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第五十九話 陽光降る裏庭で

柚葉(ゆずは)から一階と二階の危険性を聞かされた優希はこくりと喉を鳴らすと少し色をなくした顔で素直に頷いた。 「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。今の妖魔のリーダーはしっかりしてるから」 脅しすぎ! と柚葉を軽く睨みつつ、俺の服を離さない優希の頭を撫でてやる。 柚葉からしたら、大袈裟なくらいに話しておかないと俺の二の舞になるんじゃないかと気が気じゃないみたい。 「案ずるな! 私達もいるのだ。例えばったり出会う事があったとしても優希には指一本触れさせはせぬ!」 涙目になっていた優希は小さな飛影(ひかげ)を片手でぎゅっと引き寄せ、胸に抱き込んだ。 「飛影〜もうっ、大好きっ!」 「うむ」 「さっきはごめんね! ホントに大好きっ! 頼りにしてる!」 「うむうむ……むふっ」 「そうやってお兄ちゃんの事も励ましたり、守ったりしてくれたんでしょ? あの、ありがとね」 「んむ? 私達は紫苑(しおん)が大事なのだ。当たり前だろう。その大事な紫苑の弟ならば、私達は優希も守る。これも当たり前なのだ。だから、その、お礼はいらぬ」 飛影は照れているのか視線を宙に彷徨わせて、優希の腕の中でくりんと丸まって器用に片脚で首元をせかせかと掻いた。 「とにかくだ。翳狼(かげろう)の爪と牙は守るためにあるのだし、私や絢風(あやかぜ)はそんな事にならないように森や森の仲間達の声を聞いているのだ。それに屋敷の中は主人(あるじ)の結界がしっかりきっちりガッチリこれでもかという程に張ってあるのだから、優希は安心してここで過ごせば良い」 「でも外に出る時はちゃんと厚着しないとね。風邪引いちゃうから」 「ん。あ、もう外行く?」 食後に柚葉が淹れてくれた俺も大好きな玉露の入った湯呑みを両手で抱えた優希が目を輝かせた。 「楽しい時間は過ぎるのが早いからな。翳狼に乗せてもらうんだろう? 外が暖かいうちに行っておいで」 「神様は? 一緒に行こうよ!」 「いや、俺は……」 「一緒に行こう? 柚葉もいないと楽しくないよね?」 水入らずっていうのにしようと気を回してくれたんでしょ? でも、それじゃあ寂しいよ。 「うん! 神様も一緒! 飛影も絢風もみーんな一緒!」 「翳狼と遊んだ後は、まただるまさんが転んだでもするのだ! きっと楽しいのだ!」 「また?」 「だるまさんが転んだってなんですか?」 そんな事してたの? って笑う優希と、ルールを何度も確認する絢風。 「こ〜ろ〜ん〜だ! の、だ! でピタリと止まれば良いのだ。単純明快なのだ」 「だ! で、ピタッ! ですね?」 「でも……六人かぁ……」 指折り数えて、少し寂しそうな優希の声にやたらと元気な声が重なった。 「少ないん? 私らも交ぜて! 四人おるん!」 「あ、朱殷(しゅあん)! どうしたの?」 「ん。着物をな、取りに来たん。どうせたたみ方も解らんと、ぐしゃっとしとるんじゃろなと思うてな。そうしたら何やら楽しそうな声が聞こえてしもうて……お客様やったんね?」 ひょこっと肩を竦めた朱殷に微笑みかけられた優希は、きちんと頭を下げて自己紹介をした。 「弟! うん、目元がそっくりじゃねぇ。私は朱殷。これが連れ合いって解る? のシンシ……じゃのうて白群(びゃくぐん)。で、私らの使い魔の天翔に……あれ? はなちゃんは? 辰臣(シンシン)、はなちゃんが消えたん!」 (はなだ)を探して来ると部屋を出て行った白群を見送った朱殷は、天翔を見上げて口を開けたままの優希の頭をそっと撫でた。 「大丈夫なん。優しい子じゃから」 「……お姉さんが天翔のご主人様?」 「そうなん。聞いたん?」 「うん。じゃあ、じゃあ、神様の次に偉い人?」 その問いに、んー、と唇を尖らせて考えを巡らせた朱殷は 「神様って(おさ)の事? じゃったら、違うわ。私は長と紫苑の次に偉い人!」 と尖らせたままの唇を指先で軽く叩きながらきっぱりと言い切った。 「お兄ちゃんの次に……」 「朱殷!」 確かに俺の序列は一位だけど、それは柚葉のおかげで得た、いわば棚ボタの一位。 朱殷の言葉にそうだと頷くのは、違う気がする。 「紫苑はまた難しい事考えとるん! せっかく弟が遊びに来てくれとるんに。そんな小難しい顔せんで、遊ぼ!」 「いや、お前は用を済ませて帰れ」 「長ひどいん! 神様なのにひどいん!」 明らかに優希を意識した朱殷のわざとらしい泣き真似に柚葉は微かに舌打ちをして、溜め息をついた。 つん、と優希の手が朱殷の袖を引く。 「お姉さんも、お兄ちゃんをいっぱい助けてくれた人でしょ? さっき何度も名前聞いた。あの、ありがとうございます! これからもお兄ちゃん、助けてください。お願いします!」 「へっ?」 「俺、三年に一回、お兄ちゃんに会えるように神様がしてくれてて。ホントは毎日でも会いたいけど、それじゃダメだから、だから、今しかないから、言わなきゃって……」 「うぅん、これは……なんというか、あれじゃ」 泣き真似をしていたのも忘れて、朱殷はぽっと頬を染めて優希を抱きしめた。 「かっ可愛い! 可愛いとこもそっくりなん! 名前で呼んでも良い? 可愛いなぁ!」 「おね、さ……ぐるじい……」 「離せ、朱殷! 優希が死ぬ!」 朱殷の豊かな胸に顔を埋め込まれて、色んな意味で死んでしまいそうな優希を鮮やかに救出してくれた柚葉は、朱殷の魔の手から守るように優しくそっと優希を胸に抱き込んだ。 「大丈夫か?」 「ん。びっくりしただけ。お姉さん、優しかったよ?」 「はぅわっ! 可愛いっ! ちょ、長! 優希をお寄越しさんせ!」 「誰がやるか、阿呆」 教育上よろしくないと判断した柚葉から優希を受け取って、俺の手袋を貸してあげるついでに少し照れくさいけどアトリエも案内した。 ちゃんと俺はここで大切にされていて、自由に生きているって事を解って欲しかったから。 俺の為に柚葉が揃えてくれたたくさんの色を見て、優希は歓声をあげて 「良かったね! お兄ちゃん!」 と笑顔で手を握ってくれた。 小さな優希にはヒーローや怪獣の絵を描いてあげた事があるくらいで、色もそんなに使わなかったけど、優希は俺が絵を描くのが好きなのだと覚えていてくれたようだ。 だから下描きの絵だって見られても平気。 「あはは! 飛影だ! すっごくキメてるね!」 「うん。このポーズじゃなきゃ嫌だって言い張ったんだよ。もう、モデルの度にプルプルしてたよ」 「なんか解る! だって、飛影の目が! なんか強いもんね! それにしてもお兄ちゃんは本当に神様が好きなんだね。神様も。だってさ、この神様、すんごく優しい顔してお兄ちゃん見てる。俺、絵の事はよく解んないけど、それだけは解るよ?」 真っ直ぐにこちらを見つめ、口元に穏やかな微笑みを浮かべた柚葉の似顔絵。 俺が与えられた色で初めて描きあげた一枚。 描き始めたばかりの頃は目が会う度に照れくさくて恥ずかしくて。でもいつの間にか描く事にのめり込んで、少しでもマトモな柚葉が描きたくて、髪の毛一本にまでこだわって集中して描きあげた絵だ。 「そかな。そんな事……」 「照れちゃって!」 「もう! あったかくして外に行こう? みんな待ってるよ?」 「天翔にも乗れる?」 「それは朱殷に聞いてみなくちゃ」 きっと良いよって言ってくれると思うけど、あくまで天翔の主人は朱殷と白群。俺が勝手に返事なんてできない。 優希に風邪を引かせたくない一心で、手袋の他にマフラーやダウンジャケットまで着込ませた俺をみんなが過保護だと笑った。 「こんなに着込んだら汗掻いちゃうよ〜」 「風呂に入れば良かろうよ?」 「え、誰?」 「縹! どこに消えてたの?」 「いや、昨日持って帰ってもらった酒が気になってのぅ。ちと台所に」 相変わらず一にお酒、二にお酒。今日も俺が飲みやすいだろうお酒をお土産に持参してくれた縹を優希に紹介する。 縹に対しても、ありがとうと頭を下げた優希にゆっくりと手を伸ばした縹は大きな掌で慈しむように優希の頭を撫でてくれた。 「そのままで、おれよ」 「え?」 「いや。さて、ならば儂は夕餉の支度でもしようかの。弟君も召し上がられるのであろうな。ならば、買い出しに行かねばならんか?」 「お外で遊んだ後は、だるまさんが転んだをするのだ。それまでには縹殿も手が空いておられると良いのだが……」 がんばってみよう、と笑いながら答えた縹にとりあえず手を振って、俺達は裏庭に出た。 「さ。どうぞ」 「うわぁ、やっぱりおっきい!」 「落ちないように、と。優希? 毛を掴むと翳狼が痛いから、コレ見える?」 柚葉が編んでくれた紐を手綱代わりに優希に持たせて、俺は背後から優希を包むようにそっと妖力で編んだロープで固定する。 「お兄ちゃんも神様になったんだね」 しみじみと呟いた優希に思わず 「ごめん」 と返した俺を振り返って、優希は首を左右に振りながら 「バチ当てないでね? 俺、ちゃんとお天道様見れるようにがんばるからさ」 と柚葉に聞こえないように囁いて肩を竦めてみせた。 数メートルのジャンプは翳狼にとっては朝飯前。俺と優希を乗せても軽々と跳んで、ものすごいスピードで駆けてくれる。 あわわわ、はわわわ、と大はしゃぎの優希の反応に気を良くしたのか、大銀杏の手前まで全力疾走して目の前の大木を駆け登り、勢いそのままに身を翻して着地するなんて芸当まで披露してくれた。 優希は大きな声で笑って、ジェットコースターみたいだと喜んだ。 「優希! 空を見ろ!」 柚葉の声に揃って顔を上げると、ざあっと空気が揺れた。 白に、黒に、青に、緑に金。 「わぁ! すごい! お兄ちゃん見てる!?」 「見てる! キレイ!」 「やはり、壮観ですね」 小さな飛影を守るように絢風の身体が天翔と飛影の間に割って入ると、宙で大きな輪を描いた飛影は狙いを定めて天翔の頭に停まった。 スケートリンクの上を滑るスケーターのように片脚を後ろへ流してバランスをとり、ポーズをキメておどけてみせる飛影を振り落とさないように呼吸を合わせてくれた天翔の周囲を絢風がぐるぐると旋回する。 まるで舞だ。 「すごい、すごい、すごい! 神様! 俺、絶対忘れたくないよ!」 はふはふと白い息を吐きながら声を張る優希に空から絢風の声が降ってきた。 「大丈夫です! 例え貴方が忘れても私が、私達が覚えていますよ!」 「また森に入ったら思い出せるよ……それに、きっともう魂に刻まれたから。家に帰っても、とても美しいものを見たんだって、(ココ)に残るよ。絶対」 「絶対?」 だと良いな、と呟いた優希は俺の手を取り、胸の前できゅっと握りしめた。 「天翔! お空が終わったら降りてきて! 紫苑と優希を乗せてあげて欲しいん!」 「御意! しかし、もう暫くよろしいですか? 紫苑様」 「もちろん! 楽しんで!」 絢風がみんなと空を飛ぶのは二回目だという事やあまり長くは飛べない事を優希に耳打ちすると、優希も空へ向かって手を振って、いっぱい遊んで! と叫んだ。 「絢風楽しいかなぁ? みんな楽しいと良いなぁ」 「楽しんでるよ。解るんだ」 「あぁ、この時ばかりは私も翼が欲しゅうございます」 「あ、翳狼! 絢風がこっちに来るよ!」 尾羽が地面を掠る程高度を落とした絢風に続いて飛影もやって来た。 「うはぁ! 絢風もなかなかに速いのだ! 待てぇーいっ!」 「待ちま、せんっ!」 ばさりと絢風の羽が空を切ると、飛影との距離がぐっと開き、羽を休めていた天翔がそれを見て大銀杏の木の上でゆったりと羽ばたく。天翔の巻き起こした風が追い風となって飛影をぐんと押し、再び絢風との距離がつまった。 「絢風がんばれー! 飛影もがんばれー!」 翳狼の温かな背で両の拳を振り上げる優希に太陽も味方してくれているみたいだ。まるで桜越しのように柔らかい陽光が裏庭に降り注ぐ。 絢風が戻ったら、少し休憩してから天翔にお願いして空を楽しませてもらおう。 どうか優希が喜んでくれますように。 同じ事を願う柚葉の気に頰を撫でられた気がして、そっと柚葉に視線を投げると、太陽と同じく柔らかな温もりが俺の周囲に漂う。 縁側で朱殷と二人、空を見上げて湯呑みを傾ける柚葉の口元がわずかに上がるのを俺は見逃さなかった。 ちゃんと、俺もありがとうって言わなくちゃ。 ちゃんとみんなに、言わなくちゃね。

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