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第六十話 森を見て何想う
「私も乗るん!」
という朱殷 の一言で、天翔 の首に近い所に俺と優希が並んで座り、俺の背後には柚葉 、優希の後ろには朱殷が陣取った。
「たっかーい! 森ってこんなに広かったんだ!」
「ね! すごいよね! 柚葉の森だよ!」
「紫苑 の為だったんだから、紫苑の森だろう?」
「んなの、もう、らぶらぶの森で良いん!」
キッチンを偵察に行った飛影 からの報告では、白群 と縹 はとても美味しそうな鍋を作ってくれているという。
「昨日もらったのがまだたくさんあるのに」
「あれはダメだ。優希が食べられない」
「え? なんで? 美味しかったよ?」
煮物も薄味だけどしっかり味がしみてて美味しかったし、天麩羅も衣サクサクだったし。
海老とくりきんとんは飛影と絢風 のお宝になっちゃうくらい絶品だったんだけど。
「あれらは鬼国の食材で作った物だ。霊気が宿る。優希よ、お前、いわゆるオバケの類を見られるようになりたいか?」
「いっ!? オバケ!? 絶対に嫌だ! ムリムリムリムリ!」
「長 ? 私もオバケの類なのでは?」
ゆったりと羽ばたいて裏庭の結界ギリギリまで上昇した天翔が弾んだ声で柚葉に問う。柚葉は低く唸ると、まあな、と答えた。
「でも、天翔怖くないよ? 触れるし、あったかいし、喋るし」
幽霊の類は冷たくて無言で触れられないと思っている優希は心底不思議そうな顔をして柚葉を振り返った。
「なんと説明すれば良いのかな」
「ん〜……難しいん。長く長く生きて、生と死の境界を超えた存在なんが天翔やら飛影やらで。恨みつらみ残して死んだ念の塊が幽霊と呼ばれる類とでも言おうか……」
「じゃあ天翔死んでない?」
「そうですね。死んだ記憶はありませんよ? どうにも死なないなぁ、とは思っていましたが」
「じゃあオバケじゃないじゃん」
「ええ。オバケじゃありませんね」
良かったね! と天翔の深い首元の毛に手を差し込んだ優希は
「絢風も? オバケじゃないよね?」
と並んで飛ぶ絢風に向かって声を張り上げた。
「はいっ! 違いますよ!」
「ここに使い魔として存在しているものは皆、長生き記録更新中なのだ!」
敬うのだぞ! と言って飛影はすぅっと優希の頭に降りて休憩を始めてしまった。
「絢風も疲れたなら、ここにおいで!」
少し身体をずらして、絢風が収まれるだけの場所を確保して声をかけた。柚葉に預けた背中があったかい。
「はいっ! 紫苑様。でも楽しいので、あともう少し。もう少しだけ……ダメですか?」
「ムリしてないなら良いよ。疲れたらいつでもおいで! 天翔も許してくれるよ……ね?」
「もちろんでございます! いつでも羽を休めにおいでなさいませ」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
楽しくてなりません、と翼をはためかせる絢風は無意識だろうけど周囲の空気をキラキラと輝かせてくれて、見ている俺達も楽しませてくれる。
「絢風? 本当に大丈夫?」
「はいっ! 長 が私の為に結界を張り直してくださったので、より心地良いのです」
「じゃからこんなにも空気が輝くんじゃな! さすがは長なん」
「やっぱり神様ってすごい?」
「長は桁違いじゃな」
「お兄ちゃんも?」
「紫苑は私らにないものを持っとるんよ。それはとても強いん……優希も」
持っとるんよ……と囁いた朱殷の声は優希に届いただろうか。
優希は背後から包むように巻かれた結界の紐に安心しきって、身を乗り出して景色と絢風が飛ぶ姿を楽しんでいる。
飛影はいつの間にか優希に着せたダウンジャケットの胸元に潜り込んでいて、ぬくぬくしながら森の案内をしてくれている。
柚葉の森をこうして見るのは初めてだから、飛影の解説は俺にとってもありがたかった。
リスやモモンガがいる事や、野イチゴが実る事も知らなかった。
そう言うと飛影は俺と優希を交互に見た後にショボっと首を竦めた。
「今は眠っているから、会わせてはやれぬのだ……残念」
「あ、そっか……冬だもんね。飛ぶとこ、見たかったなぁ」
「知らんのか?」
あまりに残念そうな様子の優希に声をかけた柚葉は、何がそんなに残念なのかピンときていないようだ。
「そりゃ動物園とかテレビとか図鑑とかでなら見た事あるけど! 野生のモモンガなんて超貴重だよ!」
「そうか」
「住む場所が、ね」
人間が切り拓いて便利にした野山で、一体幾つの生命が不便を被って追いやられてしまったのか。
実際、日本に住む翳狼の仲間は滅んでしまった。
そう思うと、申し訳ないし、とてもつらい。
「一人でもそのように感じてくれる人間がいれば、無駄じゃない。きっと今後に活かされる」
「……だと良いな」
なかった事にはできないから、せめて……胸の奥で想う事だけ。それだけは、できる。
せっかくの眺めを楽しんでいる優希の邪魔にならないように、口を噤んでぎゅっと柚葉の手を握りしめた。
「そろそろ身体の芯まで冷えてきたん」
「お茶にするか」
「やった!」
「天翔、ほんなら降りて?」
「御意」
最後に、とぐるりと回ってゆっくりと着地した天翔は結界紐を解かれる間、身動き一つせず、背中に乗ったままの俺達を充分に気遣い、優希に乗り心地はどうだったか? 景色は楽しめたか? と丁寧な口調で聞いてくれて、次があればもっと遠く高い所を飛びましょう、と約束までしてくれた。
「神様、お兄ちゃん、良い?」
「俺は良いけど」
「次は遠出するか。朱殷、来年も天翔を貸してくれ」
「ならなら、私も行くん! あったかいトコがええなぁ〜。南国じゃな!」
寒さに赤くなった指先を見つめて、ほぅっと息を吹きかけつつ朱殷が言うと、優希の胸元から首を伸ばした飛影が異を唱えた。
「何を仰る、朱殷殿。宿は北。温泉は露天が良かろう。そこで雪見風呂。そして美味しい食事に美味しいお酒。これが日本の心だと思うのだ」
「飛影、演歌っぽい」
「なっ! 優希はまだヒョッ子だから、温泉の素晴らしさが解らんのだ。まったく、嘆かわしい」
「次に会う時はもっと大人だよー!」
「むむむっ! 生意気なっ!」
「あー、もう。寒いから早く入ろうよぉ! 優希が風邪引いたらどうすんの?」
林檎みたいに真っ赤になった優希の頰を両手で挟んで、少しでも温めようとする俺を背後から包み込んで、同じように頰を撫で回す柚葉。優希は俺と柚葉を見つめて、プッと吹き出した。
「お兄ちゃん、心配しすぎ! 神様も!」
「優希よ。二人はアッチッチなのだから、言ってはならんのだ」
普段はもっと過激だ、と優希に告げた飛影は急にギクリと目を丸くして、そそくさと優希のダウンジャケットの中にスッポリと隠れてしまった。
「ぷっ! あははっ! 神様ひどい顔してる! 飛影の事、睨みすぎだよ!」
「いやぁ、睨んでなんか。ただ、ずいぶんと、まぁ、よく喋る口だなぁ、と思ったまでだ」
鷹揚に答えた柚葉の言葉の端々に険を感じる。
「良いじゃん。俺は嬉しいよ? ちゃんと神様は俺のお願い聞いてくれてるんだなぁって、なんか、うん。安心したし! お兄ちゃん! お茶飲みたい。鬼火っていうの? あれ、また見せてくれる?」
あれ、カッコ良いんだよね〜とのんきに呟く優希に早く戻ろうと手を引かれる。俺が抱き上げて運べば良いんだろうけど、俺は柚葉を呼んだ。
「運んで? 俺と優希」
「良いよ」
俺の甘えをあっさり見抜いてニッと上がった唇。すぐに伸びてくる逞しい腕。
優希の身体に片腕を回して抱き留めると、柚葉の首に腕をかけた。柚葉は俺達二人を包むと、軽く跳び上がり、目測を誤る事なく五階へと着地した。
「すげー! 神様すげー!」
「さすが柚葉!」
「二人とも軽いからな。お前達も早く上がって来いよ!」
絢風を触ろうと、そろりと手を伸ばしていた朱殷が慌ててその手を引っ込めて、何もなかったかのように手を振っている。
見られていたバツの悪さはしっかりと感じているみたいで、なんだかおかしかった。
「早く行こ!」
柚葉の腕にぶら下がって笑っている優希の背中をポンと叩いて、一足先にキッチンへ向かう。
「あ、待ってよ! お兄ちゃん、鬼火見せてくれるって言った!」
「その前に優希は着ぶくれダルマをどうにかしないとな?」
「これはお兄ちゃんが!」
ぶうたれる優希を宥める柚葉の声が聞こえる。
「紫苑! 優希の服を整えてから連れて行く」
「解った。準備だけして待ってるね!」
くるりと振り返って大声で柚葉を呼んだ。
「柚葉! ありがとね!」
一瞬きょとんとした柚葉が満面の笑みを浮かべて、ちゃんと想いが伝わったのだと知る。
お茶はレディグレイが良い。お茶受けにはクッキー。
でも少しで我慢しないと、白群と縹の鍋が食べられなくなっちゃうな。
朱殷は足りないって言うかも知れないけど、俺としてはスーパーで買って来たクッキーよりも手作りの鍋をワイワイしながら楽しんで食べて欲しいから、朱殷にも我慢してもらわなくちゃ。
優希と過ごせる時間は、まだまだ充分にある。
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