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第23話

「さかした、さん?」 (下の名まえは、んー、りいちろう、だろうか?) 「出ないんですか?」  さっと手のひらで表示を隠した遼太郎は、そのままスマートフォンの電源を切ってしまった。あれ、と思って顔をあげるや否や、腕を掴まれて引っ張り上げられる。 「うわっ⁉ えっ⁉ あっ、あっ、ちょっと!」  どう踏ん張っても、なににしがみついても遼太郎の力は強く、身体がずるずると玄関へと向かってて引きずられていく。どうやらさっきまではまだ手加減をしていてくれたらしい。こんどはまったく太刀打ちできずに、神野はついに玄関まで連れて来られて壁に押さえつけられた。 「ねぇっ、やっ、遼太郎さんっ」  器用に片手だけで扉を開けた遼太郎に「お前はとっとと出ていけ」と突き飛ばされる。 「うわあっ」 「神野っ⁉」  放りだされたさき、隣家のドアのまえに立っていた篠山は、びっくり顔で自分を抱きとめてくれた。 「大丈夫かっ⁉」 「痛いです」  彼の胸に強かにぶつけた頬をさすり上目づかいで呟けば、つづいて靴下だけだった足もとになにかが放ってよこされた。見ればそれは自分の靴だ。 「おまえ遼太郎んとこに居たのか⁉」  靴を履いていると篠山に顔を覗きこまれて問われるが、いまはそれどころじゃなかった。ついでに春臣がこちらに歩いてくることにも気づいたが、それも無視して神野はさっさと篠山の腕から飛びだした。 「ねぇっ、遼太郎さん」と攻めよれば、彼は意外に狂暴で――、 「ぅわっ⁉」 「うわあっ‼」  襟首をつかまれ、またも篠山の胸のなかに投げ返されてしまった。篠山は悲鳴をあげながらも律儀に自分を受けとめてくれる。 「神野、大丈夫か⁉ おいっ、遼太郎乱暴すんな!」  きつい眼差しで顎をあげた遼太郎は、いっそう美しい。 「うっわぁ。ふたりとも大丈夫?」  暢気な声をあげたのは春臣だ。彼は眉を顰めると「もう。あいかわらずなんだから、遼太郎くんは」とぷくっと片方を膨らませてみせた。  びっくりはしたが、身体は平気だ。むしろ打撃があったのは篠山のほうだろう。神野のがりがりの身体に彼はよく骨が当たって痛いと云っているが、このときもやはりゴチンと当たった肩が刺さったみたいで、篠山は顔を顰めて胸を押さえていた。 「なんで俺が文句つけられなきゃならないんだよ? おかしいだろうが? 春臣も匡彦もこいつのこと甘やかしすぎなんだよ。こいつの(いた)らなさにお前らがレベルをあわせてやってどうすんだ? 引き上げてやってなんぼだろ? 頭を冷やせ、バカヤローども!」  捲し立てた遼太郎が扉を閉めて姿を消すと、神野は慌てて閉じたばかりの扉に飛びついた。 「待って、遼太郎さんっ!」  呆気にとられるふたりをよそに、頭の中には遼太郎に電話してきた相手――坂下のことでいっぱいだ。しかしいくら引っ張っても扉にが施錠されていてあきはしなかった。 「遼太郎さんっ、開けてくださいっ」 「お、おい、神野……?」 (いったい坂下さんってなに⁉ ホントにホントの彼氏⁉ どこまでの仲なの!?)  こうなったらどうしてもその坂下さんとやらことをもっと詳しく知りたい。神野はピンポンピンポンと遼太郎の部屋のチャイムを連打する。 「遼太郎さんっ、開けてくださいっ、中に入れてっ」 「祐樹、なにやってるの? 近所迷惑だよ……」  扉を叩く手を掴んで止めた春臣はしかめっ面だ。   「だから、開けてくれるはずです!」  きっぱり云いきったら、篠山にまでなんとも複雑な顔をされた。 「ねぇ、遼太郎さんってば! 開けて下さい。お願いです」 「……おい」 「いまの、さっきの電話のひと、坂下さんってひとが彼氏さんなんですかっ?」  扉の向こうにいるだろう遼太郎に向かって声をあげる。 「どんなひとなんですか? どっちから告白したんですかっ? いつ知りあったんですかーっ?」 「…………おい」  ガチャリと玄関が開いてやっとに遼太郎が出てきてくれた。しかし彼はコートを着込んだ出かける格好だ。 (これってもしかして) 「お前にたまの休日をつぶされてたまるか」  そうマフラーのなかで(うそぶ)いて、アパートの解放廊下を歩いていく遼太郎のうしろにこそっとつづこうとした神野は、「おい。神野。どこに行くつもりだ?」と篠山にがしっと両肩を捉えられた。   「あっ、えっ? ちょっと遼太郎さんのあとを……」 「だめだ、神……祐樹。お前はいまから俺ん()だ」 「えっ、そんな……」  ここぞの助けとばかりに背後の春臣を振り返れば、彼は肩を竦めて横を素通りしていった。篠山とすれ違いざまに「はいこれ」と、彼にマンションの鍵を渡すと、部屋を開けてさっさと中に消えてしまう。パタンと静かに閉じた扉からはすぐに施錠の音がした。 「……寒いです」  コートは篠山のマンションに忘れていきている。垂れてきた鼻水を啜ると、ふわりと首に温もりのあるマフラーがかけられた。篠山の体温が移ったそれは、ほのかにたばこの香りがしている。神野の大好きな匂いだ。ほっとしたと同時に、ふるふるっと寒さで身体が震えた。  篠山がくるりくるりと神野の首にウールを巻いてくれる。最後は器用な彼の指先で端っこが顔のまえで結ばれた。 「あと五分我慢しろ。家についたら(あった)めてやる」  そう耳のなかに囁きこまれて、その言葉だけで神野の体温は三度ほど上昇したようだ。

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