63 / 71
第六十三話 餡ころ餅と苺大福
優希をベッドに寝かせ、髪を撫でて別れを惜しんでいると柚葉 に名を呼ばれた。
「もう帰る?」
長居は無用だ。ココ――この家は空気が痛い。
「ん、見てみろ。紫苑 の写真がある」
「え!?」
勉強机の端っこ。
シンプルな写真立てに収まった優希の入学式の記念にと父親に言われて撮った、違うのはネクタイの色だけで同じ制服を着た写真。
「優希の制服、新品でちょっと大きいね」
「ははっ、紫苑の服の裾を掴んでるぞ」
「ホントだ!」
じっと写真を見つめていた柚葉は何かを迷っているようだった。どうしたの? と目で問えば、写真はすごいなと返ってきた。
「こうして、本当に残るんだな……紫苑もあるんじゃないのか? 同じ写真。同じじゃなくても持って帰っても良いんだよ?」
「……ううん、要らない。前も言ったでしょ。忘れたくない思い出はちゃんと記憶にあるから、大丈夫。それにさ、俺はこれからも優希に会える。写真の中で止まったままの優希じゃなくて、大人になっていく優希に会えるから。あとね、写真は残るけど永遠じゃないんだよ? いつかこの写真だって色褪せていくし、データが消えてしまえばそれで終わり。けっこう儚いものだよ?」
「そうか。紫苑がそう言うなら」
「ありがとね」
肩を抱く柚葉から伝わる思い遣り。写真じゃなくても良い、手元に置きたい大切な物があるなら持っておいでって胸に声が響く。
「帰ろ」
この家には何もないんだ。
大切な物は全部、もう持ってるからさ。
「寄り道するか?」
「んー、朱殷 達が心配だからやめとく」
「確かに。翳狼 、待たせたな」
ひょこっと俺の影から頭を出した翳狼は、興味深そうに優希の部屋を見回して柚葉ではなく俺に寄り添った。
「おやすみなさい、またお会いしましょうね……紫苑様、早く帰りましょう?」
「そだね。帰ろ」
柚葉に開いてもらった鬼道を翳狼は命じられたわけでもないのにものすごいスピードで駆け抜ける。耳元で轟々と鳴る風に、先を急く翳狼の思いを感じた。俺の影にいたんだし、聡い翳狼の事だ。解ってしまったんだろう。
「そろそろ到着です! うぅん、宴会が始まっているみたいですよ?」
「臭うか?」
「はい。香ばしく焼けたお肉の匂いと、縹 殿のお酒ですね。こんなに香り立つとは……絶対に熱燗ですよ」
明るい調子の二人の会話に胸が痛くなる。ぎゅっと服を掴んだ瞬間目の前が光に包まれ、朱殷と絢風 の
「お帰りなさい!」
が響いた。
「ただ、いま!」
「紫苑様!?」
「どうしたん? さよならがつらかったん?」
駆け寄った朱殷に抱き締められ、絢風は肩に首にと一生懸命に顔を擦り寄せてくる。
「帰って来たんだなぁって思ったら、安心しちゃった! 俺も何か食べたいなぁ!」
「……ん。食べよ! いーっぱい食べよ!」
ホッとして、涙が出た。
当たり前だけど、帰って来たら灯りがついていて、大切な人達が笑顔でお帰りと言ってくれる。一緒に食べようと手を引いてくれる人がいる。
――ここは間違いなく俺の家。俺の居場所――
「柚葉。何食べる?」
「紫苑と同じ物を」
「んなら、とりあえずは焼肉なん」
早く早くと手を引く朱殷に掴まれた手首が温かかった。おう! と声をかけてくれる白群 の笑顔に心軽くなった。大きなお皿に交互に顔を突っ込んでご機嫌な飛影 と天翔 の様子に笑いが出た。
「さ、芯から温まると良い」
薄い薄い杏酒のお湯割りを出してくれる縹の気遣いがありがたかった。
誰も理由は聞こうともしない。ただいつものように接してくれる。
「柚葉! 大丈夫。もう寒くないよ」
「あぁ、良かった」
だから俺達も日常に帰ろう?
「これでお正月は終わりだね!」
「ん。でも、遊びに来るん」
「毎日はやめてくれ……」
菓子がなくなる、とぼやく柚葉に朱殷はわざとらしく溜め息をつくと緩々と頭を振った。
「長 も解っとるじゃろ。なんのかんので鬼国の管理は忙しいん。毎日は来たいけどムリじゃな。三日に一回……来れるじゃろか?」
「お前が管理を白群に押し付けるつもりでいるのと、頻繁に遊びに来る気満々なのはよく解った」
「んなら、十日に一回くらいにしよ。あ、お肉焼けたん。はい、紫苑」
二人の会話を聞きながら杏酒を舐めていた俺は、ふと鬼国に帰らなくて良いのかと口に出してしまった。
国を治めるべき存在が国を空けているのはどうなのか? もう俺は鬼化もできるし、昔ほどの足手纏いにはならないんじゃないかと思う。その方が朱殷達の負担も減るなら帰るべきなんじゃないのか、と。
そんな半分以上は独り言のような呟きに言葉を返したのは縹だった。
「紫苑はこの国の全てを見たか?」
「え?」
「北は北海道、南は九州沖縄まで。全ての地をそれぞれの季節に訪れた事はあるまい? 神として見届けるべき地や人を当の本人が知らぬのはどうかな? 絵を描くついで、と言ってはなんだが、全てを見て回ってから戻っても誰も文句なぞ言わぬよ」
「それに長の管理地の後任なんてやりたがるんはおらん。時が経てば解らんけどな、今はダメじゃな。これだけ広大な土地と森を守り抜く力のある鬼神は長と紫苑以外なら、私と辰臣 になってしまう。となると、入れ違いじゃな! ふふっ! どのみち遊びに行き来するんは変わらんのん!」
「そうだよ! それだ! 俺達がお邪魔ばっかりするんじゃなくて、長と紫苑も鬼国に遊びに来れば良い! 国の奴等も大喜びだ! なぁ? 縹」
「何を当たり前の事を。お二人の国だぞ? いつ戻られても皆歓待する。それに、儂 も酒蔵を自慢したいしのぅ」
「好きな時に顔出しするわ、阿呆ども。花咲く頃に行こうと話していたところだ」
画材を持って――あの言葉が本当になる。
いつだって柚葉は本当にしてくれる。
「行く。行きたい。日本中を見て回りたいし、鬼国にも行きたい」
「時間はたっぷりあるん。ないんは、お肉とお野菜と食後の甘味……なぁ、紫苑。餡ころ餅、食べとうない?」
「食べたい!」
即答すると絢風の冠がひよと揺れたのを見た飛影は餡ころ餅がどんなに甘くて美味しいか、そして大変危険な食べ物であるのかを説明をしている。
「あれは……というか、お餅というのはびょーんと伸びるのでな、喉に詰まるのだ。絢風もちゃんと紫苑に千切ってもらってから食べるのだぞ!」
「はいっ! 紫苑様、お願いします!」
キラキラと好奇心に輝く絢風の目に、デザートは餡ころ餅で決まりだなと柚葉を見れば、盃にお酒を注ぎながら頷いてくれた。
「朱殷よ」
「……解っとるん。買ってくればええんじゃな? ヨモギのも買うて良い?」
「俺に聞くという事は?」
「お財布、からっぽになったん」
空になったお椀とお箸を持ったまま、しゅんと眉を下げた朱殷は心底申し訳なさそうだった。
「それってさ、優希の為にこっちの食材買ってくれたせいだよね?」
「せいっていうのは言葉が悪いん! 私がやりとうてやった事じゃもん!」
「張り切って遣い込んだのは、実際に買い出しに行った俺だしな」
申し訳なさそうに山盛りの肉を載せた皿を置いた白群の後ろを飛影がコソコソと足音を忍ばせて出て行くのが目の端に映った。
柚葉はそれならばと、買い出しに行く時には声をかけろよと答えてホットプレートの上に白群が運んで来たばかりの肉を数枚散らして焼き始めた。
「紫苑、そろそろ食べ頃だ」
「ありがと。柚葉も食べてる? みんなも?」
「いただいておりますよ、紫苑様」
翳狼のは表面をほんの少しだけ炙った程度のほぼ生肉。絢風はどうやら肉より野菜に興味があるようで、丁寧に串に刺された銀杏を抜くのに一生懸命だ。
「絢風?」
「はいっ!」
「やってあげようか?」
パチクリとしたまん丸の目で俺を見て、脚元の串に並んだ銀杏を見て……
「お願いします、紫苑様! さっきまでは飛影が外してくれていたのですけど」
答えに迷ったのは一瞬。身体の大きな絢風には難しい作業だろう。
「もっと頼ってくれて良いんだよ?」
「そうなのだ! 頼って欲しいのだ!」
すぅーっと滑降してきた飛影はそのまま柚葉の膝の上に降り立ち、両の羽を広げて声を張り上げた。
「こんなに貯まったのだ。私だって当然コレを独り占めにしたくて集めていたわけではない。いつか温泉に皆様方と行けた時に、お土産の足しになれば、と思っておった。今日は優希をもてなす為に朱殷殿と白群殿が散財なされたと言うならば、私はこれからみんなで餡ころ餅を楽しく美味しく食べる為に散財したいのだ! 主人 、そもそもコレは主人のお金。ぜひとも使っていただきたい!」
柚葉の膝の上。飛影が毎朝せっせと貯めた銀色のお金の入った方の瓶が鈍く光っていた。
「……足りぬであろうか? それとも差し出がま」
「おい! 飛影のお許しが出たぞ! 餡ころ餅とよもぎ餅と、あとは何だ?」
飛影の言葉を、パンッと手を打って搔き消した柚葉の声が響く。すぐに朱殷が反応して、ガッと身を乗り出した。
「飛影、飛影! プリンも買うて良い?」
「飛影! 俺、あんみつも!」
「儂は何にしようか……この世の甘味は何がおススメかな?」
「私はジャーキーが食べたいです! 飛影は?」
「私もよく解らないので、飛影のおススメを聞いてみたいです!」
みんなが一斉に飛影に言葉を投げるので、飛影はジワジワと居場所を変え、遂には柚葉の背中に隠れてしまった。
「な、何でも好きな物を! ジャーキーは甘味ではないが細かい事はどうでも良いのだっ! 絢風には、んーと、紫苑任せた!」
恥ずかしいぃ……と小さく聞こえる飛影の呟きを誰一人笑う者はいなかった。
柚葉は相変わらず肉を焼いていて――でも何だか嬉しそうに口の端が微かに上がっていた。
甘味を食べる時も、みんなが飛影に向かって、ありがとうといただきますを言うものだから飛影はジタジタと足踏みをしてそっぽを向いてしまった。そんな飛影の頭を柚葉が撫でると
「この笑顔との引き換えのキラリ五百円数枚、惜しくないのだ」
明日からまた貯めるのだ! と照れ臭そうに飛影が喉を鳴らした。
初めての餡ころ餅がどうしても上手く食べられず、嘴についてモゴモゴしてしまう絢風、暖かい部屋の中で熱い餅と冷たいプリンのどちらを優先させるべきか真剣に迷う朱殷がいて、同じように迷う白群がいる。縹は朱殷にコンビニの季節限定サツマイモのケーキを勧められたらしい。
飛影のおかげで。
みんなのおかげで。
お化け屋敷と名高いこの屋敷は、きっと今、世界中のどこよりも温かくて優しい場所だ。
「飛影のは?」
「私のはお宝だぞ! 特製の苺大福をお願いしたのだ! 紫苑になら一口……いや、半口なら……」
「いいよ、全部飛影が食べて。飛影のだもん」
だってね、飛影。
柚葉のも俺のも、飛影が朱殷にお願いした特製の苺大福なんだよ。
ともだちにシェアしよう!