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第22話 

 遼太郎がどんな顔で話しているのか見たくなってしまった神野は、一センチ二センチとすこしづつドアを開けていった。すると伸びてきた手にがしっと扉を閉められないように押さえられてしまう。しまった、と思ったときにはもう遅い。 「ん、ん、わかった。じゃあ……」  電話を切った遼太郎は、しゅんと肩を落とす神野を呆れた顔で見下ろした。 「お前、案外ちょろいな……」  そのままがしっと両脇に腕を差しいれられた。玄関に連れて行かれそうになり、慌てて彼の腕にしがみつく。 「だめっ、だめですっ。いまは篠山さんに会えないんですっ!」 「なんで会えないんだよ。扉あけりゃすぐそこにいるだろうが。俺まで巻きこむなよ、しょうもないケンカに」 「無理です。ちゃんと落ち着いてからがいいんです。じゃないと余計なこと云っちゃいそうなんですっ」 「云えばいいだろ? つうか匡彦相手でケンカになんてならないだろ? あいつ温和なんだから……。おい、なんだよ、その表情(かお)は。俺にまで文句あるのか?」  一瞬遼太郎の力が緩んだので、神野は彼を押しかえした。ふたりダイニングに入ると扉に背中を貼りつかせ戸口をふさぐ。いまはなんとしてでも篠山に会ってはならないのだ。 「あっ、こらっ! 祐樹そこ退けって! 出られないだろうがっ」 「だから、出ないでください」 「あのなぁ」 「文句は、ありません。でもっ!」  神野はぎゅっと顔を顰めると唇を咬む。やっていることも彼に云おうとしていることも、自分の我儘だと承知している。でもいまここで自分の気持ちを遼太郎に伝えておかないといけないと、そう思ったのだ。 「匡彦(くにひこ)って、遼太郎さんに呼ばれていたり、遼太郎さんや春臣くんがあのひとのサポートにまわれたりしているのをみていたら、苛々するんです。自分でもくだらないことばっかり考えててバカじゃないかって思っているんです。わかっているんです、こういうの嫉妬だって! でもそうわかっていても、どうしようもなくって。さ、さっきだって――」  篠山と春臣が抱きあっているのを見て、かーっと頭に血がのぼってしまったのだ。思い出すだけでも涙が滲んでくる。興奮しすぎて神野は、言葉を詰まらせた。  篠山がちゃんと自分のことを想ってくれていることはわかっている。彼に非はない。そして遼太郎にも春臣にも。ただ自分の心が弱いだけなのだ。  幼少のころから疑似恋愛すらなくやってきた自分には、ひとを好きになるのははじめての経験だ。篠山の感情の行先や行動のひとつひとつに自分の気持ちを持っていかれてしまうのは異常なのか、それともそれは恋愛をしていてあたりまえのことなのかもわからない。そしてこの陽炎のように立ちあがってくるあらゆる感情がいつまでつづくのかさえもだ。  時間が()れば、気持ちは落ち着いてくるのだろうか。それともこれが自分の(さが)で、だれかを好きになると自分はずっとやきもきしたり、恋人や恋人の周りの人間の一挙手一投足に目を光らせ神経衰弱していくのだろうか。みんなに迷惑をかけてまで。できればいまだけ。慣れるまでだけのあいだであってほしい。 「不安なんです。遼太郎さんには魅力があるんです。だから篠山さん、取られそうって」 「取らないよ。匡彦……さんを信じとけよ」  篠山はいまは自分のことを好きでいてくれている。それは信じている。 「でも気持ちは揺らぐものですし……、それ以前にあのひとの貞操観念が信用できません」  しおらしく俯いた頭を「はっきり云うな」と遼太郎に赦なく(はた)かれた。それでもめげずにつづける。 「だからせめて遼太郎さんだけでもしっかりしていてくれたらって――」 「失礼極まりないな。俺まであいつといっしょにするな」 「ほら、遼太郎さんだって篠山さんのこと信用してないじゃないですか」  遼太郎がぐっと押し黙った。 「さっきの電話の相手って、恋人ですか?」 「教えない。お前には関係ない」 「そんなこと云わないでください。関係あるんですから。遼太郎さんにちゃんとほかに好きなひとがいるって証明してくれないと、私は不安なままなんです」  遼太郎が神野に背を向けた。外では篠山の神野を呼ぶ声も扉を叩く音も聞こえなくなったが、隣家(りんか)のチャイムだけは時間をおいて鳴らされてる。神野はいつ彼にここを押し切られて玄関を開けられてしまうのかとはらはらしていたが、やっと諦めてくれたのだろうか。 「だから、遼太郎さんの恋人に会わせてください。遼太郎さんの彼氏さんがしっかり遼太郎さんことを繋ぎとめてくれているってわかればいいんです。それか、遼太郎さんが彼氏さんのこと好きで、篠山さんのところに戻ってこなさそうって私を納得させてください」  遼太郎の首筋が鮮やかな朱に染まっていることに神野は気づかない。そしてその鈍さはもちろん遼太郎の沸点など見極められることがなかった。 「さっきの話はデートの約束ですか? いまから会うんですか?」 「……」 「それともここに来るんですか?」 「――来ない」  遼太郎の声は地を這うかのように低くなっていたが、やはりそれにも気づけない。 「相手のお(うち)に行くんですか? ここに呼ばないんですか?」 「……」   「私は隣の部屋でおとなしくしてますから、ここに呼んでもらっても大丈夫ですよ?」 「いや、お前はもう帰れ」  無邪気に遼太郎の正面にまわって首を傾げると、隣の部屋のベッドが視界にはいった。あらぬ妄想にふわりと体温があがる。 「あ、私がダイニングにいたほうがいいのか」とうっすら赤くなった顔でぼそっと呟いた。 「おいこら、祐樹」 「はい」 「お前、なにが安心できないだ? なにが嫉妬だ? お前が(ひと)の恋人が気になるってのはな、単なる好奇心なんだよ」 「違います」  やや被せ気味に答えると、すかさず頭に衝撃が走った。 「違わない」 「だって! ……だって……」  叩かれた頭に手をやったまま、神野はしゅんと肩を落とした。  だって篠山と遼太郎の関係を想うと、自分は食事も喉を通らなくなる。いまだってふたりのことを想うと胸がきりっと痛むのだ。   (はやくこんなつらい気持ちから解放されたいのに。だから遼太郎さんがいまの恋人とうまくやっているって知って、安心したいって。――ああ、どう伝えたら遼太郎さんはわかってくれるんだろう?)    好奇心だとか、そんな言葉で片付けられたくはなかった。眉を寄せ唇を咬んだ神野はしかし、カウンターに置いてあった遼太郎のスマホがふたたび着信し、一・〇以上の視力でディスプレイに出ていた『坂下吏一朗』という名まえを捉えると、瞬時に瞳を輝かせた。

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