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第3話
「ふつう、あんなにでかい声、でねーわ‼ AV じゃあるまいしっ」
「嘘ですっ! じゃあ、遼太郎さんはっ? そんなこと云ったって、遼太郎さんだってでるでしょう!?」
「でない!」
「えっ⁉」
きっぱり否定されて神野は目を瞠った。
「なんだ、その顔はっ」
「そうなんですか? って、そういえば……」
神野は去年こっそり覗いた、篠山と遼太郎のセックスの光景を思いだした。余談だが、それが当時住まわせてもらっていた篠山のところを飛びだして、神野がこのアパートの居つくことになった原因だ。
忘れたくても忘れられない最悪な記憶にいっきに不愉快になりながらも、そう云えばあのときベッドのなかで行われた篠山と遼太郎の行為は、篠山と自分のするものよりもはるかに静かだったと思い当たる。
遼太郎は最中に篠山と会話をするほどの余裕をもっていたし、確かにおおきな声なんてあげていなかったのだ。しっかり挿入されて、篠山にあんなに腰を振られてていたにもかかわらずにだ。
ガ―ン!
「ばっか! 祐樹、絶対なにも云うな! お前もう黙れ! なにも考えるな‼」
「うぐっ!?」
ちらりと遼太郎の顔を見あげると、なにかを察したのかすかさず遼太郎に怒鳴られてしまった。あげくに唖然と開きかけた口までがしっと手荒く塞がれる。
(ひ、ひどい……)
口を塞がれずとも野暮な話を口にするつもりは、毛頭ない。そんなことよりも、ここにきてはじめて自分が異常なのかもしれないという疑念が生まれ、神野にはそちらのほうが問題だったのだ。
(AVじゃあるまいしって……)
AV自体は見たことはないが、それでもなんとなく想像はできる。
(俺、そんな声出しすぎ? どうしよう、篠山さんにヘンに思われていたりするの⁉)
彼からなにも云われたことはないが、もしも変態だとか淫乱だとか思われていたらどうしよう。
ガ――ン!
ショックで目のまえが暗くなりかけたが、どうやらそれは酸欠が原因だったらしい。遼太郎に塞がれていた手を離されて息がまともに吸えるようになると、ふと気が確かなものになる。
「ってか、前から思ってたけど、祐樹」
「は、はい」
クリアになった頭と視界で遼太郎を見あげる。こんどはなに? と内心たじたじだ。
「お前って、ほんっと、デリカシーないよな」
「えっ?」
追い打ちをかけるように告げられた遼太郎の言葉に、いまのは幻聴だろうかと神野は自分の耳を疑がった。
「……え? ……え?」
――デリカシーが、ない……。自分が?
(……うそっ、俺って、デリカシ―ないの⁉)
二重のショックで凍りついてしまう。
普段から鈍感で、意固地で 頑固者だと春臣にレッテルを貼られまくっている自分が、デリカシーまでないとなると、人間 としてどうなのだろう。相当よくないのではないだろうか。険しい顔をする遼太郎をまえに、神野はどこまでも沈んでいった。
そんなとき、
「祐樹、祐樹。大丈夫だよ」
ふいに話にはいってきたのは春臣だった。
「春臣くん……」
神野は春臣を縋るようにして見つめた。彼はシャープペンを手にしたままだったが、自分を安心させるようにやさしく笑うとつづけて云ったのだ。
「声でちゃう男の子なんて、いっぱいいるから」
「本当ですか?」
春臣はうん、うんというふうに、首を数回縦に振る。なにを根拠に彼がそういうのか深くは考えることはしないで、このまま春臣の言葉を信じたい。
「うん。もちろん演技する子もいるっちゃいるけど、グズグズになっちゃってあんあん鳴く子なんて、かるく二十人、いや三十人はいたからね。だから、安心しなね」
それを聞いて神野はホッと息を吐いた。
「はい、よかったです」
すぐ隣で苦虫を噛みつぶしたような顔をしている遼太郎には気づきもしなかったが、しかし。
(ん?)
――いたからね? ちょっとした語尾の持つ違和感には気づくことができた。
(……それっていったい)
春臣のセリフのなかに、触れてはならない暗黒への出入り口を垣間みた気がした神野は、しかしそれにはそっと目を瞑ることにした。
それにしても自分たちはいま、なんて品がない話をしているんだろう。情けなない気持ちになりつつも、それでも今回のことは、自分が加害者で遼太郎は被害者だと反省はする。
神野が改めて遼太郎に詫びようと彼を振り返ると、遼太郎はなにも云わないで部屋をでていこうとしているところだった。
「遼太郎さん」
と、彼を呼び止めたのと、顎に指さきを当てた春臣が徐 に話だしたのは同じタイミングだ。
「まあね。デリカシーの塊の遼太郎くんには、声なんてだせないもんね。そりゃ祐樹が妬 ましいか」
遼太郎の足がぴたりととまった。
「あ、違うか。羨ましいのか」
「春臣くん?」
ドアノブに手をかけた遼太郎が、ほんのすこしまえの神野のように、凍りつくようにして固まっていた。
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