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第七十一話 終わらぬ宴
いわゆる下座といわれる場所で、俺と同じ様な表情 でゆずは 柚葉を見つめる黒緋 さんの肩をポンと叩いて縹 が彼の横をするりと抜けてキッチンへと消えた。
これはきっと、栗きんとんにも合うお酒の登場だと俺は内心ワクワクしていた……のだけれど、黒緋さんは呆けたままだ。
「楽しみですね、黒緋さん! 栗きんとんに合うお酒ってどんなだろう? 果実酒かな?」
「磨き上げた大吟醸かもしれんぞ? 冷酒だときっと合うぞ」
弾む声の柚葉も楽し気に声を上げ、俺の髪を梳く。
「果実酒なら柑橘系が良いん!」
朱殷 の主張に同時に相槌を打った白群 と飛影 飛影は目の前の栗きんとんを見つめて生唾を飲む。
「縹、まだかな?」
「お口の中がヨダレで溢れそうなのだ!」
「飛影、それはどうかと……」
はしゃぐ飛影を落ち着かせようとする綾風 の声は届いていないようだ。飛影は絢風もそうであろう? と巻き込もうとしている。
絢風は素直に頷いてじぃっと栗きんとんを見つめた。
「また黒緋殿とお会いできたうえに、こんなに美味しいお菓子。嬉しいです!」
「そうなのだ、黒緋殿! 紫苑 も満足、みんな嬉しいとはなんともありがたいのだ」
「ありがたく思うは我が身の方でございます。皆様の温情、痛い程この身に刻み……」
胸に当てた手に力を込めた黒緋さんが……。俺は隣の柚葉の脇を突いた。目が合った一瞬で悟ってくれたようで、柚葉
が黒緋さんに側へ来る様に命じた。
恐る恐るといった感じで目の前に座った黒緋さんの大きな身体が小さく見える。
「黒緋、お前、辛気くさい。鬼のくせに泣くな、阿呆」
……そう。視えた、んだ。
「は、はい? 泣いてなどおりませんが……」
……不甲斐なさに悔し涙を流して、朱殷に頭をぽんぽんされる黒緋さんが。
「先見を舐めるなよ?」
「ぐ……」
「紫苑のだぞ?」
「なんと……」
言葉を詰まらせた黒緋さんに、つい夕食での事を言ってしまった。食べてないでしょ、って。
気が気じゃなくて、俺の事が心配で、箸が思う様に進んでいなかった事――俺、気付いてたんだよ。だから――。
「栗きんとんとお酒で楽しんだ後は、食べ直ししましょ? 黒朱さん!」
「へ……食べ、なお、し?」
「そうだなぁ。さっき見ての通り、大食い揃いだ。第二幕が始まってもそれはそれ。皆してまた楽しむだけだろうな。俺の所へ来て腹を減らして帰られたのでは、俺の名折れだ」
「なん? なん? またご飯、食べて良いん!? 順番的には宴会第二弾の〆に栗きんとんとお茶々よ!」
小走りに寄って来た朱殷は嬉しそうな声をあげると、座っている黒緋さんに抱きついた。
「やったな、黒緋! またご飯が食べれるん! 次は何にしよ? 聞いてこよ! 黒緋もいっぱい食べるんよ? 長 の顔に泥は塗れんのん!」
「私、生肉さえあれば……うふふ」
バッサバサと翳狼 が尾を振る。そんな姿を柚葉は愛おしそうに見つめて、再度、黒緋さんに今度こそしっかり寛ぐようにと念押しの命を下した。
黒緋さんは申し訳なさそうに足を崩した。
「ああ、これでやっと俺も気が抜ける」
冗談めかして言う柚葉と、その言葉にピクリと肩を揺らす黒緋さんを笑いながら揺らす朱殷。
いつもの空間が戻って来た様で、俺もついにやけてしまう。
「長の酒宴は楽しくねぇとな! おい、黒緋、次は何が食いたい? 当然、手伝ってもらうけど、ご要望にはお応えするぜ?」
「辰臣 とはなちゃんが指南したら完璧なん! ほれ、黒緋、何食べる?」
「え、と……甘味の後ですし……」
「腹ごなしに遊ぶのもアリなのだ!」
「ええ? だるまさんが転んだ、ですか? 飛影殿」
「んー、頭数もおるしそれもええけど、黒緋は鬼国におらんから知っとるじゃろ、トランプじゃろ! トランプにしよ! そしたら楽しめる人が増えるん!」
手を叩いて喜ぶ朱殷には黒緋さんも何も言えないようで、ただ聞きなれない単語に首を傾げつつ苦笑いを浮かべていた。
俺は……みんなが楽しかったらそれが一番かなって思う。
何気ない会話も、食事も。例えそれが、重苦しい話の後だったとしても、だ。
「朱殷と飛影に任せておけばいいよ。あの腑に落ちていない顔も笑顔になるさ」
そう耳元で囁いた柚葉の声には確信が込められていた。それなら絶対大丈夫。俺は無言で頷いて、縹特製の木苺の果実酒の水割りの更に水割りの入ったグラスに唇を寄せた。
「朱殷様、あの、とらんぷ、とはなんでございましょう?」
「あ、知らんかった? そか、ずぅっとお山の中じゃもんな。西洋の……花札みたいな……でも花札と違っていーっぱい遊び方があるん! 私もまだ全部は把握してないんじゃけどな、簡単なのからよう解らんのまで、本当にたーくさん、あるん! 一緒にやろ?」
「お、お言葉に甘えて……」
「やった!」
「ならば今回は私が黒緋殿の助太刀をせねばならぬと思うのだ」
うんうん、と黒緋さんを置いて話を進める二人を柚葉は笑いながら見ている。
黒緋さんは間であたふたしつつ、縹から酒も勧められた上に、白群からは早く手伝いにこいよ、と言われてあたふたが最高潮に達した様だった。救いを求めるような視線が飛んできた。
助け船……を出す前に柚葉がぐっとこれ以上は無理だろうってくらいに引き寄せて来たので、黙っておけ、と言う事だろうと、我ながら不細工だなぁと思う慣れない微笑みってやつをがんばってみた。
「ん。それももったいないくらいだけど、許そうか。でないと黒緋の気が枯れ果ててしまうかもしれないし」
少し子供染みた柚葉に吹き出しそうになった俺の肩に顎を乗せて言う声は、やはりちょっとだけ拗ねた音を滲ませていた。
あらら、と半笑いで揶揄い顔の朱殷と真逆の顔をしているのは黒緋さんだ。
俺にとっては普通なんだけど、ここまで肩の力を抜いて、長ではなくただ一人の男として酒に酔い甘える姿を見るのは初めてなのだろう。
「長が……」
「いつものことなん! 気にしたら負けじゃ! ほれ、早う宴会第二弾の準備しよ! 辰臣、何作るーん?」
「とりあえず、生肉組の為にタタキー!」
キッチンから聞こえてきた白群の大声に朱殷はにんまりと笑い、黒緋さんの手を取って
「おっつまみ増えた! お肉お肉! はなちゃんにお酒のおねだりして来よぅっと。おっ肉におっ酒!」
と囃し立てながらキッチンへと向かった。
「白群殿達は我ら用と皆様用で同じタタキでも作りを変えて下さるお心配りがありがたいのです」
尻尾を揺らす翳狼がぽつりと洩らす。
「そうだっけ? あれ? そういえば……」
使い魔の皆に出される炙りやタタキに添えのスライスオニオンを見た事がない気がする。野菜はレタスや人参が彩として使われているのは同じだけれど、俺達にはそこに更にスライスオニオンやおろし生姜が添えてあるのが常だ。
「あー、めっちゃありがたいね。お礼、言わなきゃだよ」
既にこの世のモノではないというのに、万が一を考えて刺激物や普通に生きていれば危険だとされる食べ物を意図的に避けてくれるのはありがたいし、彼らも天翔 が大切で可愛くてしかたがないって事だと思うと胸の奥がぽかぽかする。
「お礼、かぁ……ま、次に来た時に何か菓子でも渡そうか? 買い物……いや、デートしよう。年末年始に、この前の高野に、なんのかんのバタバタしてたからなぁ。俺は紫苑とデートしたいなぁ」
……そりゃ、行きたいけども。
思い出されるのはやっぱり初デート! あんな事またされたら、嬉し恥ずかしで茹で蛸になっちゃうよ!
「何が悪いんだ?」
なんて横で不満を隠さない柚葉には約束してもらわなきゃ。
いくら記憶が消せるからって、人間界での超絶独占欲剥き出しは嬉しいけど禁止!
「んー、時と場合によるかな?」
「そんなの、記憶操作の術に自信があったら確実に俺の方がたくさんの人の記憶消しちゃうの確定だよ」
カフェで、セレクトショップで、柚葉に熱い視線を送っていた女性達の多さと言ったら! そんな事を言葉にして伝えたら確実に柚葉は俺の方がどうのって言ってくると思うけど……これが双方の自認の違いってやつなのかなぁ?
些細なことで唸る俺とは反して柚葉は縹の熱燗を手酌しながら鼻歌を刻むくらいにはご機嫌だ。
「人の世の流行はわからないけれど、紫苑に似合う物なら解るぞ」
「俺だってそうだかんね? 柚葉に似合う物はドンピシャで選んじゃうからね!」
「あらら、とてもお邪魔したいんじゃけど、やっぱりお邪魔虫なんじゃろな。紫苑に似合うお洋服を見繕って、休憩でパフェ食べて、また違うお店にお洋服見に行きたいん……」
黒緋さんをキッチンにいる二人に引き渡して帰って来たらしい朱殷がおずおずと部屋の入り口から声をかけてきた。
うーん、この場合、必ず白群も一緒なわけで……となると、視聴率がね? とか考えちゃう俺っておかしいのかな?
朱殷が現世に買い物に出るのはお正月だけじゃないし、慣れているとは思うけど……あれ? やっぱり俺の感覚がまだまだ人間の時から変わってない証拠なのかな? この辺りの感覚の差異にまだ自分は境界が曖昧なんだろうなと認識してしまう。
「俺は構わんぞ。ただ見繕うだけにしろよ? さて、縹は人間界に出てくれるかな……でないと礼ができんからなぁ」
朱殷の視線が柚葉の横にいる俺に視線を飛ばす。真っ直ぐに見つめて来る目は俺の意思を問うている。
俺は朱殷達と行った台湾旅行を思い出した。あっさりと俺を受け入れてくれて、そして適度な距離感で接してくれた事、一緒に目一杯楽しんだ事……。まるで家族旅行みたいでとても嬉しくて楽しかったんだ。また行きたいなって思っていたのは本当だし。となると、もうこの際……本当に最終手段、記憶消去の術をかけてしまおう……
「解った! 一緒に行こう。あ、平日の昼が良いな」
「ホント? 紫苑、ご一緒して良いん? 紫苑のお洋服も選んで良いん?」
身を乗り出して聞く朱殷に俺はつい笑ってしまう。そして頷く。
「可愛いのじゃなくて、カッコいいのにしてね?」
途端に朱殷の目がキラキラと輝き出す。前のめりになったまま何度も頷く様子は可愛らしいとさえ思う。それでも今は開いているお店はないし、何より今頃キッチンで右往左往しているだろう黒緋さんが気がかりだし。
「いつ行くかはまた今度決めようよ。今日はあれでしょ? 今からお食事第二弾して、おつまみ摘みながらトランプして遊ぶんでしょ?」
「ん。楽しみなん。紫苑、入る?」
朱殷は自分の胃の辺りを撫でながら聞いてくる。当然俺はニッと笑って頷く。食欲旺盛恐らく成長期! ありがとう、成長期! 幾らでも食べられるに決まっている。
いっぱい食べれる、と言い合う俺達を見て、笑いながら柚葉が肩に顎を乗せトランプ遊びも考えておけよ、と告げる。朱殷は小さく、あ、と声を上げた。どうやら頭の中はこれから運ばれて来る第二弾でいっぱいだった様だ。
「そ、そうじゃった……何して遊ぼう? 大人数でできる遊びは何じゃろか?」
目線を天井に向けて唸る朱殷と彼女をおもしろそうに見守る柚葉の気配に毎回安心してしまう。俺達の前でだけ見せてくれる柚葉の甘えた感情も表情も、朱殷のいつも前向きで場を明るくしてくれる彼女の存在やいざという時の一言を的確にくれる白群や縹の存在は俺の欲しかったもので、大切にしたいと思う。
その中に、黒緋さんも加わってくれたなら?
きっと俺は……嬉しくて大歓迎だと思う。柚葉はどう思うか解らないけれど、上位の日本全国に散らばっている鬼神の皆とはできれば仲良くしたいなと思う。
以前縹に言われたように、まだ行った事のない場所ばかりで、絵を描けたら……きっとその時、会う事になるのだろうし、親密、とまではいかなくても仲良くできたら、俺は最高に嬉しいと思う。
「紫苑に酷い扱いをするヤツなぞ、貴国へ返してしまえばいい」
思考が伝わった柚葉が耳元で囁く。
「ゆーずーはー? 物騒禁止だからね?」
「そんなの、時と場合と俺と朱殷の判断だろ? 俺達は序列を守り紫苑に対して敬意を払わない者はどれだけ強かろうと規律を無視した者として排除する事に躊躇いはないが?」
「俺、日本各地を守ってる鬼神さん達に会った事ないからなぁ……でもさ? ちょっと気に食わないぞって人っているもんじゃない? それが例え俺だったとしてもそれはそれ、ちゃんと守護の仕事ができていたら良いんじゃないの?」
序列や規律が大切なのは理解できるけれど、そんなに簡単にお払い箱にするってどうなんだろう? と思って柚葉のこめかみに自分の頭を寄せる。
クラスの中にだって気が合わない人や、何故か疎遠になってしまうグループだっている。でもそういう人達が問題を起こさない限りは先生達だって定額や退学にはしない。
「紫苑を認めない時点で死に値する様なものさ」
軽い口調で言い放った柚葉の気は変わらず穏やかなままだ。それだけで本気だと伝わって来る柚葉の声音だった。そんな中で俺は再び鬼神と規律の強さを考える。
そうだ、俺達の世界は弱肉強食で頭領の言う事が絶対だ。
真剣に考える程に尖ってしまった唇を柚葉の人差し指が押し返す。同時に朱殷が先頭を切って部屋に入ってきた。
「第二弾はな、んふふ、お肉祭りなん!」
朱殷が持っている皿には山盛りの野菜が盛られ、次ぐ白群が持つ皿にはタタキが乗っていた。
「さ、今度こそはち切れんばかりに食べますぞ、黒緋殿!」
嬉しさでゆらゆら身体を揺らしている飛影の呼び掛けに、黒緋はつられて頷いた。
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