。 「鍋に作り置きしてあるから、自分でよそって来い」 「お餅は?」 「自分で焼け」 「んなーっ!」  朱殷ってすごい。お正月には不似合いなしんみりとしかけた空間をたった一言で一気に変えてしまった。 「お餅の入ってないお雑煮なんて、お揚げの入ってないおうどんじゃ……お餅の入ってないお雑煮なんて、お肉の入ってないすき焼きじゃ……お餅の入ってな……」 「俺が焼いてあげるよ」  あまりの悲嘆っぷりに声をかけると、ゆるゆると頭を振る。 「大丈夫……ここまで言うたら……」  ぽつりと零れた朱殷の言葉が聞こえていたかは謎だが、ものすごい勢いで白群が立ち上がった。 「安心しろ朱殷! 俺が焼いてやる! いくつだ? 餅はいくつだ? お前を飢えさせるなんて俺はできねぇ!!」 「ん。三つ」 「待ってろ!」  空のお椀を掴んで、風のように走り去った白群を朱殷は春先の花のように可愛らしい笑みを浮かべて見送った。 「うわぁー」 「さすがというか、なんというか。しっかり尻に敷いてるな?」 「失礼なん。愛なん。長だって紫苑が望めばなんであれ叶えたいと思うじゃろ? 私だって辰臣が心から望むものがあればどんな手を使うても手に入れてみせるん。今はな、甘えとるんよ。それは辰臣も解ってノってくれとるん。そういう相手がおるって、幸せな事じゃろ?」  最後の疑問系は視線ごと俺に投げられた。穏やかな朱殷の視線を受け止めた後、自然と俺は柚葉に視線を定めた。 「……そう、だね。柚葉がいなかったら俺の幸せ、成り立たないや」  ふわりと満足気な柚葉の気が俺を包み込んで、揃いの指輪の石がキラリと光った。

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