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第七十二話 解けゆく緊張

 宴はもちろん俺と朱殷(しゅあん)の焼肉の争奪戦。その横で黒緋(くろあけ)さんは遠慮しつつそれでも緊張感は薄らいだ様で、しっかりと取皿に肉や野菜を確保していた。 「出遅れるなよ……まあ、紫苑(しおん)がお前の分も確保してくれるだろうがなぁ」 「えっ!?」  柚葉(ゆずは)の一声に黒緋さんは驚きの声を上げ、ごくりと唾を飲み込んだ。  そう言われれば、俺まだ柚葉の分を確保していなかったなぁと、食欲に負けた自分を少しだけ恥じた。 「二人とも! お皿貸して! 早く!」 「うふふ、その隙に……」 「しゅあーん?」    白群(びゃくぐん)の一声でぴくりと箸を止め、声の主を振り返った朱殷の隙をついて、俺は二人のお皿に大急ぎで食べ頃の肉を盛って渡したが、すぐに朱殷の悲鳴に近い絶望感に満たされた声が鼓膜を揺らした。 「私の育てとったお肉がないん! いつの間に! 紫苑、侮れぬ……」 「俺の口に入ったが、何か文句があるか?」 「んんぅ、お、(おさ)のお口に入ったんなら……そんなん文句言われんのん!」 「ごめんね、朱殷、すぐ次の焼くから待ってね」 「繋ぎでこれ食え。美味いぞ。酒にも合う」  白群が配ったのは鶏肉と牛蒡(ごぼう)を細切りにして揚げた物を湯掻いた空豆と合わせて甘酢で和えた物。それを見た瞬間、朱殷の目が輝く。 「これ好きなん! 紫苑、食べた事ある? 白ご飯にも合うしな? はなちゃんのお酒にも合うん! 私の大好物なん!」  興奮気味の朱殷は小鉢を片手に、目を輝かせたまま俺が渡された小鉢に箸をつけるのを待っていた。  あまりの迫力に肉を焼く手を止めて、摘みやすい棒状の鶏肉を口に含んだ。途端に口内に広がる甘酢の酸味と鶏肉の柔らかさに思わず言葉を失った。 「美味しい!」 「じゃろ! 辰臣(シンシン)の作るコレは天下一なん!」  俺は無言で何度も首を振り、朱殷の為の肉を焼くのも忘れて渡された小鉢を一瞬で空にしてしまった。 「紫苑、お代わりいるか?」  白群の声に反射的に頷いた俺を見て、彼は呵々大笑し再びキッチンへと消えた。   「黒緋も! お代わり要るんやったら一緒に行って! 辰臣に何往復もさせんといて!」 「は、はい! 食べ終わりましたら必ずや、お代わりいただきます!」 「んふー、美味しいじゃろ? うんうん」 「場所も存じておりますので、お代わりは自らいただきに参りますので、副統領はお食事を進めていただきたく!」 「うんうん、その時はなちゃんも呼んできて欲しいん」  満足そうな朱殷と、小鉢と口の間で忙しなく箸を往復させる黒緋さんの表情の対比は正直言って笑えるものだったけれど、俺はどうしたものかと立って待っている白群に申し訳ないと思いつつも朱殷の為に肉を網に乗せた。  じゅうう! と耳に楽しい音と共に途端に生唾が湧いてくる良い匂いが煙と同時に立ち上がった。 「あ、しおーん! ありがとう! 黒緋もおるし、ちょっと控えるね……黒緋、食べとるー?」 「いいいいいいただいております! とても美味しいです!」  そう言う黒緋さんは、さっきとは違い緊張は抜けきらないけれど、柔らかな表情(カオ)をして箸を動かしていた。 「紫苑、私はタンが食べたいのだ! ぜひとも焼いて欲しいのだ! 翳狼(かげろう)達はいつもの感じでお願いなのだ!」 「了解! 飛影(ひかげ)は塩は大丈夫だったよね?」 「もちろんなのだ! 私なのだぞ!?」 「ぷぷっ、解ったよ。待っててね」  嬉しそうに翼を広げて、嘆願成就をアピールしながらテチテチと飛影は使い魔達の席へと戻って行った。相変わらず左右に揺れる尻尾は可愛らしくもあり、可笑しくもあり、だ。おねだりされたタンは早く火が通るし、翳狼と天翔なら生肉でも喜んでくれるだろう。おねだりを山盛りに叶えてあげよう。そう思って広げた肉を裏返そうと取り箸に手を伸ばとした時、細く綺麗な手が取り箸を俺より早く手に取って、贅沢に厚めに切ってあるカルビやハラミを返し始めた。 「私かてお肉焼けるん!」 「ありがと、朱殷」 「……ん。あの子達にもいーっぱい食べて欲しいん」  焦げたら美味しゅうないもんな! なんて照れ隠しなのかゴニョゴニョ言いながら、朱殷は網いっぱいの肉を全て返すと網をずぅっと見つめていた。 「鬼火も上から足そか? その方が早く焼ける……ん?」  朱殷はさっきの代表・飛影からのおねだりをかなり気に掛けているようだった。 「止めとけ、朱殷。お前がやったら全部炭になる」 「なん! ちょ、辰臣! ちゃんとできるん……た、多分……でき、る……」  朱殷の頭をくしゃくしゃと撫でると、白群は部屋中を周り空いた皿を手早く盆に載せると部屋を出た。そんな白群を追いかけるように黒緋さんがあんかけの入っていた皿を持って、少し楽し気に早足で消えた。    和らいだ第二の宴会では色んな表情(カオ)が見れる場になった。現に…… 「ちゃんとできるはずじゃもん……でも、このお肉お高かったんじゃろし、失敗したら辰臣に怒られ、る?」  しょんぼりしつつ、掌を見つめて唸る朱殷がいる。ここまで悩む朱殷を見るのは初めてだ。  いつもの彼女なら即断即決即行動のはずなのに。早く使い魔達のお願いを叶えてあげたい想いと、今日の日の為に白群が選びに選んだ食材をダメにしたくないという考えで揺れている姿は可愛らしいなと思う。  緊張の解け始めた黒緋さんの見せる柔らかな雰囲気も嬉しくなる。トランプ大会の時は笑ってくれたら良いな、なんて思う。 「焼けたよ、朱殷。お皿に取っちゃって! 俺はタン広げるからよろしくね!」 「あや、焼けてもうた。ん、長にも持っていかないけんけど、とりあえずはお皿に避難じゃな!」  嬉しそうに一回り大きな皿に手早く肉を取る朱殷とタイミングを合わせてタンを置いていく。まるでテレビで見た事がある餅つきみたいだと思っていたら、笑いを含んだ柚葉の声が聞こえてきた。 「お前ら、息ピッタリだな」 「柚葉も手伝ってよぉ!」 「紫苑よ、さすがに長を動かすのはいかんと思うぞ。ほれ、新しい酒を持って来たぞ。杏と金柑を混ぜてみた果実酒じゃ」 「あ、はなちゃん! せっかく来てくれたんじゃから、お肉食べてって! 長と食べてって」 「おや、長はお一人か。ならばお供しよう」 「争奪戦を見るのも楽しくてな。ま、取り箸も持たせてもらえんしな」  くつくつと笑いながら答える柚葉に応えながら隣に腰を下ろした縹は、さっき網から上げたばかりの皿を朱殷から受け取った。 「長よ、良き宴となりましたな?」 「まあな。黒緋がこの騒がしさに慣れて、満腹になれば良し、そしてお前の酒を堪能できるならばなお良し、だ」 「まだ少々の緊張は見えますがな……この面子の雰囲気、慣れてしまえばあっという間でしょう」  二人が話していると小鉢を持った黒緋さんが部屋に入った途端、縹が片手を挙げてひょいひょいと揺らして呼びつけた。  黒緋さんは一瞬驚いた顔をしたけれど、朱殷も笑顔で手招きしているので素直に今まで座っていた隅っこの席ではなく、こちらへやって来た。そしてしばらく逡巡してから縹の横に少し間を空けてちょこんと座った。 「黒緋もお肉食べて! これからタンが焼けるん!」 「は、はい! ぜ、贅沢……贅沢、ここに極まれりです!」  確かに少し緊張しているみたい。小鉢を持つ手が微かに震えているけれど……?  (はなだ)が差し出したお酒を恭しく受け取った黒緋さんは朱殷に急かされてハラミを口の中に放り込んだ。目を閉じて、行儀良く咀嚼して。縹の酒を傾ける黒緋さんから流れ出す雰囲気は、床に正座をして沙汰を待っていた時とは大違いだ。 「黒緋、もっと寛げ、肩が凝る」    柚葉の小言に黒緋さんは箸を止め、至極まじめな声で答えた。 「我が身の非から、皆様の寛大なお心を受け、そして何故か長と同じ卓に並ばせていただいておるのです。く、寛いではおるはずですが……緊張はします!」 「それはそうじゃなあ。儂でも同じ立場なら同じようになるだろうて」  縹の助け舟のような言葉に黒緋さんは大きく頷いた。それに咄嗟に本音を洩らしたのは朱殷。 「んでも、ご飯じゃし。楽しまんと損なん!」 「ま、これも正論よの」  からりと笑う縹は手酌で自分の盃に酒をとくとくと注ぐと、クイっと傾けた。俺もあんな風に飲めたらオトナな感じを味わえるのかなぁ、なんて呑気な事を考えながら焼き上がったタンを平皿にどんどん乗せていった。 「よっし、第一弾はこのくらいかな? 俺、ちょっと飛影達の所に持って行ってくるね」 「ん。ほんなら……長、カルビ食べる? はなちゃんのお酒にはどれが合うじゃろか? 黒緋も食べたいお肉があるんなら、早う言わんとなくなるんよ?」 「俺はレモン塩」 「はいはい、紫苑と一緒ならなんでもええ、じゃな。んで、二人は?」 「はい、同じくよろしくお願いいたします!」  聞き慣れた柚葉と朱殷の掛け合いに吹き出しそうになりながら、飛影達の前に山盛りの焼きたてのタンを置く。そして飛影に一言。 「みんな味付けしてないから、飛影は……」 「大丈夫なのだ。ここにはタレも薬味も全て準備していただいておるのでな! 私好みの味付けで楽しむとするのだ!」    片翼をゆっくりと広げ、胸を張ってみせた飛影に安心して、再び焼肉奉行に戻る事にした。

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