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第11話
「これ、リビングに置いておくから、祐樹に渡してやって」
「やるのか?」
「うん。親が勝手に買ってきただっさい服」
「ださいって」
「祐樹にちょうどいいかんじ」
神野はださいというより、ただただひたすら地味な服を着ているだけだ。なにを想像したのか遼太郎が、ふふっと口もとを綻ばせた。朱の強い唇はとても魅力的だ。
(こいつほんとに美人だよなぁ)
ただしたいていはその口もとを不機嫌そうに引き締めているので、価値は半減だ。
「……タグ切っとくか? まぁいいか」
遼太郎が摘まんでいる襟首部分のタグには、ハイブランドが記されている。遠慮がちな神野の性格を考えてか遼太郎は眉を顰めていた。
思いやり深く、焼きすぎるくらいに他人 の面倒をみる性分の彼は、よくこんなふうにして神野のことを気にかけていた。しかもそれは神野に気づかれないようにだ。
陰になり日なたになりという言葉があるが、遼太郎は誰にたいしても陰になり陰になりといったふうで、なかなかその善意をひとに見せることがない。
「アパートに運ぶの面倒だし、もうこのままこの家に置いておけばいいだろ? 持って帰らせないであの寝室のチェストにいれさせろよ」
「ああ。なるほどね」
そして勘の鋭い彼は、どうやら神野がこだわっているいくつかの問題に気がついている。
「ありがとうな。でもお前のおかあさんに申し訳ない気もするんだけど?」
「いいんだよ。いらねぇって云ってるのに買ってくるのが悪い。んなの、俺、絶対着るワケないのに……」
廊下にしゃがんで服を広げている遼太郎を見下ろしていると、なんとはなしにスッキリした彼のうなじに目がいく。
そこには土曜の朝からついている痕が、まだうっすら残っていた。そしてこれがこの週末に、自分と神野のあいだにちいさな亀裂を生んだ元凶だ。
要領のいい遼太郎はこの仕事に追われた忙しいなかでも、時間をうまくやりくりして恋人と会っているらしい。すこしでいいからその器用さを神野 にわけてやって欲しいとすら思う。
(しかも痕 、増えてるじゃないか。いつのまに)
仕事先でそんなモノを晒して歩かれては困るので、「慎みある服を」と口実をつけて彼の好むVネックからハイネックの服に着替えさせることはあっても、恐ろしくて未だに「キスマークがついているぞ」とは口に出して教えていない。
もう消えようとしていた赤い口づけの痕のとなりには、また新しい咬み痕がついていた。その傷は内出血まで起こしている。見るからに彼の周りのものに彼の所有権を主張するためにつけられたそれは、もしかしたら自分にたいする警告なのもしれない。
それをつけた男が自分とおなじように遼太郎の性格を考えて、彼に内緒でこの威嚇行為を行っているのなら、いっそ遼太郎にそのことをバラしたほうが、得られる結果が相手の思わくと一致するのではないか。
遼太郎もこれだけ神野のことを気にかけているのなら、もしかしたら、話しを聞いてくれるかもしれない。
それにだ、そんな目立つところにある痕を、本人は気づかないで過ごしているのだ。教えるとブチキレそうだが、うっかりそのまま仕事相手のところに行かれるとまずい。これは、上司として本来きちんと注意しなければならない件でもあった。
篠山は昨日いちにち、遼太郎が神野のためにすんなり折れて頼みを聞いてくれるか、はたまた彼の難儀な性格上、彼を怒らせてしまうか、云うか云わまいか悩みに悩んでいたことを、思い切って話すことにした。
「なぁ、お前、その……」
しかしどう云えばすんなりいくんだと、しどろもどろになってしまう。神野にしても遼太郎にしても、なんで自分はこうも面倒なタイプを連続で引いてしまってるんだと、がっくりと肩を落とした。洋服をさっと袋に片付けた遼太郎が見上げてきた。
「ん? なに? はやく云って」
ああ、恐ろしい。
「いや、遼太郎、……いまの男と、うまくいってんのか?」
「は?」
(ほらみろ、顔が引きつった……)
たった一音発せられた声すら冷たく硬い。
「なにそれ? そんなの気になるの?」
「あ、いや、お前がそういうの聞かれるの嫌なのは、わかるんだけど――」
フォローのセリフは焦るあまりに見事に選択を誤っていて、しまったと思ったときにはもう遅い。
遼太郎の怒りであたりの空気が一度は下がる。みるみる彼の肌が赤く染まっていったが、それは怒りからでなく羞恥からである。遼太郎は極度に自分の弱みを見せるところを嫌ううえに、プライドが高すぎてそれを相手に気づかれることにも敏感だ。
そして彼は恋愛における心の浮き沈みや、好きという気持ちを弱みだと思いこんでいる。遼太郎は恋人としてつきあうのには本当にどうしようもなく面倒な男だったのだ。
できれば彼の心が波うたぬようにそっとしてやりたい。いままでもそうやってきたし、これらもそうしてやりたい。しかし、自分に新しい恋人ができてしまったいま、篠山は遼太郎よりも、その新しい恋人である神野を優先しないといけなかった。
「嫌とかじゃないけど? 匡彦がそんなくだらない話をしてくるとか、思わなかったから」
(いや、それはお前が嫌がるからだって、とは怖くて云えない……)
平生 を装っている彼が痛々しくて、篠山の目が泳ぐ。
「いや、――」
「なに? 自分が祐樹とうまくいってるから、こっちのことも気になるとか?」
かぶせ気味に云った遼太郎はいつになく饒舌で、それで彼が動揺していることがわかる。そうなると、やはりかわいそうになってきて、篠山は心のなかでいっぱい、ごめん、と謝った。このごめん、だって実際に口に出して云うと彼はきっと腹を立てるのだから。くぅ、と内心呻き、きしっと痛んだ胃のあたりにそっと手を当てる。
「いや、そうじゃなくて。実は神野が――」
「神野とか云ってるし」
ふん、と鼻で嗤って紙袋を持った遼太郎がリビングに向かうのを、篠山は追いかけた。意趣返しに顔が赤くなる。神野とふたりきりの時に彼を下の名まえで呼ぶようになったことに、遼太郎に気づかれていたらしい。
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